第26話 閑話 クリスティーニャ
私の名前はクリスティーニャ。
ユーゼリア王国の王都にあるウィンディア神殿で祭儀官を務めている十六歳の乙女です。
私が生まれたのは王都から離れた場所にある小さな町でした。
多くの猫人がそうであるように、両親は共に敬虔なニャザトース様の信徒で、休息日は欠かさず小神殿に足を運び、小神殿長であるニャンメル様が執り行う祭儀に参加していました。
当時の私はにゃあにゃあと祈りの声を上げ、活発に走り回るやんちゃな子供だったそうです。どうもすでに神殿を特別な場所だと認識していたようで、姿が見当たらない場合、小神殿に居座ってニャンメル様にご迷惑をかけていたとかなんとか。
そんな私に転機が訪れたのは七歳の時。
それまではなんとなくであった猫との意思疎通がしっかりと行えるようになったのです。
私はこのことを両親よりも先にニャンメル様に伝えました。
内容は覚えていませんが、どうやら私はこれでいつニャザトース様が現れてもちゃんと伝えたいことを代弁できる、といったようなことを言ったそうです。
今思えば、いったい何を偉そうに、と自分の無知さ、そして無邪気さに赤面してしまうのですが、当時の私は本気でニャザトース様や志を同じくする信徒たちの役に立てると思っていたのでしょう。
ニャンメル様はすぐに私の言うことを信じたわけではないようですが、その日以降、私が町の猫たちを引き連れて神殿に訪れるようになったことでこれはただ事ではないと理解したそうです。
ニャンメル様は私に能力が授けられたのは何か意味があるのではないか――ニャザトース様の思し召しではないかと考え、私を神官にしないかと両親に提案しました。
両親はさすがに迷ったそうです。
敬虔な信徒としては娘が神職に就くことは歓迎したいものの、まだ幼く可愛いばかりの娘を送り出すのは親としてつらい。
しかし、そんな両親の気持ちも知らず、ニャザトース様への信仰と共に育った私は無邪気に神官を目指すことを決めてしまったそうです。
とは言え、すぐに親元を離れるわけではなく、まず私は小神殿へ通い、神官以前――見習いとなるための基本的な知識を獲得するところから始めねばなりませんでした。神官を目指すのに、聖典すら読めないのでは話になりませんからね。
通常、この神官見習いとなるには三年ほどの年月が必要になるそうです。
しかし私はこれを一年で達成しました。
それは偏にニャザトース様への信仰心によるもの。
神官とはニャザトース様に身も心も捧げお仕えすることを証明するものであり、そうなるための努力は私にとって喜び以外のなにものでもない。熱心になるのも当然のことで、修業期間の短縮はそれ故の結果でした。
こうして神官見習いとなった八歳のある日、私はニャンメル様と一緒に小神殿の巡回に訪れた巡回神官――ウニャード様にお目にかかることになりました。
巡回神官とは一国の首都に置かれる神殿を任される神官で、神殿長とも呼ばれます。またその国内の小神殿の取り纏め役として年に一度巡回するのもお仕事です。
私がお世話になっているニャンメル様はその一つ下の役職である神官長となります。小神殿長とも呼ばれ、小神殿の管理のほか、神殿のない小さな村々を定期的に巡り、各地の人々に祭儀を施すのがお仕事です。
私にとってニャンメル様はニャザトース様の信仰心を証明して小神殿を任されるようになった偉い人です。ところがそんなニャンメル様よりも偉いウニャード様の登場に、とても緊張したことを今でも覚えています。
ウニャード様とは初対面でしたが、ニャンメル様が手紙で私のことを伝えていたらしく、ウニャード様は私のことをよく御存知でした。
勤勉で信仰心が厚く、そして猫と意思疎通ができる特殊な能力を持ち、それを役立てたいと思っている。
ウニャード様が私のことを知っている、そこに驚くばかりだった私を、ウニャード様は自分が任されている王都の神殿へ来ないかと誘ってくださいました。
ほとんど呆けていた私ですが、この誘いを是非と受け、八歳にして故郷を離れ王都の神殿で暮らす決意をしました。
両親は喜ぶべきか悲しむべきか、いやここまできたら喜ぶべきかと困惑していましたが、最後には笑顔で私を送り出してくれました。
△◆▽
私は小神殿の巡回を続けるウニャード様と神殿騎士について故郷を離れました。
思えばこれが初めて町から出た瞬間。
それからの旅路は見聞きするものすべてが新鮮でした。そしてこれらすべてがニャザトース様の御力によって創造されたものであるという途方もない事実は私を打ちのめすのに充分すぎるものでした。この衝撃は私の信仰心をより確かなものへと鍛え上げることになりました。
やがて巡回の旅が終わり、訪れた王都。
巡回の途中、故郷よりもずっと大きな町に訪れることもあり、その賑わいに驚いたものですが、やはり王都は格が違うと言うべきか、まず都市そのものの大きさに驚き、人の多さ、立ち並ぶ家々の多さと、驚くことばかりでした。
そして何より驚いたのが、これから暮らすことになるウィンディア神殿、そして神殿内にある『ニャザトース様を抱く女性の像』の見事さでした。
そんな興奮するばかりの私のところに、どこからともなく現れてすり寄り、ごろごろと喉を鳴らす猫たち。
実のところ、ウニャード様が私をこの神殿に誘ったのはこの猫たちの世話役をお願いしたいというのが大きかったようです。
最初に説明された時はどうして猫たちのためにわざわざ、と思いもしましたが、理由を聞いて納得でした。
この神殿に暮らす猫たちは普通の猫ではなく、ニャルラニャテップ様に仕える特別な猫たちだったのです。
もしかすると、私の能力はこの猫たちのお世話をするためにあるのではないか?
