いっぴきめとひとりめ

 りゅうを倒すにはお金がかかる。追い払うのはそれより、安価で済む。

 だから、竜払いという仕事がある。



 朝を迎えたので、本屋をやってみよう。

 とうとつな人生展開である。昨日、この本屋を急に託された、雑に託された。

 はたして、土地の権利関係の書類等々は大丈夫なのだろうか。物件というものを、おとぎ話風に譲渡するなど、狂気の所業である。

 けれど、託されたものはしかたがない。まずは店をあけてみよう。どうなるかはわからない。なんというか、実験を迎える気分にちかい。

 それにきっと、今日一日うまく店をこなせなかったとして、即時閉店に追い込まれることもあるまい。

 ひとまず、窓をあける、朝の光りを店内へ流し込んだ。建物自体は三階建だった。店舗自体の面積はさほどない。一階は本棚が並び、本でぎゅうぎゅうである。階段をあがって二階も本棚ばかりで、本でぎゅうぎゅうである。三階もあるが、階段、および、入口がみつからず、謎だった。

 天井の経年具合から、ここもかなり古い建物ようだった。柱は傷だらけだし、床も補修した箇所と、していない箇所があり、色合いがめっきりと違う。この空間を保つ為の、延命処理の痕跡があった。

 広くない店の真ん中に立つ。あやうく棚に腰へさげた剣先が、ぶつかりそうだった。視線を向けると、店の入り口のすぐそばに、会計台と、椅子があった。この椅子に座って店番をしていればいいのか。座ればたちまち店番の雰囲気も出そうだった。

 手探りの営業が、ここに始まる。

 で、台の向こうにおさまってみる。椅子に座った。

 やはり腰にさげた剣が邪魔になった。とりあえず、外して、台の下へおさめる。見ると、台の内側には、用途不明の丸い籠があった。

 で、ふたたび、座る。これで本屋として仕上がった。

 いや、よく考えたら、店の扉をあけていない。台から離れ、扉の鍵を開けに行く。

 そういえば、営業時間はいつなんだろうか。おれの身体の目覚める周期と、窓から差し込む朝陽から察するに、まだ朝の早い時間帯だった。朝食用の麺麭を売る麺麭屋でさえ、あいていない時間の可能性もある。

 そんな時間帯に、本を買いに来る者がいるものなどいるのだろうか。いたら、奇抜な人材だろう。考えながら扉の前まで行く。

 扉の向こうから、何か気配がした。殺気はない。

 あけると、扉の隙間から、首輪をした灰色の猫が、するり、と店内へ入って来た。

 迷いのない動き、もしや、この店の飼い猫。

 店内に入った猫は、そのまま、店の奥へ入ってしまった。あの猫をどうすればいいのか、正解がわからない。

 その場から様子をうかがっていると、やがて、灰色の猫は、会計台の下へもぐりこんだ。のぞき込むと、台の下にあった丸い籠におさまっている。

 これが、この猫の日々定位置なのだろうか。ふてぶてしくも堂々としている。

 猫は会計台の下の籠に入り、こねはじめる前の麺麭種のように丸まって、動こうとしない。すぐそばには、おれの剣が立てかけてある。

 いっそ、この猫に、店長の座を譲ろうか。

 猫店長。

 人が店長なら、いらっしゃい。

 猫が店長なら、いにゃしゃい。

 あるいは、いらっにゃい。

「…………」

 孤独はひとの精神を、少しずつ蝕む。

 そして、油断も生む。とたん、店の扉が開いた。

 客が、来たのか。ああ、どうしよう。

 こちらにも心の準備というものが。

 長い銀髪の黒衣を身に纏った女性だった。二十四歳である、おれよりも、ひとまわりは上そうで、無表情だった。高貴な血を感じる外貌をしている。

 腰には剣をさげていた。ただし、鞘におさまっていてもわかる。その剣は竜払いが使う、竜の骨で出来た剣である。

 彼女を見たことがある。少し前、砂浜で、とある青年と決闘をしていた。彼女は迫る相手を打ち破り、その後、馬に乗り、彼方へ走り去って行った。

 彼女は扉をあけ、店の中へ入って来る、ひとりだった、入って扉をしめる。

 会計台に座るおれへ視線を向けた。その顔立ち、よく観察して描かれた、絵画のような印象もあるし、まるで、いまは生きているはずのない歴史上の架空の人物に出会ったような、ふしぎな気にさせる存在感があった。

 けれど、お客さんである。

「おはようございます」

 おれは会計台の向こうからあいさつした。

 彼女は無表情で見返して来る。

「おはよう」

 あいさつを返して来た。

 それから彼女は「アルマンは」と、訊ねて来た。

 旧、店主の名だった。

 どう答えるべきか考え、けっきょく「彼は昨日、引退しました」と、正直に答えた。

 彼女は沈黙したまま、おれの目を見た。銀色の髪は、窓から差し込む朝陽を浴びて、金色以上に、金色にみえた。

 それから。

「アルマンがこの店から消えた」

 と、いま知った状況を淡々とつぶやいた。

「教えろ、貴様のその台の下に隠しているものは何か」

 台の下に隠しているもの。

 台の下にある剣に気づいている。隠したつもりはないが。

 見ると彼女に指が、剣の柄へ添えられていた。殺気はないが、言動しだいでは斬られる。

 と、思いつつ「これですか」剣ではなく、台の下にいた灰色の猫の両脇に手を入れて持ち上げてみる。

 勝負である。

 猫はおとなしく持ち上げられていた。けっこう、重い。こいつはどこかで、つねに、たっぷり食っているにちがいない。

 彼女は静寂を保ち、なおかつ表情も無のままだった。

 早朝の本屋に朝陽が差し込む。互いに、未知の間合いをはかりあう時が流れた。

 やがて、彼女は唇をかすかに開き、問う。

「名は」

 と。

「おれは、ヨルと申します」

「貴様のではない、猫の名だ」

「猫の」問い返され、そうか、と思い、正直に「わかりません」と伝えた。

 彼女はこれにも無反応だった。ふたたび、硬質性のある静寂の時間が流れる。もはや、この世界から音が消えたのかと思い始めた頃、彼女がいった。

「ルーイズだ」

 聞いたおれは「ルイーズ」と、つぶやき「いい名前だ、この猫」といった。

「私の名だ」

 しまった、この粗相で斬られる。一瞬、そう考えたが、斬られなかった。

「貴様は名乗った、私も名乗るが通り」

 彼女は表情を変えず、そう告げ、さらに続けた。

「私宛の本は届いているか。届いているなら、後ろの棚にあるはずだ」

 視線で示され、おれは猫を持ったまま棚を見る。客の名前宛ての本はいくつかあった。けれど、ルイーズという名前宛ての本はない。

 おれは掲げた猫の後頭部越しに「ありません」と伝えた。

「一度、猫をおけ」

 注意を受け、猫を足元の籠へおろす。その間に、彼女、ルイーズは外へ出る扉のそばにいる。

 とてつもないな、動きがまったくとらえてられなかった。

「私宛の本が届いた頃にまた寄る」

「どんな本ですか」

「狂わしいほど甘い、恋愛小説だ」

 背中後しに堂々と言い切り、彼女は店から出て行った。

 

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