Tailcoat
おゆたん
零着目「Prologue」
広がりのある空間内にヴィクトリアン調のテーブルや椅子、ソファが立ち並んでいる。
等間隔で並んだそれらには、この場に相応しい華やかな女性たちが座っており、その前のテーブル上には心ときめくデザートプレートやアフタヌーンティーセットが用意されていた。ティーカップのコレクションはどれも滑らかな質感に瀟洒なデザインだ。頭上から降り注ぐ光によって艶めいている。
天井には煌びやかなシャンデリアが燦然と輝いており、壁面や柱には印象派やそれに類する絵画が飾ってある。それらは豪華絢爛な洋館内の雰囲気を演出していた。
そこでは誰もが穏やかな様子で過ごしていて、静かで落ち着いた時間が流れている。
そんな空間の中を、館内に流れるクラシック音楽に合わせるように、
そして、僕もその内の一人だった。
ちょうど一息吐いたところで、小鳥の囀りのように軽やかな金属の音が聞こえた。
テーブルに置かれたお嬢様のベルが鳴る。
すぐに耳元に着けているインカムから指示が飛んでくる。
『カーテン席、ベルです。どなたかお願いします』
先輩フットマンの声だった。
それを聞いて、フットマンは各々の状況を確認する。
どうやら僕が一番近く、手も空いてるようだった。
ちょいと厳しめだけど、ギリ間に合うか……。
『ほーい、今行くよ~』
僕は軽い調子で返答した。
無論、お嬢様方には聞こえないようにしている。
しかし、インカムを介してすぐに怒声が返ってきた。
『オイ! 今ふざけた返事したヤツ、あとで覚悟しろよ!』
それは統括執事の声だった。
なんだよ~、今日いるのか、めんどくせーな……。
僕は内心で毒づきながらも、口調を切り替えて返事する。
『大変、申し訳ございません。以後気を付けます。ただいまカーテン席へ参ります』
指定された席に到着すると、テーブルのベルが置かれた位置に立って一礼した。
「失礼いたします。お呼びでございますか、お嬢様」
「あらぁ~、アナタが来てくれたの。嬉しい~」
フットマンを呼んだそのお嬢様は僕の顔を見ると、喜々とした声を上げた。以前から僕のことを気に入ってくれている人だった。なので、こちらもその気持ちに応えた返事をする。
「ご機嫌麗しゅう、お嬢様。私もお嬢様のご帰宅を今か今かと待ち望んでおりました。お目にかかれて大変嬉しゅうございます」
「またまた~、上手になったわね、うふふ」
お嬢様は見るからに機嫌を良くしていた。
それから、フットマンを呼んだ要件を言う。
「あのね、お花を摘みに行きたいの」
「かしこまりました。では、お手荷物をお持ち致します」
僕は手荷物を預かると、仕切り代わりのカーテンを左手で上げた。
お嬢様はそこをくぐって、僕の脇に立つ。
「それではお嬢様、ご案内いたします」
そう告げて正面を向くと、インカムで他のフットマンに通達をした。
『カーテン席のお嬢様、お化粧室へご案内します』
しかし、そのタイミングで別の連絡が入ってくる。
『執事、執事、こちらドアマン。ただいまご予約のお嬢様がご到着です』
それを聞いて、焦りを覚える。
……うっそ~ん!? ちょい早くね? 急がねば!!
僕が出迎えに加わらなければならないのだが、予定よりも少し早いのだ。すぐにでも向かわなければならないが、エスコート中の今、そういうわけにもいかない。
僕は焦りを表に出さないようにしながら、お嬢様を化粧室の前まで案内し、手荷物を渡す。
「エスコート、ありがとう」
「失礼いたします。お嬢様」
今すぐ玄関に行かねばならないが、お嬢様方の前で走ることは出来ない。
かくなる上は……多少のリスクは致し方あるまい……。
その為、僕は非常手段に出る。
「はーい、ごめんよー、急いでまーす! 後ろ通りまーす! 失礼しまーす!」
化粧室の傍にあるパントリーに入ると、他のフットマン達の間を縫うように走り抜けていく。この中から玄関側へと出ることが出来るのだ。
ただ、そこには運悪く統括執事がいてしまい、目撃されてしまった。
「オイッ! コラッ!! パントリー内を走るなと何度言ったらわかるんだ!」
「すみませーん! 大変失礼いたしましたー!」
直接怒声を浴びせられたが、気にしない。
……へっ、そうは言ったって、駆け抜けてしまえばこっちのもんだぜっ!
そこで別の執事の声がインカムから聞こえてくる。
『こちら執事、了解しました。それではフットマン、フットマン、お嬢様のお出迎えです』
そう言われた時には玄関へと辿り着いていた。
そこでは老執事が執事台帳にお嬢様の情報を書き込んでいる。
……はぁ~、ギリギリ間に合ったぜ。
「おじ~いちゃん。もうここにいるよ」
僕がそう言うと、老執事は鼻で笑って見せた。
「なに生意気な口効いちゃって、ついこないだまで半べそかきながらやってたクセに」
「まあまあ、過去の事はいいじゃないですか~」
他愛もない話をする。老執事は手を動かしながらだ。その作業を終えるまでは余裕があった。
「それより、アンタ、前は普通にサラリーマンやってたんだって? なんでわざわざこんな事やってんのよ?」
「え~、もう忘れたの? 前に話したじゃん……まあ、要するにいろいろあって、現実が嫌になって、別の世界に逃げたくてココに来たんですよ」
「ココに来たって、現実と大して変わらんじゃないの」
「まあねぇ、意外とそうだったんだよね~……」
僕は老執事の言葉に何も言えなかった。それはその通りだったからだ。流石は年季が入っているだけある。
この場所にはこの場所の現実があるのだ。
「さあ、行くわよ。まだまだひよこのフットマンちゃん」
老執事は僕の臀部をポンと叩いた。
「はいはい、どうせまだひよこちゃんですよ。ピヨピヨ」
僕はおどけて見せながら、ふわふわの赤い絨毯の上を歩いていき、設置された姿見で髪型とタイと笑顔の最終チェックをする。
「よし、オッケ」
それを終えると、スポットライトが当たる真下の位置に付いた。
僕は老執事が玄関の扉へ向かう様子を眺めながら、ぼんやりと昔のことを思い出していた。
「扉の向こうは現実世界かぁ……」
ボソリと呟くが、誰かの耳に届くことはない。
玄関の扉の前に着いた老執事は、インカムで準備完了の連絡をする。
『ドアマン、ドアマン、こちら執事。お嬢様のご案内をお願いします』
それと同時、老執事は僕に目配せをして合図をした。黙って頷く。
「それでは、参ります」
老執事がドアノブへと手を伸ばし、ガチャリと鍵を開けた。
すぐに扉が開かれる。その様は不思議とスローモーションに感じられた。
ギィィという鈍い音と共に、この場所とは異なる、僕が逃げ出した現実世界の光が差し込んでくるのだった。
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