第60話『けーくんという男の子』

 〇作者より

 リメイク後の第8.9話を読まれていない方は是非そちらも併せて読んでください。



 ――


『恋をしたかった』


 ――うるさい。


『あんな男に恋なんてするんじゃなかった』


 ――うるさい。


『どうしてわたしは選ばれなかったんだろう、あんなにがんばったのに』


 ――うるさいうるさいうるさい!


 頭の中、木霊のように女性の声が鳴り響く。

 気づいたらわたしの頭の中に、毎日のように声が響くようになった。


 この声が聴こえるようになったのは幼い頃、まだ小学生に上がる前。

 お母さんに声のことを伝えたら脳外科というお医者さんの所へ連れられた。


 異常は何もなかった。


 だけど、病院に行ってからも、毎日のように、怨念のように声が響き続ける。

 怖くて、気持ち悪くて眠れなくなる日もあった。


 だけどそれ以上に――。



 

 

 彼女たちの声があまりにも寂しかった。


 


 

 声から逃げるように勉強へと打ち込んだ。

 何かに集中していれば、声は気にならなくなった。

 だから手っ取り早いのが勉強だった。

 

 周りはわたしのことを天才というけれど。

 ただ少しでも頭の中の声から逃れたい、それだけの思いで勉強し続けていただけ。


 ただ逃げていただけだった。

 

 小学生に上がった頃には、既に声の存在が当たり前になっていて気にならなくなっていった。

 毎日のようにうるさいけれど、そういうものとして普通に過ごせるくらいに諦めてしまった。


「ぜったいにやめるべきだよ」

「うーん、でもママの頼みだから……」


 これは親友であるりなちゃんとの会話、この日わたしはある男の子へ会いに行くこととなった話を親友である彼女だけに伝えた。


 相手の男の子はお母さんの親友の子供、外に出ることへ恐怖を抱いていてずっと家にいるらしい。

 お母さんの話だと年が同じわたしと触れ合うことで、女の子に慣れてもらう……というのが理由らしい。


 りなちゃんはしきりに『やめるべき!』『男なんて根性がないんだからほっときなって!』と妙に強く反対している。


『男は横暴な存在、私たちのことを人間だと思っていない!』

『なんであいつが選ばれて私は選ばれなかった? なんでなんでなんで――っ』


 ――うるさい。


 男の子と会うことが決まった日から脳に響く声が強くなった。

 おかげで最近は頭痛が続いている。


 ……わたしだって別に会いたくなんてないもん、でもお母さんの頼みだから仕方なく行くだけ。


 こんなに毎日のように怨念の声を、男の人に対する悪口を聴かされているんだ。

 わたしは男の人に生であったこともないし、話したこともないけど。

 だけど彼女たちの怨念の声に、自分でも無意識に彼女たちの声が刷り込まれて男の子に対して良い感情を持ち合わせていなかった。


 はっきり言って今後男の子のことが好きになれる自信を持てなかった。




 

 迎えた当日。

 わたしはお母さんに連れられて『一ノ瀬』さんのお家にお邪魔した。


 そこで出会った男の子は……。


 テレビや雑誌で見るどの男の人よりも輝いていて、キラキラしていた。


 ――生で見る男の子ってこんなに輝いているんだ。


 わたしたちの町に男の子は一人もいない、これが正真正銘初めて男の子と出会った日だった。


 ここに来るまで騒いでいた頭の声が鳴り止む。

 まるで彼の輝きに言葉を失う様に。

 

 目の前の彼……一ノ瀬恵斗君と紹介された男の子は警戒している、といった様子だ。

 そして、どうすればいいのかわからない。


 そういった風に見えた。


 だからわたしは元気よく声を掛ける。


「こんにちは!」

「こ、こんにちは……」

「わたし早川希華! まれかってよんでほしいなっ」

『男男男おとこおとこおと――っ』


 頭の中の声が再び起こる。

 

 ――うるさいなぁ。

 ――今わたしは彼と話そうとしてるんだから邪魔しないでよ。


「ま、まれ……かちゃん、よろしく……、ぼ、ぼくは一ノ瀬恵斗……です」


 ――キュンってきた。

 

 噛んでしまっただけなんだろうけど、彼の口からでた『まれ』って言葉がわたしの何かをときめかせた。


「あ、今の”まれ”ってよびかた好きかも?」

「え、えぇ……?」

「わたしはそうだなぁ……”けーくん”ってよぶよ! けーくんには”まれ”ってよんでほしいなっ!」

「え、えぇと……まれ、ちゃん?」

「えへへっ、けーくん!」


 ちょっと無理やりすぎたかもしれない。

 でも、親友のりなちゃんみたいに、男の子から『まれ』って呼ばれることが凄く嬉しかった。


「ねぇねぇ、けーくんはいつも何して遊んでるの?」

「え……、うーんと妹とゲームしたりしてるかな」

「わたしもゲームするの好きだよっ、一緒にやろうっ!」

「うん……じゃあお部屋にいこっか」


 けーくんから自然と手を引かれる。

 初めて触れる男の子の手は、わたしの手よりも固いけど、暖かくて優しい感じがした。


 けーくんは、女の子が怖いというよりは、幼い頃自分を見世物のように見つめる幾多の眼がトラウマになって家から出られなくなってしまっただけだった。

 今はまだ怖がってるけど、こうしてわたしと話していることを心から楽しんでいるようにも見えた。

 

