第8話 食事当番
その日の食事当番はアメリアだった。いつもの事ながら要領よく味噌汁などを配膳しているアメリアを見て誠は日常を取り戻した気がした。
「誠ちゃん!サービスでソーセージ二本!」
管理部の眼鏡の下士官からトンクを奪って誠のトレーに一本限定のはずのソーセージを載せる。
「良いんですか?」
思わず振り向いた先に嫉妬に狂う同僚達の冷たい視線が突き刺さる。
「良いんだって!」
そうアメリアに言われてそのまま味噌汁を受け取り、誠は自分のご飯を盛り付ける。
「おう、これが飯を食う場所か?」
ランの声が響くと隊員達は一斉に立ち上がり小さなランに敬礼する。司法局実働部隊の副長である彼女は悠然と敬礼を返してアメリアが食事の盛り付けをしているところにやってきた。
「ランちゃんも食べるの?」
アメリアに何度注意しようが『ちゃん』付けが直らないことでランはアメリアの指導を諦めていた。
「おー、朝飯なら食ってきたからな。それより今日はここの施設を見て回ろうと思ってな」
この一言に半数の隊員がびくりと震えた。寮の規則の多くは島田の温情で有名無実なものになっており、多くの隊員は寮則の存在を忘れていたところだった。当然同じように規律を重んじるところのあるランが動けばどうなるか。それを想像して食事をしていた隊員達の箸の勢いが鈍るのが誠にも見えた。
「私達は勤務だけど……菰田君?案内は」
アメリアの言葉にさらに数人の隊員が耳を済ませているのが分かる。技術部整備班班長の島田正人准尉と管理部経理課課長代理の菰田邦弘主計曹長の仲の悪さは有名である。島田の車好きにかこつけて寮則違反の物品を部屋に溜め込んでいる隊員には最悪の事態なのが誠にも見て取れた。
「案内なんていらねーよ。それに菰田に案内させると困る連中もいるんだろ?」
そう言ってランは子供の姿からは想像もできない意味深げな笑いを浮かべる。その姿に隊員達はほっと胸をなでおろした。
「アメリア!飯!」
ようやくかなめが革ジャンを着て現れる。その後ろからはいつもどおり司法局実働部隊の勤務服姿のカウラがついてきていた。
「私はいつからかなめちゃんの奥さんになったのかしら?」
そのまま二人の喧嘩に巻き込まれるのもつまらないと思って誠はそのまま食堂の隅にトレーを運んで行った。
「それじゃあちょっと休むからここ座るぞ」
そう言ってかなめ達ににらみをきかせるように、小さなランがちょこんと誠の前の椅子に座る。それを見て菰田が彼女を見つめている技術部の禿頭にハンドサインで茶を出すように合図した。
「菰田、気を使いすぎると老けるぞ。なー」
ランの言葉はそう言うが、一見幼女の彼女が老獪なのは知れ渡っていて指示された隊員が厨房に走る。
「まったく、つまらねー気ばっかり使ってるなら書類の書式くれー覚えて欲しいもんだな」
そう言って足が届かないのでランは椅子から足を投げ出してぷらんぷらん揺らす。
「やはり器がでかいねえ、中佐殿は。じゃあ……」
「図書館の件も許してくれるのよね!」
隣に座ろうとするかなめを押しのけてアメリアが顔を出した。
図書館。本来は島田が部下に許してビデオやゲームなどを集めた一室を作っていたのが始まりだった。本来なら女性に見せたくないその部屋だが、アメリアが誠の護衛の名目でこの寮に居座ると彼女がさらに大量のエロゲーを持ち込んだ。その圧倒的な量でついには壁をぶちぬいて拡張工事を行い、現在図書館はちょっとした秘密基地と呼べるようになっていた。
「ああ、その件ならサラから聞いてるぜ。勝手にしろよ。ただし……」
ランはそのまま菰田に目を向けた。
「そこでアタシの写真を加工してみろ。どうなるか分かるだろ?」
遼南内戦末期の共和軍の切り札と呼ばれた彼女の鋭い眼光に、菰田が周りのシンパを見回す。
ランの司法局実働部隊副長就任以来、菰田率いる貧乳女性『ぺったん娘』を信仰する秘密結社『ヒンヌー教』は以前からのネ申であるカウラ・ベルガーをあがめる主流派とロリータなクバルカ・ラン中佐を愛好する反主流派の派閥争いが続いていた。
菰田が周りを見回すと同意する主流派と目をそらす反主流派の隊員の様子が誠からも見て取れた。
「おう、分かれば良いんだ。なんだ、神前。食えよ。遠慮するな」
そのテーブルのメンバーを覚えたと言うように一瞥したランの一言で菰田達が乾いた笑顔を浮かべてるのを気にしながら誠はソーセージに食いつく。
「でも中佐殿が来てここの寮の名前がかなり看板に偽りありになってきちまったな。『男子下士官寮』って言うが男子でも下士官でもないのが増えすぎだろ」
アメリアが厨房に去るのを見送るとかなめはそう言ってすぐに味噌汁を啜り始めた。
「別に名前など問題じゃないだろ?」
「そう言うわけにもなー」
カウラをさえぎってランが頭を掻く。
「この寮には隊の厚生費が使われてるからな。管理部の高梨参事からも西園寺と同じこと言われたよ。今度の予算の要求でここの費用をどう言う名目で乗せれば良いかってな。頭いてーや」
そう言うランの前に菰田のシンパの隊員がお茶を運んでくる。
「ご苦労だな」
ランはそれをのんびりと飲み始めた。
「将校だけこの辺のアパートの相場の費用を取れば良いんですよ」
