6-5
とある夜の街の片隅で、ホウジャクは寒さに悴む手を擦った。そして、店から出てくるとある少女を見つけると、近づいた。
「よっ!」
「ホウジャクさん!」
少女は自分を見つけると、パッと顔を輝かせ、子犬のようにやって来た。翡翠石のように煌めく眸(ひとみ)に、にっこりと微笑む自分の顔が浮かぶ。嘘くさい、笑顔だ。自分はこんな顔ができるのか、と思うほどだ。
ナナホシが中枢部の図面を造り上げる半月の間、彼はこの女を落とすことに躍起になっていた。アゲハやジガバチには頼ることはできそうにもなかった。これは、彼らへの罪滅ぼしでもあった。エデナゾシンの拮抗剤を完成させて、作戦に挑みたかったのだ。
と、言うのは自分の行動を正当化させる建前だった。本当は――。
「今日もアレ、持ってきたの?」
「うん! この前は、最高だったでしょ? パパに言えば、いくらでもくれるのよ」
二日前の情事を思い出す。確かに、悪くなかった。愛していない女を抱くには、ラリっていた方が一番楽だ。そして、恐らくその媚薬の正体はエデナゾシンだった。打ちこんだ後の感覚が、ジガバチの供述と酷似していたからだ。
「そう言えばね、パパにホウジャクのこと話したのよ。会おう、だって! よかったねぇ!」
にんまりと口角が吊り上がるのを堪え、「助かるなあ」とクールに呟く。この女は用済みだ、と彼は心の中でほくそ笑んだ。
部屋に入ると、すぐに彼女は首筋にエデナゾシンを打ちこんだ。ベッドに仰向けになると、彼の名前を愛おしそうに呼ぶ。鳥肌が立ちそうになった。
前髪を触ると、あどけない輪郭に産毛があらわれる。ナナホシと同じくらいか、少し年下だろうか。
ホウジャクは瞳孔に光を入れるように、目を開けさせると瞳孔反射を確認する。アゲハが言うには、あらゆる反射が阻害されるのが特徴なのだそうだ。
翡翠の瞳の核部分は、大きく見開いたまま、収縮しない。
「何やってるの? 眩しいよ」
うふふ、と笑う。意識はあるのに、瞳孔反射が起こらないのだ。確定だった。やはり、エデナゾシンだった。そして、この女の父親は、ハマダラだ。ハイエナの情報をアンティーターに流し、リンドウを呼び寄せた男。妹を、泣かせた男。そして、これから死ぬ男だ。
「おやすみ。悪夢を見て……、死ね」
思いっきり作り笑いを浮かべると、薬を打ちこんだ。エデナゾシンなんて生易しいものじゃない。ケタミン、解離性の麻酔薬だった。
※
「これで全部?」
ホウジャクは一斗缶(いっとかん)の上に腰を下ろし、足を組む。足元に蹲る、少女のこめかみに銃口を押し当てている。うっ、うっ、と声を押し殺して泣いている。
「そうだ。……頼む、娘を解放してくれ。君に一体何を――」
「何を?」
ハマダラは、両手を擦り合わせ、膝を付いて泣いていた。薄ら笑いを浮かべ、見下ろす。
「妹を、泣かせたから」
バン、バン!
乾いた発砲音と共に、凄まじい悲鳴が廃工場に響き渡った。ホウジャクが少女の両足を撃ったのだ。
「ハイエナさまに、何発撃ったっけ? 四、だっけ?」
「……た、頼む!!」
何をするか分かったのだろう。額を床に押し付けて、咽び泣いた。
「俺は優しいから、四発も撃ったりしないよ」
そういうと、少女のこめかみに一発、そして、間髪入れずにハマダラの脳天に一発、鉛弾を撃ち込んだのだった。生暖かい真っ黒な液体が、顔に飛び散った。
☆
アゲハは玄関の前に佇むホウジャクを見て、思わずひゅうっと喉を鳴らした。返り血塗れで、まるで幽霊のようだった。彼にとっては珍しいことだった。音響兵器でほとんど血は浴びない。さらに、いつも小綺麗にしていた印象があった。
「……この前は、妹がごめん。いくら何でも酷い態度だったと思う。でも、嫌いにならないでほしいんだ。彼女は――」
「大丈夫ですよ!」
彼女は手を振って、明るく否定した。彼女の言うことはすべて正しかった。恥ずかしさはあれど、怒りはなかった。それに、一番心配していた協力を仰ぐ件についてもジガバチのおかげで解決した。何も、謝られることはなかった。
「ごめん、本当に。二人分の落とし前は、つけたから……」
再び謝ると、大量のバイアル瓶を渡してきたのだ。
「……もしかして、これって」
「そう、エデナゾシン。Mosquitoの父娘(おやこ)も殺しといたから、ここも大丈夫だと思う」
じゃ、と言って踵を返そうとする彼に、待ったをかけたのはジガバチだった。
「ひでェ面だぞ。顔くらい洗ってけよ」
その言葉に二人して笑っていた。
(こんなに仲良かったんだ?)
アゲハは首を傾げ、二人を交互に見つめたのだった。
エデナゾシン拮抗剤であるpapilio(パピリオ) macilentus(マクレンティス)が完成したのはこのすぐ後だった。パピリオマクレンティスはオナガアゲハの学名である。毒を持つジャコウアゲハに擬態する、無毒な蝶の名前である。
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