第24章『贈物』
第060話
「おばさん……。うちが咲幸を貰ってもいいですか?」
風見波瑠が、神妙な面持ちで口を開いた。真っ直ぐな瞳で、倖枝に訴えかけた。
しかし、突然現れた挙げ句にそのように言われても、倖枝はすぐに理解出来なかった。
「……ちょっと、波瑠ちゃん。何言ってるのよ」
だから、少しの間を置き、茶化すように苦笑した。手に持っていた、盆休みを記した紙を扉に貼り――動揺を隠した。
「言葉通りですよ。うちは咲幸のことが好きです」
波瑠は、さらに分かりやすい言葉で気持ちを明かした。
残念ながら、倖枝には冗談を言っているように聞こえなかった。『聞かなかったことにしたい』という意図は断たれた。
「……立ち話も何だし、場所変えましょう。そこにファミレスあるわ。店閉めたら、すぐに行くから」
店の近くに、二十四時間営業のファミリーレストランがある。倖枝が指をさすと、波瑠は黙って自転車に跨った。
もう従業員は帰ったのだから、他に誰も居ないこの店内を使うことも、倖枝は考えた。しかし、ふたりきりの空間は避けたかった。周りに客が居ることで、お互い暴走気味にならない抑止力になる。
盆休み直前に厄介ごとに巻き込まれたと、憂鬱な気分になった。店を閉めると自動車に乗り、指定した店に渋々向かった。
店内は時間の割に、客が入っていた。その中で、ソファーの四人がけテーブルに波瑠がひとり座っていた。
倖枝は明るい所で波瑠の顔を見るが、やはり思い詰めたような表情をしていた。
「ドリンクバーふたつ」
席に案内されると、倖枝は座ることなく店員に注文した。そして、ドリンクバーでアイスティーをふたつ汲み、席に戻った。ひとつを波瑠に渡し、倖枝はようやく腰を下ろした。
「えっと……いつからなの?」
状況が今ひとつ飲み込めなかった。初めから整理するため、訊ねた。
「高校入ってすぐです。部活で必死になってる咲幸が、とてもカッコよくて……」
意外な回答に、倖枝は驚いた。
咲幸が高校入学後、陸上部に所属するまで紆余曲折あったことを覚えている。波瑠が一年生の時からの友人であり、部活動仲間だということも知っている。
その時から波瑠は気持ちを隠し、友人として咲幸に接していた。昨日今日に芽生えたものでは無いようだ。
「でも、舞夜ちゃん……月城さんがさっちゃんに告白して、ふたりが付き合った。モタモタしてたのは、波瑠ちゃんよね?」
倖枝は敢えて、棘のある言葉を選んだ。
咲幸が舞夜と恋人として付き合い始めたのは、昨年の十一月。それまでは、波瑠に充分な機会があったはずだ。なのに今さら拗らせたこと、盆休み直前に打ち明けたことが――倖枝の苛立ちに拍車をかけた。
「ええ。それは否定しません……。別に、コクらなくても、友達として眺めているだけで充分でした」
昨年の文化祭――倖枝が波瑠にふたりの監視を依頼した時には、波瑠としてはもう遅かった。その時には咲幸への好意があったにせよ、倖枝の目には断片すら映らなかった。
「何か、心変わりでもあったの?」
いや、現在になれば予感はひとつだけあった。
あれは、ハンバーガーショップでふたりで会った時のことだった。あの時の波瑠は、咲幸と舞夜に干渉しないと言いつつも、明確に破局を望んでいた。
――咲幸には、もっと相応しい人が居ると思ってるんで。
含みのある言い方だった。それは自分自身を指していたのだと、倖枝はようやく理解した。
「月城が咲幸の彼女面してるのが、許せなくなっただけです」
波瑠は倖枝を睨み、そう漏らした。はっきりとした憎悪が込められていた。
「インハイ本戦で咲幸が敗れた時――あいつは、電話してきただけでした! 彼女なのに、側に居なかった! 咲幸を慰めなかった! それなのに、現在でも彼女面してるんですよ!? おかしいじゃないですか!?」
声の大きさこそ抑えているものの、感情を露わにして倖枝に訴えかけた。
それを正面で受け止め、倖枝が思ったことはひとつだけだった。
無茶苦茶だ――まるで同意できなかった。
もっとも、三十四年間も恋人が居ない身なので、恋愛については分からない点が多い。しかし、一般的な価値観で考えても、舞夜がそれほど責められるのだろうかと疑問に思う。舞夜の態度がおかしいか正常かで言えば、倖枝は後者寄りに感じた。
