4-4
アゲハの足取りがつかめないまま、二日目になった。ハイエナは、もう二度目になるA1地区の捜索を続けている。
以前は華やかだった通りも、保衛官に襲来によって、嵐が通り過ぎたかのように破壊されている。壊れた窓、壁、扉の残骸が飛散している。
話によると、若い女を根こそぎ掻っ攫っていったようだ。
「十代の少女と、二十代の大男の二人組を探している。見なかったか?」
「さぁ……。十代ぐらいの女の子なら、もうとっくに連れ去られたんじゃあないかね」
商品を捕られて暇そうにしている店主に当たると、必ずこうした返事が返ってくる。ハイエナは頭を下げると、また歩き始める。
十代そこそこの女が被験者となると、保衛官の製造ではないのであろう。つまり、死までの運命づけられているのだ。
捕らえられる実験動物は、“動物実験における倫理的配慮”のガイドラインに沿って厳格に規定が設けられている。例えば、“Replacement(代替試験法)”、“Reduction(必要最小限頭数)”、“Refinement(苦痛緩和)”の3Rの法則などがある。
さらに、その実験について事前に出すレポートも厳格な決まりがある。実験動物の捕獲場所、捕獲方法、捕獲数が適切かどうかをチェックされるのだ。もちろんチェック項目には、実験終了後の処理方法まで記載しなくてはならない。
つまり、研究室を生きて出ることはできないのである。
動物の飼養が禁止される以前、これは、ラットやマウス、イヌやネコなどの実験動物に適用されていた方法だ。しかし、愛護団体による熱心な働きかけで、動物実験は禁止になった。
そうして、人権のない壁の外の人間に矛先が向いたとなったというわけだ。
「……気持ち悪い人間(がいちゅう)共め」
バキバキに割れたショウウィンドウに写る自分の顔を見つめ、ハイエナは呟いた。右半分を醜く覆うやけど痕は目立つため皮膚移植しろ、というヤブイヌの反対を押し切って残した。屈辱的で拷問のような苦痛を味わった、あの日々を忘れないためにあえて残したのだ。
毎日うんざりするほど繰り返される投薬、非道ともいえる行動分析、苦痛を伴う知能実験の数々……。
ハイエナはこの憎しみを忘れないだろう。その筆頭を担ったリンドウ、自分の苦痛で得た甘い蜜を吸う蟻達を、一生呪い続けるのだ。奴らを皆殺しにするまで、ずっとだ。
「ハイエナさま」
「どうした」
ホウジャクの呼び掛ける声に、背後を振り向く。息を切らした、青年は息を整えながら言葉を続けた。
「足取りがつかめました。C地区方面に向かっていった、という目撃情報を聞きました」
「そうか」
「どうしますか?」
「帰っていいぞ」
ハイエナはホウジャクの問いに、ピクリとも表情を崩さず答えた。短く返事をする声音は、まるでいくつかのテンプレートが決まっているロボットを連想させる。
「……分かりました」
ホウジャクは一礼すると、元来た方向に向かって歩き出した。ハイエナはその姿を見送ると、フッと笑みを溢した。
「本当にタフな奴らだな」
人心掌握術には長けていると思っていたハイエナが、ここまで支配に手を焼いたのは初めてのことだった。こう動くであろう、という彼の予想を度々凌駕してきた。
「そこの色男さん。遊んでいかないかい?」
まだ娼婦に生き残りがいたようだ。少し年増の、まるで魔女のような女が近づいてきた。
「結構だ」
だが、ハイエナは目を合わせずに返事をする。そして、下半身を官能的に弄(まさぐ)る娼婦の手を振り払い、帰路についた。
二人が何事もなかったかのように戻ってきたには、ハイエナが帰宅するとすぐのことだった。
玄関で何やら物音がするのに気づいたハイエナは、玄関に向かう。扉を開けて入ってきたアゲハは、腕を組んで壁に寄っかかたハイエナと目が合うとギョッとした顔をした。
「帰ってきてたんですね」
「ああ」
彼女は玄関先に置いてある荷物に目をやると、いつものトーンに戻って言った。いつにもまして、二人は疲労困憊の様子だった。ハイエナは、アゲハの体を頭上から足元までじっと見ると、アゲハは慌てた。
「保衛官に会って、接敵したんです。それで――」
