第41話

 蓮月と市の戦いは森の中から街道へ移動していた。

 穏やかになった陽光の代わりに、間断なくきらめく火花が咲いていた。

 市の斬撃を蓮月の鎖鎌が受ける。

 蓮月の方がされていると言えた。

 なにせ蓮月は鉄太郎との死闘からの連戦だ。

 それに居合斬りの鋭さだけを見れば、市は鉄太郎を上回ると言っても過言ではない。

 だが、市から見れば、蓮月の鎖鎌が鉄壁となって攻撃を阻んでいる。

 市は攻撃の手を止めた。軽く息を吐く。すぐに呼吸は整った。身体に傷は負ってはいるが体力にはまだ余力がある。

 蓮月の方を見据える。見えてはいないが、これほどの攻防を繰り広げても、蓮月の身体にはいまだ傷ひとつないことは分かっている。

 ――次の攻撃で仕掛ける。

 蓮月の方は息が荒い。うっすら汗が浮いた顔に黒髪がはりついている。

「先ほどは失礼なことを言ってしまいましたね」

 蓮月が涼やかな美しい声を発した。

 市は油断なく逆手に持った刀を眼前に構える。

「あなたは強き者です。目が見えぬのによくぞここまでり上げましたね」

「山岡先生のかたきをとる」

 市は険しい顔を蓮月に向ける。

「あなたのような可愛らしいおなごに好かれるとは、山岡さまは素敵なお方なのですね。あいにくと立ち会いの中でしか語り、触れ合うことはなかったのですが。わたしも山岡さまを愛おしいお方と思っております」

「だまれ」

 感情をあらわにした市を、蓮月は慈しみの笑みで見つめた。

 市は道中合羽を外して、蓮月の目の前に大きく広げた。

 一閃、二閃、三閃。

 合羽ごと蓮月を居合斬りした。

 だが、合羽の向こうから現れる斬撃を蓮月はなんなくかわしていた。

 切り裂かれた合羽が地に落ちると、市の姿は消えていた。

 蓮月は地面に目を走らせる。

 市の黒い影。

 左後方に飛んでいる。

 蓮月は身体を前に倒した反動で、右手を下から後方に振って鎖鎌を投げた。

 ――この攻撃も弾くはず。

 だが、意外にも手ごたえを感じた。

 市は広げた道中合羽に紛れて、蓮月の後方に回ってから跳躍していた。

 やはり蓮月はあやまたずに鎖鎌を飛ばしてきた。だが、それは市の思うつぼであった。

 鎖を左腿で受けた。刃が深々と刺さる。

 ――一本奪った。

 右足だけで着地して倒れこむように蓮月に迫る。

 逆手に持った刀を下から斬り上げる。

 蓮月は残った鎌で受けた。

 ――二本取った。届け!