経理を担当しているだけにそう言う時の菰田の頭の回りは速い。だが、厨房から顔を出してものすごい形相で威圧しているアメリアを見て、菰田はそのままテーブルの上の番茶に手を伸ばして目をそらした。
「それは高梨に言ったんだが……手続き上無理なんだと。それと……アメリア。少しは自重しろよ。オメーが一番階級が上なんだからな」
そう言って悠然とランはお茶を飲む。
「上は今度の同盟軍教導部隊のことで頭がいっぱいで、うちには余計な予算はつけたくないのが本音だろうからな」
そう言いながらかなめが白米を口に運ぶ。誠も言いたいことは理解できた。
同盟機構の軍事機関の正式発足に伴い西モスレムで編成される部隊には次々と同盟加盟国のエースが引き抜かれていた。
司法局実働部隊は問題児ばかりで引き抜きこそ無かったものの実働部隊の予算が削られることも当然想定できた。
「まーな。だからオメー等にはきっちり仕事をして……神前。食い終わったらすぐに出る支度をしろ!」
ランにそう言われて誠は我に返って立ち上がった。ランが何も考えずにここにいるわけではないことは誠も分かっていた。そのままトレーをカウンターに返すとそのまま食堂を出て階段に向かう。
「あら、神前さん。お食事は済ませましたの?」
階段では隣に従者のように西を引き連れて寮を案内させている様子の茜とラーナがいた。
「すいません、支度をしてきます」
そう言って誠はそのまま廊下にでる。暖房の効かない廊下の寒さに転がるようにして階段を駆け上がり部屋に飛び込む。ひっかけてあったジャケットを羽織る。
「おい!行くぞ」
そんな誠とかなめの目があってびっくりして顔を上げ、彼女の額に頭をぶつける。
「なんだよ痛えじゃねえか」
かなめに怒鳴られ誠はまだ自分が寝ぼけていることに気づいた。
「行くぞ!」
カウラは素早く扉から身を翻す。誠は立ち上がってかなめ達に続いた。
「おう!それじゃあ行くぞ!」
ラーナに靴の準備をさせてランが待っていた。いつものようにその隣ではほんわかとした笑顔の茜が紫小紋の着物姿で待っていた。
「車はこれ以上乗れねえぞ!」
かなめはそう言うが、誠はたぶんラン達は茜の車で出勤するだろうと思って生暖かい視線で機嫌の悪いかなめを見つめていた。いつも隣の砂利の敷き詰められた駐車場に停められているカウラの黒いスポーツカーの隣に茜の白いセダンが停まっていた。
「どうした……乗れよ」
すでにランは茜のセダンの助手席から顔を出していた。
「ったく餓鬼が」
そう言いながらかなめもいつもどおり後部座席へ体を滑り込ませた。そしてそのまま伸びた力強い腕が誠を車の中に引き込んだ。
「はい!行きましょう」
助手席に乗り込んだアメリアの声で車が走り出す。狭い後部座席。かなめが密着してくるのを何とかごまかそうとするが、目の前のアメリアは時々痛い視線を送ってくる。
「そう言えば島田はどうした?それとサラも。いつの間にか消えやがって」
かなめの声にアメリアが振り返る。
「ああ、パーラが車買ってそれをいじるんですって。ニヤけてサラと島田君のバイクで出かけたわよ」
「好きだねえ、あいつも」
島田から巨大な四輪駆動車を押し付けられたパーラだがさすがに東和では運転しにくいと常々こぼしていた。そんな彼女に島田は仕方なく小型車を探していた。
特に彼は20世紀末の日本車。しかも小型で大出力エンジンを積んだタイプの車である。先日誠も借り出されてネットオークションに常駐してなんとか落札した車が近々隊に送られてくると言う話も聞いていた。
「島田の奴、今日の仕事分かってるのか?」
かなめのその言葉に誠は不思議そうな顔を向けた。
「ああ、お前は知らないのか?今回の発見された死体と昨日の怪物の捜査は昨日の面子で追うことになったんだと」
その言葉にアメリアも振り向く。誠は一人車窓から流れていく豊川の町を見つめていた。
「なによそれ。初耳よ!」
「だろうな。アイツが叔父貴に打ったメールをのぞいてさっきアタシも知ったところだ」
かなめは軍用のサイボーグの体を持っている。当然ネットへの接続や介入などはお手の物だった。
「でも、誠ちゃんは大丈夫なの?」
今度はアメリアは誠に向かって話す。
「いやあ、どうなんでしょうね」
頭を掻く誠に昨日その手にかけた、かつて人間だったものの姿が思いつく。
「今度の事件じゃ茜やラン、そしてコイツが切り札なんだからしっかりしてもらわねえとな」
かなめの言葉にうなづきながら、カウラはハンドルを切って司法局実働部隊の隊舎のある菱川重工豊川工場の敷地へと車を進めた。
「でも、あんなのと遭遇したらどうするわけ?茜さんの話では銃で撃っても死なないのよ」
アメリアの言うとおりだと誠もうなづいてかなめを見る。
「アタシに聞くなよ。なんでも技術部がいろいろ持っているらしいや。アタシも銃を叔父貴に渡してて今は丸腰なんだ」
「貴様が丸腰とは……珍しいこともあるものだな」
皮肉めいた調子でカウラはそのまま司法局実働部隊の前の警備班のゲートに車を乗り入れた。
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