第35話

 山岡鉄太郎と原田左之助はここに対峙した。

 鉄太郎が静かに立っているのに対して、左之助は小刻みに左右に動いて槍をゆっくり旋回させている。

 ――どうくる。

 左之助は踏み込んで横に構えた槍を左に振って、右端の穂先で斬りつけてくる。

 鉄太郎は刀で受けた。

 左之助は続いて反対の右に振って、左の穂先で打ち込む。

 両端に穂先があるこの槍ならではの刀より早い連撃であった。

 だが、鉄太郎はなんなく刀で弾き返した。

「さすがは山岡さんだ」

 左之助は嬉しそうな笑みを浮かべた。

 そのあとも左之助は同じような攻撃を仕掛け続けたが、鉄太郎はことごとく受け流した。

 いや、三度目にいたっては完全に槍の動きを見切って、上半身を振るだけでかわしていた。

 それも当然であった。

 ――義兄あに上の槍の方が数段上であるな。

 高橋精一郎たかはしせいいちろうは槍の名人であった。幕臣の武術鍛錬を目的とした講武所こうぶしょ開設と同時に槍術教授出役に抜擢されている。その後、槍の腕前をもって将軍警護役である遊撃隊頭並まで出世している。

 高橋精一郎は実兄である槍の刄心じんしん流の名手であった山岡静山やまおかせいざんを師と仰ぎ、多くの影響を受けていた。

 山岡静山は凄まじい人物であった。厳冬に裸身で腹に縄を巻き、汲み置いた水が凍っているのもいとわず砕いてかぶった。また、二貫三〇〇匁(約八・六二五キロ)の槍を毎日千本突くことを欠かさなかったという。

