6-2

 あの夜、燃え盛る家の中で、スイバは不思議な目の色をした男に出会った。


「アゲハに会いたいか?」


 そう言ったのだ。

 どうして、どこに、何が……、聞きたいことは山ほどあった。しかし、パクパクと口を動かす彼を遮って続けた。


「今から話していい言葉は『はい』か『わからない』のどちらかだけだ。いいな?」


「……はい!」


 そうして、スイバは彼の手伝いをし続けた。専ら、彼を匿ったり、幇助(ほうじょ)をしたりするのが主だった仕事だ。今ではなんてことはない。だが、最初は、苦痛だった。

 なぜなら、彼はターゲットを殺すとなると、一家と目撃者を皆殺しにするのだからだった。女、子供、命乞いをする人、泣いて詫びる人、誰彼構わず殺していた。

 そして、必ず、ターゲットの両目を刳り抜くのだ。


「なぜ、目を……?」


 仕事に慣れてきたころ、一度問うたことがあった。


「俺が来たと、報せるためだ」


 しばらく間があった後、そう言って不吉な笑みを浮かべたのだった。

 そして、今晩もまた、一家ごと刺殺し、火を放った。


「これを、アゲハに」


 書き殴ったたった一言、ノートの端書にそれを載せ、手渡した。それを、黙って受け取る。


「次が最後だ。廃都市に来たければ、お前も準備をしておけ」


「うっす」


 ガッツポーズをして踊り出したいのを、何とか堪える。しかし、意に反して顔の綻びは抑えきれなかったようだ。ハイエナは、彼の様子を見据えて、鼻で笑っていたからだ。



 同時期の廃都市にて、呻るジガバチに、「どうしますか」と、アゲハは声を掛けた。

 廃研究施設からの帰路、拮抗剤の進捗がとうとう頭打ちになったのだ。言うなれば臨床試験のフェーズ二、三段階で遂にエデナゾシンは底を尽きた。つまり、有用性の実証が行えないのである。


「一旦こっちはやめにして、Mosquitoを追跡することに集中しますか?」


「……だな」


 眉間に皺を寄せ、苦々しい表情で彼が言った。しかし、ちょうどその時だった。突如、飄(つむじかぜ)が巻き起こる。


「アナタは……!」


 風を纏い、音もなく降ってきたのは、ウシアブの用心棒のミサゴだった。

 すぐ横で、ジガバチが息を飲み、構える気配がする。


「お久しぶりです、戦意はございません」


 彼の その様子を察したのか、ミサゴは両手を挙げる。相変わらず、目つきは鋭く、姿形はあの時と寸分のくらいもなく同じだ。

 だが、あの時とは決定的に違う。荒い包帯は無く、薄汚れた格好ではなかった。何故だか、幸せそうに見えた。


「今更、何しに来たってんだ」


「Mosquitoについて、知っていることを教えます。あなた方は、エデナゾシンを探していたんでしょう。私も、そうでした」


 凄むジガバチを一瞥しながら、彼女は口早に言った。

 アゲハはコクコクと首を縦に振る。


「Mosquitoと言うスワームが、エデナゾシンを所有しているようです。保衛官と癒着しているのだとか。私はウシアブからの命令で、彼らを調べていました。そこで、あなた方と鉢合わせた、と言うわけです」


 ヤママユはMosquitoの一員だったのだ。そして、それが死んだことを嗅ぎつけ、ウシアブはエデナゾシンを横領しようとしていたのだろう。

 そして、彼女はスワームの規模は数百人に及ぶこと、ハマダラという男がボスであること、その所在までも教えてくれたのだ。


「――こんな感じです。娘と二人で暮らしており、ここに攻め込めば最小限の労力で済むはずです」


「罠じゃねーって保証はあんのかよ」


 その言葉に、彼女は一瞬目を伏せると悲しそうに笑った。


「だって、そうだろ? 助ける、意味がねェ」


「……感謝、しているからだと思います」


 きっとこの場にハイエナがいれば、一笑を付した後、ロボットの癖にと罵ったに違いない。だが、ジガバチはそうしなかった。彼女がぎゅっと握りしめたメモをもぎ取る。そして、「あっそ」とだけ返事をした。