 わたしにとっては初めてであった男の子と。

 学校で習う様な男性像、他の女の子、怨念たちから聞くような男の人と違って優しくて、とっても話しやすい。

 

 知らずのうちに彼へと惹かれるようになっていった。

 このことをりなちゃんに話すと複雑そうな顔をしていたけど……まぁいっか。


 そしてなによりも――。

 けーくんと接することになってからあの声は少しずつ、鳴りを潜めるようになった。

 

 それからわたしとけーくんは仲良くなっていって、彼の家に通うことが日課になっていった。


 そしてある日のこと――。


 「けーくん、今日も一緒に遊ぼう!」

 

 学校終わり、いつものようにけーくんのお家へ遊びに来た。

 彼の部屋へと入ると少し照れくさそうに、でも嬉しそうにしている。

 

 その顔を見るだけで、わたしは心がふわっと温かくなる。

 彼が少しでも笑ってくれたら、それだけで今日も素敵な一日だと感じるのだ。


 おままごとセットを広げて、二人で部屋の中の小さなスペースに入る。

 この場所は、けーくんの部屋の中で一緒に作った大切な場所。

 何故か最近同じような専用スペースがふたつも出来たけど、理由はわからずけーくんは曖昧に笑うだけだった。


 おままごとを進めながら、わたしはお母さん役に成りきり、小さなぬいぐるみを自分たちの子供としていた。


 けーくんとの子供……えへへ。


 あ、違う違う。

 内心動揺しながらも、けーくんに悟られないように振舞い口を開く。

 

「このぬいぐるみたち、わたしたちの子供みたいだね」


 と、役に成りきって話す。

 けーくんは気にした様子もなく『そうだね』と頷きつつも、少し顔を赤らめているように見えた。


 ――もしかして本当にわたしとの子供を想定してくれてるのかな。

 ――そうだとしたら凄く嬉しいな。

 

 勝手な思い込みで内心ニヤケそうになるも、そのまま続ける。


 ――だからだろう、気を付けていたのに言ってはいけないことを言ってしまった。


「この子たちが大きくなったら、外にも遊びに行けるかな?」


 ふと漏れたその言葉に、けーくんは少し固まった。

 わたしはすぐに『やっちゃった』と思った。

 彼が外に出ることに対して恐怖心を抱いているのは知っていたから。


 でも、次の瞬間、けーくんは小さな声で答えた。


「……わからない。でも、まれちゃんと一緒なら、外も怖くないかも……」


 その言葉に、わたしの心臓は跳ね上がった。

 けーくんが自分をそんな風に信じてくれているなんて、思ってもみなかったからだ。

 思わず彼を見つめると、彼の表情はいつもより柔らかく見えた。


「そうだね、けーくんと一緒なら、どこにだって行けるよ」


 だからわたしは笑顔でそう答えると、けーくんは小さく頷いた。


 ――嬉しかった。


 けーくんが自分を信頼してくれている、それが心の底から伝わってきた。

 彼にとって、わたしが安心できる存在でいられることが何よりも大切に感じた。


 でも、最近……少しだけ違う感情が芽生えてきていた。

 

 けーくんと一緒にいると、なんだか不思議な気持ちになる。

 彼の笑顔を見ると胸が温かくなって、彼が少し照れていると、なぜかわたしも顔が熱くなる。

 そんな感覚は初めてで、なんだかよくわからない。


 「けーくん、次はどんな遊びをしようか?」


 と尋ねた時も、彼はいつもより少し恥ずかしそうに。


 「なんでもいいよ。まれちゃんと一緒なら、楽しいから」


 と答えてくれた。

 その言葉を聞いて、わたしの脳内に声がまた響く。


『意味がない意味がない意味がない』

『結局男なんて私たちを子供を産む道具にしか思ってない!』

『どんなに愛してもあいつらはわたしを見ない――っ!』


 ――そんなことない!

 ――けーくんはそんな男の子じゃない!