「ちょっと、波瑠ちゃん落ち着いて……。確かに、現地まで行かなかったけど……あんたら受験生なんだから、仕方ないんじゃない?」
「おばさん、あいつを庇うんですか!?」
「違うわ。そうじゃないの」
結果的に舞夜を擁護することになったが――倖枝は自分自身を肯定したつもりだった。
仕事を言い訳に現地まで応援に行かず、自宅でインターネット配信を観ていた。そして、あの日は舞夜と、咲幸には言えない行為に明け暮れていた。
だから、まるで波瑠から舞夜ではなく自分が責められているかのような錯覚を覚えていた。
「大体……慰めて欲しいって、さっちゃんが言ってたの?」
敗退から帰宅した日、確かに咲幸は、悔しいという気持ちと共に涙を流した。しかし、すぐに気持ちを切り替え、受験勉強に励んでいる。昨日にしろ、咲幸は楽しそうに食事を楽しんでいた。引きずっている様子は見受けられなかった。
あの少女の強さは、倖枝が一番理解しているつもりだった。
「咲幸が言ったわけじゃありません。でも、うちには分かります――咲幸はまだ、悲しんでいます」
「嘘よ。そんなはずないわ」
昨日、咲幸と旅行しようと語り合った。咲幸は現在、ふたりの未来のために勉強している。
それだけは確かなので、倖枝は正面から否定した。
そう。自分が咲幸の一番の理解者だという自信があった。
「嘘じゃありません! 咲幸の奴、空元気じゃないですか!
波瑠もまた、自分が一番の理解者だと主張しているかのようだった。
彼女は咲幸の高校生活で、入学以降一番の親友だ。しかし、それは倖枝には説得材料にならなかった。それに、事実からの根拠ではなく、個人の主観だった。
だから、波瑠の言葉に信憑性が無いように思えた。
「百歩譲ってそうだとして……波瑠ちゃんには、さっちゃんを支えられる自信があるってこと?」
嘘だの本当だのと平行線を辿るばかりになるのが見え、倖枝はその仮定を提示した。
「はい。うちなら出来ます」
波瑠は二つ返事で、躊躇なく頷いた。
ああ、実にバカらしい。倖枝はそう思うが、口にはしなかった。代わりに、溜息をついた。
「それじゃあ、波瑠ちゃんの好きにすればいいじゃない……。ありがとうね、先に私に言ってくれて」
投げやりな態度はいけないと思い、倖枝は肯定する部分を付け足した。もっとも、事前の断わりなく波瑠が独自で行動したところで、咲幸の気持ちは変わらないだろうが。
「わかりました。それじゃあ、頃合いを見て、好きに動かせて貰います。……てっきり、おばさんはうちの味方をしてくれると思ってたんで、なんか意外です」
波瑠は苦笑した。
倖枝には皮肉に聞こえると同時、今夜は泣きついてきたつもりだったのだと理解した。
「悪いわね。私は誰の味方でもないの。……さっちゃんが幸せなら、誰とお付き合いしようと構わないわ」
それは嘘ではないが、あくまでも建前だった。倖枝としては、咲幸が誰と付き合って欲しいのか――本音は伏せた。
「そうは言っても、うちには月城の肩を持っているように見えますけど……。それじゃあ、失礼します。夜分にすいませんでした」
波瑠は減らず口で皮肉を残した。礼儀正しく頭を下げると、立ち去った。
ひとり取り残された倖枝は、ストローの紙袋を指先で弄びながら、過去を振り返った。
昨年の文化祭――初めて波瑠とふたりで会った時は、舞夜から咲幸を引き離すことを考えた。そして、クリスマスに咲幸との一件があって以来は、咲幸と舞夜を繋げようとした。
その方向転換に、波瑠が驚いていたのを覚えている。彼女にとっては現在もその延長なのだから、舞夜の味方をしていると思われても仕方がない。実際は、違うというのに――
そう。波瑠は変化に気づいていない。
波瑠が咲幸を貰う? どうぞ好きにすればいいと、倖枝は思う。
咲幸が波瑠になびくことは、絶対にあり得ないのだ。咲幸の本心も、咲幸が舞夜と上辺だけで付き合っていることも、あの小娘は知らない。一番の理解者を自称しているが、最も遠い存在だ。
咲幸を巡る関係を全て把握している倖枝は、ひとり嘲笑った。
それは勝者の笑みでもあった。倖枝には余裕があった。
しかし、内に秘めた決意は確固として揺るがないものであった。
波瑠にでも、舞夜にでもない――咲幸は誰にも渡さない。
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