彼女の言葉を黙って手で制すと、一言「分かった」とだけ冷たく言った。嘘の報告をダラダラと聞く必要はない、というわけだ。
その間に、二人の脇を、ジガバチが黙って通り過ぎた。一瞬たりともこちらを見ようとはしなかった。微かにびっこを引きながら、大股で奥の居間の方へ進んでいく。
続こうとするアゲハに、そういえば、とハイエナは声をかけた。腫れた顔を上げた彼女と目が合うと、二階の部屋へと続く階段を指す。
「部屋が欲しかったのか?」
「……勝手に、すみません」
「構わん」
彼女は疲れ切った表情で目を伏せると、そそくさとハイエナの前を通り過ぎる。そして、居間に入った途端ギャッと悲鳴を上げる。
「ちょっとぉーっ!」
彼女の聞いたことのないような、金切り声が上がる。騒がしいな、と思ったハイエナはしかめっ面を作り後を追う。
「素っ裸で歩くのやめてほしいって、この前言ったじゃないですか」
「うるせエ! お前みたいなブス、別に興味無ェから襲ったりしねーよ!!」
ガミガミと、何やら言い合っている。なるほど、部屋が欲しかったのはそういうわけかと納得する。ハイエナはうんざりとした表情を浮かべて、その後ろに立った。
それに気づいたアゲハが、助けを求めるような一瞥を投げかけた。やがて大きくため息を吐くと、二階に上がって行った。
「何をやっている」
「見りゃわかンだろ」
どうやら、血と泥まみれだった衣服が気持ち悪かったのだろう。それでアゲハの前で全裸になって着替えたようだ。今は下着姿で傷口のガーゼを変えているところだった。腕の傷はぱっくりと割れ、ひどく化膿している。足の傷も深かった。
だがそんなことより、ハイエナは面倒になったと思った。ジガバチとアゲハ、この二人の関係性は、ここを出る前の物とは明らかに違っていたからだ。
ハイエナは二階に駆け上がると扉をノックした。
「おい、入るぞ」
アゲハは着替えを済ませ、ベッドの上にちょこんと腰を掛けていた。
「親子っていったい何なんでしょうか」
目線はこちらに向けず、真っすぐ前を見据えたまま呟いた。
「俺に親はいないから分からない」
冷めた目でハイエナはアゲハを見下ろした。そして、ぶっきらぼうにそういうと、花柄のポーチを差し出す。中身はずっしりと詰まっており、重たい。
彼が差し出したものを見る、真っ黒なアゲハの瞳が大きく見開かれた。
「ひーちゃんの、化粧ポーチ……」
「これ、使え。今のお前に、必要なものだろう?」
「……はい」
そう言うと、彼女はヒイラギの遺品を優しく見つめるとにっこりとして頬を染めた。
「少し付き合え」
トーンを変えずにそういうや否や、彼女の手を引っ張る。ぼさっとしている彼女を立たせると、付いてくるように言った。
「どこに行くんですか?」
「いいから付いて来い」
大股でどんどん進むハイエナに、小柄のアゲハはちょこまかと足を動かして遅れないように付いていく。日が落ちかける前の大通りには、かすかに良い匂いが立ち込めていた。
「すごい……。これ、垂直農場ですよね? 廃都市でもやってるんだ」
「そうだ」
B1地区は廃都市の中でも比較的高いビルが並ぶ。そこはかつて、垂直農場に使っていた。今でもその名残があり、大多数のフロアで植物を栽培している。そして、その地上階では市場が開かれているというわけだ。
「何の肉ですか?」
売られている多種多様な動物の肉を見つめて、眉を顰める。アゲハたちアンティーターの市民は、人工肉や大豆ミートなどの肉しか知らないのだ。
「シカ、イノシシ、クマ、ウサギ……。これは、たぶんタヌキだな」
どれも廃都市の外で、比較的簡単に獲れるものだ。ハイエナが一個ずつ説明していく傍ら、彼女はさらにしかめっ面をした。
「何か食いたいものはあるか?」
その問いに対して、アゲハは少々考え込んだ。そして、何とも恥ずかしそうに口にしたのは、カレーだった。
「それは持って帰ってきてやったぞ」
そう言うと、彼はその忌憚のない要望に、頭を抱えるしぐさをする。そして、苦笑いを溢したのだった。
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