第4話 知らぬが仏、知るが修羅
魔法を覚え、ようやく始められたスローライフ。
だが、この森はただ魔法が使えるというだけでスローライフを満喫できるほど容易い場所ではなかった。
森に住む動物たち――場合によっては植物は、もし地球に出現すれば軍隊が出動するような凶悪で馬鹿げた存在であったからだ。
この脅威との戦い――というか向こうが勝手に襲いかかってくるのだが――に、俺は何度も叩きのめされることになった。
そんな状況で俺の助けとなったのが、神さまに施された『適応』だ。この能力は予想よりもずっと強力で、叩きのめされているうちに『適応』して攻撃が効かなくなってくる。
要は我慢してさえいれば、どんな強敵相手でも最後には打ち勝てるのだ。
もちろん、普通の奴なら大怪我を負った時点で心が挫け、そこで諦めてしまうことだろう。だが、俺の胸には不屈のスローライフ魂がやどっており、どんな困難にも挫けることはなかった。
「うおおぉぉ! 高まれ、俺のスローライフよ!」
初めこそ弱者であった俺。
しかし気づけば、森の獣たちを蹂躙する強者となり、ここにきてようやくスローライフを満喫できるようになった。
「ふはははは! 圧倒的じゃないか、我がスローライフは!」
ああ、なんという充足感であろうか。
これがスローライフ。
これこそがスローライフ。
世のスローライファーたちは、こんな爽快で楽しい毎日をおくっていたのか!
この満ち足りたスローライフ生活。
そのなかで特筆すべきことは、シルという友人が一人(?)できたことだろう。
正しくはシルヴェール。
初めて会った時はてっきり森に住む魔女かと思った。
なにしろこんな森の中、その格好が毛皮の貫頭衣とかであれば違和感など抱かないのだろうが、シルはファンタジー感たっぷりの装飾を施された、共布から仕立てられたとおぼしき上着とスボンという、浮くどころか超然とした姿で現れたからだ。
長い髪は黒に近い深紫、瞳は青みのある透き通った紫苑。顔立ちはたいへんな美人さんだが、無駄に毅然としているせいでお堅く見え、近寄りがたい雰囲気を醸しだしてしまっているのがちょっと残念なところ。
まあ実際口調も硬かったりするが、性格の方はだいぶ穏やかで親切な奴だ。なかなかのお節介焼きでもあり、なにかと俺のことを気にかけてくれる。ちょくちょくやって来ては、色々とこの世界の話を聞かせてくれたり、塩や調味料、衣類やちょっとした家具、書物など、俺の生活向上のための援助もしてくれた。
正直、シルには感謝している。
している……のだが、シルはちょっと困ったところもある奴だ。
俺の名前は『
あと、俺を珍しいオモチャかなにかと勘違いしているのではないかと疑いたくなるときも。
三十二のオッサンだった俺を、十六の小僧にしてしまうというたちの悪い悪戯をされたときはさすがに驚いた。
「ふぁ!?」
以前「少しは身なりも気にしろ」と贈られた鏡に映るのは、同じく贈られた異世界の服を身につけた若造。黒髪に濃褐の瞳、世の不条理に対する憎しみが表れでもしたかのような拗ねた顔立ちの、日本のどこにでもいるごく普通の少年に戻った自分。
あれほど自分の姿を眺め続けたことは、元の世界でもなかった。
「ふむ、お前の人相が悪いのは昔からなのか……」
「よーし、シル、今日はお前に異世界の座り方――正座というものを教えてやろう」
そのあと無茶苦茶説教した。
とまあ、シルはまれにとんでもない悪戯を仕掛けてくるが、俺が一番困ったもの、それは――
「なあケイン、やはり私にはお前の言うスローライフというものがいまいち理解できないのだが……」
そう、シルはどれだけ言葉を尽くしても、スローライフを理解してくれないのだ。
「なんでだ……。もう何度も説明しただろ?」
「ああ、聞いた。何度も」
「なんでわからないんだ? ほら、まさに俺が満喫しているこの生活そのものだろ?」
「私には致命的な乖離を起こしているように思えるんだ、そこが」