そんなことを考えながらウィンディア神殿での生活を始めた私は神官となるための修行を続けつつ、一方で猫たちの世話をしました。
ときおり、みなぎる信仰心に突き動かされ猫たちと一緒に神殿内を駆け回り、仲良くウニャード様に怒られるといったささいな暴走もありましたが、神殿での暮らしが長くなるに従い私は次第に落ち着きを身につけ、祭儀官になった頃には神殿を訪れる信徒の方々から『猫の聖女』なんて呼ばれるようにもなりました。
そして十六となってしばらくした頃、王家より神殿に新たなる使徒様が王都に滞在されていることが報告されました。
この知らせには神殿の誰もが――それこそいつも穏やかなウニャード様ですら興奮を隠しきれず、かく言う私はというと、猫たちをとっかえひっかえ抱きあげては踊り出すほどでした。
なにしろ使徒様はニャザトース様と直接言葉を交わした偉大な存在。中にはスライム・スレイヤーのように困った使徒様もいるようですが、その混沌すらもニャザトース様の思し召しであると信徒たちは考えているのです。
王都に滞在中の使徒様はケイン様。
アロンダール山脈に住む守護竜様を友とし、二年ほど大森林の深部で暮らしていたものの、ここふた月ほど前から王都で生活するようになったそうです。
ああ、叶うならばすぐにでも駆けつけてご奉仕したい。
しかしニャザトース教では信徒が使徒様の元へ押しかけることを禁じています。
どうやら過去に信徒が押しかけ、ご迷惑をお掛けしたがための決まりのようですが……まったく、余計なことをしてくれたものです。
とは言え、そう憤慨しつつも、その気持ちがわからないわけでもありません。
なにしろニャザトース様の御姿を目にした方、言葉を交わした方、そんなの押しかけてすべて聞きだしたくなるに決まっています。
使徒様は獣人――特に犬型や猫型に甘いと伝わっています。
私は人より容姿が優れているようですし、きっとケイン様は気に入ってくださってニャザトース教のことを詳しく教えてくれるはず。
しかし、しかし、教えは守らねばなりません。
もう私は神官としてそれなりの地位にあります。この上となると神官長、それこそ小神殿を任されるような立場なのです。
その私が教えに背いてケイン様の元へ突撃するのはあまりに示しが付かない。
さすがのウニャード様も激怒することでしょう。
堪えろ、堪えろ私……!
きっとニャザトース様は頑張る私にご褒美をくださるはず……!
私は懸命に耐え続け、そしてとうとうその日は来ました。
ケイン様がこの神殿を訪れたのです!
神殿騎士の知らせに、誰もが沸きました。
しかし皆で取り囲むようなことをしては、ケイン様がうんざりしてもう神殿に来てくれなくなるかもしれない。
そう考えたウニャード様は、ご自分と、それからオードラン様と数名の神殿騎士で挨拶することに決めました。
私は泣きました。
どうして補佐を務める私をのけ者にするのかと。
ウニャード様は言いました。
会わせるのが不安だからと。
まったくおかしな話です。
この王都で私以上の信仰心を持つ者など、それこそウニャード様くらいしかいないというのに、いったい何を不安に思うのか。
結局、この押し問答は早くしないとケイン様が帰ってしまうかもしれないということで、ウニャード様が折れました。
こうして私はずっと心待ちにしていたケイン様とお会いすることができました。さらにはそればかりか、ニャザトース様の話を聞くことができたのです。
私は必死になってケイン様が語るニャザトース様の様子を書きとめました。この時、私は幸せの中にありました。おそらく私が生まれたのは、このケイン様の話をこうして書き記すためだったのだと確信していました。この記録はいずれ大神殿に保管されることになり、記した私――ニャザトース様を信奉する敬虔な信徒クリスティーニャは確かに存在したのだと、宗教史に残るのだと。
しかし――。
ニャザトース様がペロペロ舐めた前足を、ケイン様の額に押しつけたという話を聞いたことで私の信仰心は新たなる境地へ。
そこに――すぐ目の前に、ニャザトース様との密接な繋がりが存在する。この事実に私の信仰心はかつて無いほどに燃え上がり、しばしの放心の後、私はケイン様にそのおでこをペロペロさせてくださいと申し出ていました。
使徒様は獣人に甘いもの。
これはいける、となかば確信を抱いてのお願いでしたが……。
おかしいですね。
拒絶されてしまいました。
どうやらケイン様は獣人に厳しい使徒様であったようです。
とは言え、これで諦めるわけにはいきません。
信仰心が試されているのです。
私はなんとかケイン様のおでこをペロペロさせてもらえないかと粘りましたが、残念ながらその願いは叶いませんでした。
ですが私は諦めません。
少しばかり強引なペロペロをケイン様が拒絶するなら、拒絶されないような方法、あるいは状況でペロペロすればよいのです。
例えばそれはケイン様と私が恋人同士になるというような状況でしょうか。
なにしろ恋人同士です、ペロペロなんて当たり前です。
ケイン様は特別獣人に甘い使徒様ではないようですが、なにも獣人が嫌いというわけではないようですから、私のような可愛らしい乙女が甲斐甲斐しくお世話していればいずれ好意を抱くはずです。
なんならそのまま結婚だって受け入れます。
使徒様だからというのもありますが、何故でしょう、なんとなくうまくやれそうと言うか、惹かれるものがあるのです。
もしかすると使徒様はみんなそうなのかもしれませんが、さすがに判断はつきません。
ともかく、ケイン様はあまり迫られるのはお好みではないようなので、次の機会では努めてお淑やかに頑張ろうと思います。
問題はその次の機会がいつになるか、ということなのですが……。
ケイン様、また神殿を訪れてくれるでしょうか?
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