第88話 グライムに教えられる 8

「耐えろよ、馬宮っ!」


「とっととやれ、平家っ!」


 ティホンのハンマーブロウが馬宮の背中を打ちつけるが、馬宮は必死にその痛みに耐えしがみついていた。

 馬宮のタックルはそのまま拘束の役割に変わり、ティホンの下半身の動きに制限をかける。

 そこへ、平家が走り込み大きく腕を振りかぶった。

 まるでパンチングマシーンの的を狙うかのような、ただ純粋に走る勢いに体重を乗っけただけの大振りのパンチでティホンの胸を殴りつけた。


 バンッ、と分厚い筋肉を叩く音が鳴る。

 ティホンは苦痛に表情を歪ませることなく、ただじっと平家に視線を向けた。

 胸にぶつかった何かを確認する、そんな些細な事のようにじっと平家を見た後、その太く大きな腕を振り平家の顔を掴みにいく。

 大振りだけど機敏な動きを見せる腕を、平家は身体を後ろに反らし間一髪避けた。

 

「馬宮、一旦はな――」


 ティホンのすぐ様の反撃に平家は、インファイトの闘いでは分が悪いと判断した。

 正面切って殴りあっても巨体を形作る筋肉の壁が邪魔をする。

 ならば、相手の虚を衝く距離を一歩置いた闘い方に切り替えよう。

 そう馬宮と合わせようとした瞬間、平家を狙い振った腕でティホンは馬宮を持ち上げた。

 背中から回した腕で担ぐように持ち上げ、


「スモウ、カ、コレガ」


 と呟くと、横へと投げた。

 のわっ、と驚きの声を上げながら馬宮は、倒れるチンピラ達の上に落とされた。


 解放されたティホンは続けて、平家に向かい大きく手を突き出した。


「ハリィテェ!」


 酔いが回っているのか、少し浮かれ気味に放たれる手の平の突き。

 直線的なその攻撃は、振りかぶりと大きく速さが異なり、平家に避ける余裕を与えない。

 顔面、肩、胸と次々に押し寄せる殴打。

 まるで機械のアームのように一切の遊びの無い直線運動。

 身長差から来る高さの押し込みは、平家の身体をどんどん地へと崩れさせていく。

 反撃しようにも肩を抑えられ腕が上がらない。

 防御することすらままならない。

 ただ真正面からティホンの無数の殴打を受けるしかない、平家。

 顔は痛みを増すごとに腫れていく感覚があり、胸に手の平がぶつかる度に呼吸は止められる。


「平家さんっ!」


 そう声を上げながら邦子が、平家とティホンの間に強引に入り込む。

 ハリテと称するティホンの手を、邦子は掴むと、拳と拳を掴み合う取っ組み合いの状態へと持っていく。

 ぐぐぐっと筋肉の軋む音をさせながら、邦子は背中で平家の身体を押して距離を開けさせた。

 ロシア人大男との手の掴み合い。

 力が入り軋むのは、手の平から腕、そして胸筋と背筋。

 踏み込む足に力を入れて、邦子は何とかティホンの剛腕に対抗する。


「ガップリ、ヨッツ」


「よく知ってるね、大男。でも、残念、ちょっと違うよ」


 ぐぐぐっと、全身を震わせる筋力の張り合い。

 気を抜けばすぐ様一本腕が折れてしまう、そんな力の圧と流れを全身で感じる。

 呼吸一つ、言葉一つ、綻びを作らぬよう邦子は集中して口から発する。


「……ハッケヨイ――」


 ティホンがそう呟くと手で抑え込む力がグッと強くなり、邦子の身体が押し込まれる。

 背丈の差から来る上からの重圧は、圧倒的な優位性を誇り、邦子の体勢が膝から崩れ始める。


「――ノコッタ!」


 ティホンの掛け声、同時に放たれる膝蹴り。

 上げられたティホンの右足、圧迫し合っていた力の流れが解放されて、邦子の身体は前に引っ張られる形になった。

 前屈みになった邦子の顔面、顎へと当たるティホンの膝蹴り。

 当たるギリギリのところで、邦子は僅かに身体を反らし芯を外すことに成功したが、ぐぅおん、と全ての音をかき消す程の衝撃は邦子の身体を仰け反らせ浮かび上げた。


 離された両手は、即座に追撃へと転じる。

 意識がぶつぶつと切れていく感覚になる邦子は、自分の視線がスローに上へと流れていく錯覚に陥っていた。

 上へ上へと流れる視線の終点、大きな壁が――ティホンのハリテが視界を遮るように迫り来る。

 顔面へ容赦の無い一撃。

 邦子の身体が軽々と押し飛ばされ、その後ろにいた平家を巻き込んで地面に倒れた。


 圧倒的なティホンの武力に、周りにいる僅かに残ったチンピラ達が細やかな歓声を上げる。

 気分が乗ったティホンは、プレハブ小屋の中にあったテレビで見た相撲の真似事を続ける。

 足を大きく広げ、横に高く振り上げる。

 意味など理解せずに真似する、四股。

 ドスンっと大きく音を立て、地面を揺らす。


 邦子、平家、馬宮の三人はその振動を地面に触れた肌で直に感じていた。

 意識はしっかりとしてるものの、立ち上がる為に身体を動かすことが出来なかった。

 地面を揺らす振動、そこにもう一つ別の振動が加わる。

 車が停車する音、ドアが閉まる音。


「安堂さん、先に行きます!」


 入口から響く少女の声、応答する男性の声。

 地を蹴り駆ける足音。

 ダダダッタン、と跳ねる音。


「すみません、遅れました! 斧宮香澄、只今より参戦します!!」


 香澄は大きく宣言しながら挨拶代わりの飛び蹴りを、意気揚々と四股を踏むティホンの顔面にぶち込んだ。


 片足を上げていた巨体がバランスを崩し、どぉんと大きな音を立て地面に倒れた。

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