「なんでだよ!?」
まったく、こいつは本当にスローライフを理解しない。
「しゃーない。じゃあ俺がさらにスローライフらしい生活をしているところを見せれば、なんとなくでも理解するだろ。つーわけで、そろそろこの場所に立派な家を建てることにする!」
「なるほど、聖域の効力も弱まってきているから、安全のためにも頑丈な家を建てることまったく正しいな。手配しようか?」
「おいおい、それじゃあスローライフじゃなくなっちまう。自分が住む家なんだから、自分で木を切り、岩を割り、そうやって資材を集めて建てなきゃ意味がないんだ。へへっ、こいつぁ活きのいいスローライフになるぜぇ……。わくわくしてきやがった!」
「なあ、それはもはや、ある種の開拓なのではないか……?」
「だから、スローライフだっつーの!」
物分かりの悪い友人にあきれつつも、その日から俺は自分の城となる立派なログハウスを建てるべく――
『ギャギャギャァァ――ッ、ギリギギリリリリリィィ――――ッ!』
「やかましいわこの木材! ――ぐあっ、急にビーム放つんじゃねえ! 熱いだろうが! 無駄な抵抗はやめて大人しく俺の家になれ!」
「ケイン! とれてる! 腕とれてる! とれてるぞお前ぇ!」
森に住む魔獣よりも攻撃的でやたら強靱な大樹や――
「おい! ケイン! 死ぬぞ! そろそろ死ぬ! 顔色とか凄いことになってるから! 意地になるな、今日は引け! おいって!」
「んぎぎぎぎぎぎ……ッ! 基礎……家の基礎ぉ……ッ! 適応……早く……早くぅ……ッ!」
不用意に近づくと衰弱死する大岩など、これぞ、と思える資材との死闘に明け暮れることになった。
さすがにこの森でも特にヤバイ奴ら、今や強者となった俺であっても傷を負い、血を流し、時には手足がもげたりした。
しかしそんな目に遭っても、俺は楽しくて仕方なかった。
何故なら、今の俺はかつて焦がれた夢を生き、その夢の象徴となる家を建てるために頑張っているからだ。
「凄い……世界との一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。風……? なんだろう、吹いてきている、確実に、着実に、この俺の方に……」
「おーい、ケイン、あまり物騒な威圧をまき散らすなー。魔獣が森の外にまで逃げて行きかねないからー」
シルはときおりやって来ては、資材集めに奔走する俺のスローライフぶりを見学した。
そわそわと、どうも手伝いたそうな顔をしているときもあったが、自分の力だけで家を建てるという偉業を達成したかったので、お手伝いはやんわりと固辞した。
そして――。
異世界生活二年目。
季節が夏から秋へと移り変わる頃、俺の家はとうとう完成した。
「ああ、家だ……俺が、俺のために、俺の力だけで建てた……スローライフの象徴……」
「よくやったよ、お前は。本当に」
感動に打ち震える俺をシルは讃える。
しかし――
「だが、やはりスローライフはわからないままだな」
「ええぇ……」
俺、超頑張ってスローライフしてたのに……。
「はあ……。まあ、いつか理解してくれたらいいさ……」
無理にスローライフを理解させるつもりはない。
これまでの説明だって、シルが「どうしてお前はこんな場所でこんな生活をしているんだ?」と尋ねてきたのがきっかけだ。
俺がシルに求めるのは、この、スローライフの象徴であるログハウスにときどき遊びに来てくれる、それだけでいいのだ。
とまあ、ようやくしっかりとした拠点を構えたことにより、俺のスローライフはますます充実したものとなった。
そして異世界に来てから三年目――。
ある春の日。
俺は、はたと気づいた。
「これスローライフじゃねえわ! ただのサバイバルだ!」
衝撃の事実であった。
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