 理由はわからないけど、心から否定だけは出来た。

 

 自分の気持ちの正体にこの時は気付いていない。

 だけど、彼を思う気持ちが日に日に増していくのは確かだった。


 

 


 そして――あの事件は起きる。

 たまたまわたしがけーくんの家に忘れ物をしてしまって。

 そんなことも知らずに呑気にわたしはけーくんに抱き着いていたら……。


「や、やっとご尊顔が見られた……っ! この子があの一ノ瀬恵斗君ね!」

「カメラを早く! 貴重なシーンよ!」

「え、え!?」


 諦めの悪い大人たち、長年けーくんが家に閉じこもるきっかけとなった悪い大人たち。


「この地区初めての男子の一ノ瀬恵斗君、 取材をさせてください!」

「おほぉ……っ、カッコよさで眩しい」

「この記事は売れるわよ……っ!」


 彼の後ろにいるので顔は見えない、でもけーくんの手はグッと握りしめたまま震えていて、足はまるで地面へと張り付いてしまった。そんな風に見えた。


「一ノ瀬恵斗君、どうして今まで外に出なかったの?」

「どうして今抱き合ってたの?」

「その女の子は誰、特別な関係なの?」

「答えてよ、一ノ瀬恵斗君!」

「男の子として、あなたの将来の夢を教えて!」


 怖がる彼を無視して一方的に話し続ける記者たち。

 わたしは恐る恐るけーくんの名前を呼んでみたけど、彼が返事をすることはなかった。

 

 

 ――許せない。


 彼は閉じこもりたいわけじゃなかった。

 ただあなたたちみたいなのがけーくんを怖がらせたから、家に閉じ篭らざるを得なかったんだ!


 居ても立ってもいられなかった。

 わたしのをいじめる奴らが許せなかった。


「けーくんをいじめるなっ!」


 だからわたしは彼の前に立ちふさがった。

 けーくんを守りたい、もうこの人の顔を曇らせたくない!


「……まれちゃん」

「ちょ、ちょっと何よこの子……」

「けーくんをいじめたらゆるさないんだからっ!」

「わ、わたしたちはそんなんじゃ……っ」

『おとこおとこおとこおと――っ』

「うるさーい! けーくんからはなれろぉっ!」


 そして悪い大人たちは警察官に連れられて行った。

 

 お母さんたちが警察の人と話しているのを見るけーくんの背中は……なんだか悲壮感があって。

 どこかに行っちゃう、生きているのを後悔しているように見えたからわたしは――っ。

 

 「けーくん、だいじょうぶ? こわかったよね?」


 いつものように振舞って、けーくんに声を掛けた。


「もうだいじょうぶだから! わるい人はいなくなったよ!」

「うん……、そうだね……」


 ――そんなに悲しい顔を見せないで、笑ってよ。

 ――いつものように優しい笑顔を見せてよ。


 けーくんに笑ってほしい、元気になってほしい。

 だからわたしがとった行動は……。


「よくがんばったね、外、こわかったはずなのに……、がんばったねけーくん」


 夢中で彼を抱きしめた。

 彼を慰めようと、安心させようと背中を壊れ物を扱うように優しく、そっと撫で続けた。

 

「けーくん、もう大丈夫だよ。わたしがずっとそばにいるから怖くないよ」

「う、うぅ……っ」

 

 好きな人に悲しんでほしくなくて。

 またいつものように笑った顔を見せて欲しくて


 夢中で彼を抱きしめ続けていた。


 



「んっ……」


 キス、大好きなけーくんとキスをしている。

 いつものように心が満たされる、わたしが心から愛する人とのキス。


 このままずっとキスをしていたい、彼とずっと一緒に居たい。


 けれど時間は無限じゃなくて……。


「あっ……」

「チャイム、鳴っちゃったね」


 昼休みの終わりを知らせる鐘の音でけーくんとくっついていた距離が広がる……。

 お昼は食べそこなっちゃったけど、けーくんとずっと一緒に居られたし……いっか。


「じゃあけーくんまたね、部活がんばってっ」

「あぁ、絶対ライブ成功させるよ!」


 最後にもう一度、彼の教室の前でキスをして別れる。

 他の生徒もいる廊下でしちゃったから、周りの声が耳に響く。


『お、王子急な浄化は心臓に悪いよ、やるなら予告して!』

『え、なんかごめん。ところで浄化ってなに?』

『浄化どころか消えてなくなりそう……』

『いったいなにが!?』


 教室に入っていったけーくんとクラスメイト達のやり取りが聴こえる。


 けーくん、本当に変わったなぁ。

 昔のように女性を怖がることなく、今では積極的に自分から話しかけに行くんだから。


『……あの人に愛されたかった』


 教室へと戻る際中、頭の中の声が語りかけてくる。

 今も声は聞こえてくるけれど、けーくんに恋したあの日から、脳に響く声は柔らかくなった。


 ――大丈夫、幸せになるよ。


 だって、わたしにはこの世で一番大好きな人が傍にいるんだから。


 ――

 〇作者よりあとがき

 第1章のリメイク完了しました!

 是非そちらも楽しんでください!

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