 市は左の拳を突き出した。

 蓮月は瞬時に身体を退いてそれすらも紙一重でかわしていた。

 だが、市は口辺こうへんに微笑を浮かべる。

 ――届いた。五寸釘ありがとう。 

 水鏡は使うことができない――。

 蓮月は肉薄する距離から市が突き出した拳を後方に滑るように身体を退いてよけていた。

 ――これは五寸釘。

 信じられないものを見る目で蓮月は己の身体を見下ろした。

 市の拳の指の隙間から一本の五寸釘が突き出ていた。釘は蓮月の胸に深々と刺さっていた。

 市が小田原宿で命を落とした五寸釘から形見として受け取ってきた釘であった。

 元より大きな負傷ではない。ただ、金城鉄壁きんじょうてっぺきの如き己の防御をかいくぐって、市に一撃を命中させられたことに蓮月は驚愕をしていた。

 蓮月はよろめきながら一歩退いた。

 すかさず市が蓮月を蹴り飛ばす。

 蓮月は砂塵をあげて仰向けに倒れた。

 市は左足をひきずりながら刀を持って蓮月に近づく。両手で握った刀を突き下ろそうと振り上げた。

「こん勝負は決着だ! 刀をおろしてくれ」

 太い声と大きな身体が割って入ってきた。

 倒れている蓮月をかばうように覆いかぶさる格好で抱きしめて、市に背を向けている。

西郷吉之助さいごうきちのすけさま――」

 蓮月は信じられないものを見る声をあげた。

 四角い顔に大きな黒目、恰幅のよい身体。まごうことなき西郷吉之助がいた。

「西郷――。なぜここに」

「半次郎に聞いてきた。蓮月どの、あなたがここで戦うちょっと」

 市は刀を止めていた。

「そこをどけ。さもなければ、あなたごと刺す」

「おいは死んでも構わん。おいのせいでおぬしらにいらぬ殺し合いをさせてしもた――」

 咆哮のような声には悲痛の色があった。

「おいは益満休之助が持つ秘宝――地の龍を手に入れる勅命ちょくめいを利用した。官軍の江戸への攻撃を止めるために鬼童衆とそなたら旧幕府側ん者らん命を捧げる策を講じたのだ」

「益満休之助はお満さまのことだな。地の龍とはなんだ」

「それは知らん方がよか――」

 西郷の声が一瞬神妙になった。

「そいより、おいは江戸に住ん者の命を救いたかった。武力による倒幕ではないも生まん――」

 西郷が市の方に顔を振り向ける。その顔は涙に濡れていた。

「だが、おいがやったことは同じことやった。倒幕すっために捧ぐっ命ん数が少なかればえちゅうこっじゃらせんじゃった。一つ一つの命は等しゅう大切やったど――」

 再び、西郷は蓮月を見下ろした。

「そしておいは愛すっ者ん命までも散らそうとしちょった」

「西郷さま」

 蓮月の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。

「おいを殺して、こんおなごん命は救うてくれ」

 西郷の小山のような背中が訴える。

 市は音を立てて仕込み杖に刀を納めた。

 西郷が身体ごと市に振り向く。

「強きお方――。あんた山岡先生に似ているよ」

「山岡……鉄太郎……」

 市の仕込杖が銀色の光を放った。再び鞘に納めた音。

「う」

 蓮月は右手首を押さえていた。

「腕のけんを斬った。もう太田垣蓮月は戦えない。この闘争、あたしたち旧幕府方、山岡鉄太郎さまの勝ちだ」

 市は振り向くと、左足を引きずりながら西郷と蓮月を残して歩き出した。

「山岡鉄太郎」

 市を見送りながら、西郷は呟いた。

「徳川慶喜さまの名代みょうだいです。あの者たちが命を賭けるほどのお方です」

「駿府で会うてみよごたっもんじゃな」

「もし――」

 蓮月が市に声をかけた。

「此度の立会人、益満休之助さまから、わたしは地の龍について聞き出しました」

 市は立ち止まる。

「まことか」

 西郷が蓮月の顔を見る。

「わたしが知ることをお話しましょう。山岡鉄太郎さまにもお伝えください」

 市は振り返った。


 ――こんなことが。

 市は仕込み杖をついて、左足をひきずりながら東海道を西に向かっていた。

 左腿の傷は深く、布できつく縛っているが出血は止まらない。

 ――早く山岡先生に伝えないと。

 蓮月から地の龍について驚天動地きょうてんどうちの事実を聞いた。

「からすが鳴くからかーえろー」

 可愛らしい声とともに数人の童たちが駆けてきてすれ違う。

 ――なんだ。

 市は奇妙な感覚に囚われた。

 この道中で幾度か感じた違和感。

 藤沢宿での僧形の一団が皆同じ人間に感じたこと。

 小田原宿を発つときに現れた槍使いにも同じ気配を感じたこと。

 そして今、またもや同じ気配を感じている。

 だが、童たちの足音しかしない。

「あ――」

 市は腹を刺されていた。

 誰に。まさか、童のうちの一人が。

 市の耳元で嗄れた声が囁いた。

「まだ闘争は終わっておらぬぞ。この我刀院凶念がおるかぎりな。ふぉふぉふぉ」

 童たちは駆け去っていく足音。

「からすが鳴くからかーえろー」

 市はその場に膝をついた。

「山岡先生に伝えないと。早く……」

 そのまま倒れ伏して動かなくなった。

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