 その言葉を聞くと、深々と頭を下げ、天高く舞い上がったのだった。

 メモの裏には【ご武運を】と、走り書きしてあった。


「ジガバチは、ロボットにも心はあると思いますか?」


 ミサゴが夕空に消えたあと、アゲハはふと問いかけた。壁の中では、様々なロボットと暮らしてきた。バーチャルアシスタントのベアちゃんだってそうだし、巡回する市警やお店の売り子さん、学校のお掃除ロボットや門衛さんだってみんなロボットだった。人と目くばせして、笑い合って、言葉を交わし合う。だが、彼らの心や感情には気を払ったことはなかったことを思い出した。

 彼は少し考えるそぶりを見せると、「そりゃア、あんだろ」と言って笑った。


「私も、そう思います」


 ミサゴに貰ったこの気持ちは、ずっと忘れないでおこうと思うアゲハだった。



 アンティーター中枢部、中央室にて定例会議が開かれた。真っ白な天井と床に対し、壁だけは黒塗りで、下から上へ電光が差し込んでいる。

 まるでモニュメントのような不思議な丸みを帯びた、真っ白な長い机を五人の影が囲む。薄暗く、無機質な空間の中で、それらは朧げに影を作っていた。


「昨晩、最後の研究員が死んだそうです。イミューンシステム、及びリラロボティクスの職員の皆様は引き続き厳戒態勢

敷いたほうがよろしいかと思われます」


 キビキビとした声が、響き渡った。氷のような抑揚の声音は、この雰囲気と内容に似つかわしく、場をピリつかせた。声の主は、出口から見て手前の、緩く後ろで髪を結った女から発せられる。

 その瞬間、ククっと声を押し殺したような笑い声が沸き立つ。


「アレの研究に携わった職員が、これで皆殺しか。次は、貴様なのではないか? ……リンドウ」


 五人の中では一際、若い男が笑いを嚙み潰しながら言った。実年齢に酷く乖離を感じさせる物言いだった。


「余所行きの顔で、私の心配などするな。話が終わったなら退出させて貰う」


「アラ? パキラ様は、本当にご心配なさっているのよ。だって、あれだけの護衛と監視をつけても尚、それを掻い潜ったんですもの。それもここ数年で百を超える襲撃、その全てを。手引きをしている者が居られるに決まっているでしょう?」


 リンドウと呼ばれた男が、答え終わるか終わらないかのタイミングで、朗らかな女の声が後を追った。流れるように淀みなくそう言うと、チラリと斜め前に座る人物を意味深に見つめる。


「……例えば、愛娘が二人が件の指名手配犯に殺されたっていう、最高責任――」


「いい加減にしろ!! 不謹慎極まりない」


 怒鳴り声を上げて、女の声を遮ったのはリンドウだった。当の本人は、ピクリとも表情を動かさず、彼女を見据えている。


「……好きなように、考察するといいわ」


「お言葉ですが……。この会議の議事録は、同時進行で職員に公開されています。私情の類は持ち込まないようにしましょう、お互いに。では」


 再び、はきはきとした声が響く。女は真ん中で分けた前髪のサイドをイライラしたように触ると、フッと消えた。後に続き、三人も消える。ただ一人、パキラと呼ばれた男を残し、3Dホログラムだったのだ。

 

「人間とは、つくづく私欲に塗れた愚かな生き物だよなぁ? アイよ……」


 無機質な真っ白な椅子から腰を上げ、パキラは振り返る。彼の濃紫色の瞳には、何本もの管が通った人間の脳がガラスケースに浮かぶのが映っていた。管の先には、背後にある部屋を覆いつくす大きな機械に繋がっていた。不気味なモーター音を微かに響かせながら、佇んでいる。

 彼は、再び、からからと嗤ったのだった。

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