 しかし、静山は二十七歳の若さで病没した。

 短い間だったが、鉄太郎も静山に師事していた。

 鉄太郎は精一郎と毎日のように道場の稽古で手合わせをした。槍も達人並みに使うことができる。

 鉄太郎が流れるように進み出て刀を左之助の槍と合わせる。

 槍の動きを刀で操って地面に向けて落とす。

 左之助は槍を手放さぬように前かがみの姿勢になった。

 鉄太郎は槍のつかを蹴り上げた。

 槍は手から離れて、左之助の背後に落ちた。

「ここまでにしておけ」

 鉄太郎は切っ先を左之助に向けた。

「さすが山岡鉄太郎さんだ」

 左之助は苦笑しながら背を向ける。

「今のは覚えた」

 ぽつりと呟いて槍を拾いあげる。

「もう一度やりましょうや」

 腰を落として再び槍を構える。

 鉄太郎は目を見張った。

 左之助はすぐに間合いに踏み込んで、槍を振るう。

 すでに鉄太郎は槍を見切っている。

「ほらほらー」

 だが、先ほどより早さが増している。

 身体を動かすだけで避けるのが厳しくなってきた。

 たまらず刀で受けた。

 先ほどと同じように槍を下に落とす。

 左之助も同じく前かがみの姿勢になった。

 鉄太郎は再び槍の柄を蹴り上げた。

「ほらきたー」

 同時に左之助は飛び上がった。

 空中で槍を手に取って背面に一回転して着地した。すでに槍の構えをとっている。

「覚えたと言ったでしょう。もうその手は食いませんぜ」

 左之助は不敵な笑みを浮かべた。

 鉄太郎も知らず笑みを浮かべていた。

 理由は分からないが、原田左之助はこの戦いの中で力も早さも増してきている。

 鉄太郎の強敵に相応しい存在になりつつある。

 左之助は鬼童衆の術中に陥っているのかもしれない。

 だが、二人の立ち合いは今より命のやり取りになった、と鉄太郎は実感した。

 鉄太郎はなぜかそれが嬉しかった。剣士としての本能か。

「原田、もう一度来い」

「へえ。旦那もやる気になりましたね」

 原田は打ち込んで来た。

 先ほどよりさらに力強い斬撃を繰り出してくる。

 ――やはり、どんどん力が増している。

 だが、攻撃のことごとくを鉄太郎は受け流していた。

 ――ここで決めねばまずい。

 鉄太郎は三度みたび、刀で槍を押さえつけた。

 左之助も三度、前かがみの姿勢になる。

 またしても鉄太郎は槍を蹴り上げた。

「無駄無駄ー」

 左之助は飛び上がった。背面に一回転して着地した。

 だが、不思議な顔をしている。

 その手に槍はなかった。

「あれ」

 槍は鉄太郎の手にあった。

 鉄太郎は槍を蹴り上げると同時に左手で槍を受け止めていた。

 そのため、槍が宙に上がることはなかった。

「さすがは山岡鉄太郎」

 左之助がにんまりと昏い笑みを浮かべる。

 鉄太郎は左手の槍を振った。

 左之助の右胸が横に裂けて血がしぶいた。

 浅手あさでだ。左之助が鬼童衆の術にかかっている恐れがあるので手加減はした。

「槍を奪った。おまえに勝ち目はない。ここで止めておけ」

 左之助は胸の傷を見て、手で血を拭きとって舌でなめた。さらに口の周りに血を塗りたくる。

 鉄太郎は目を細めた。

 刹那、左之助は両手を広げて獣のように鉄太郎に飛びかかって来た。

 鉄太郎は思わず槍で左之助の胸を突き刺していた。いや、左之助が槍に向かって飛び込んで、自ら刺さってきたのだ。

「原田、何をする」

「返せ! おれの槍を返せー」

 恐ろしい形相で、目は血走り、口からは涎が垂れている。

 左之助は身体に刺さった槍を構わずにさらに押し込んでくる。穂先が見えなくなるまでに深々と刺さっていく。

 鉄太郎は槍を手放していた。

 左之助は胸に刺さった槍の柄を握って狂喜しながら後ろにさがった。

「おれの槍だ。戻ってきた」

 左之助は躊躇なく思い切り槍を引き抜いた。血が噴出する。

「おい、原田」

 鉄太郎は思わず手を差し伸べた。

 原田左之助が死んでしまう。

「人が良いなあ、山岡鉄太郎。ふぉふぉふぉ」

 明らかに左之助の声音が変わった。

 鉄太郎は眉をひそめる。

「それでは鬼童衆すべてを倒すことはできぬぞ」

「なに」

「薄々気づいているだろう。わしは鬼童衆が一人、牙刀院凶念がとういんきょうねん

 原田左之助の口が言う。

「わしは人の身体に己の魂を移すことができる。今は原田左之助の身体を借りておる」

「なんだと」

「八瀬忍法飛魂門ひこんもん――」

「忍法だと」

「わしの魂を移した者は力と技が増す。そして一度受けた攻撃は覚えて見切ることができる」

 鉄太郎は先ほどの戦いの流れを思い返した。牙刀院凶念という者が言っていることに偽りはないようだ。

「さらにわしは魂を分けて、幾人かの人間を操ることもできる。最も、その場合は一人一人の力はさほど強くはならぬがな」

 左之助こと凶念は追いかけてきて倒れ伏している群衆に目を向ける。

「心配しなくてもあの者どもは半刻|(一時間)もすれば目が覚める」

 鉄太郎は凶念の言葉に息を飲むばかりだ。

 鬼童衆たちの忍法はこれまでも驚くべきものばかりであった。

 だが、この牙刀院凶念の飛魂門は想像を絶していると言わざるを得ない。

「この原田左之助はすでに死んでおる。つまりわしは死人しびとをも操ることができる。ふぉふぉふぉ」

 気味の悪い笑い声が耳に残る。

「きさま」

「さて、山岡鉄太郎。おぬし死人と立ち会ったことがあるかな」

「なにい」

「ないわなあ。ここからがまことの勝負ぞ、山岡鉄太郎」

 瞳の光を失った原田左之助が猛獣のような勢いで鉄太郎に向かってきた。

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