4-2
少しずつ白んでいく空を見上げながら、アゲハは必死に足を動かした。
ただでさえ、さっきの戦闘で足手まといになっているのをひしひしと思い出させられたばかりである。これ以上は、命の保証がない。その気になれば、ジガバチはアゲハを拷問にかけ、薬のありかを吐かせ、そして斬り捨てることもできるのだ。
アンティーターを出て半月ほど、いろいろな人に出会った。そして、色んなことがあった。そこで出会った人たちと仲間意識や絆、情のようなものが芽生えた気になっていた。
しかし、結局自分の味方は自分しかいないのである。こういう時、その事実は鋭利な刃物のように喉元に突きつけられる。
そして、ハイエナとジガバチに出会って気付いてしまった。それは、母親へのある疑惑のようなものだ。最初はそれは湖にほんの一滴垂らした毒液のようなものだった。でも、それはじわじわと拡散していった。やがて、疑念は確信に変わっていく。
ハイエナの、まるで人を殺せるような悪意は、他人に向けているように見えていつもアゲハにも向けられていた。そして、ジガバチのそれは、微かに痛覚を撫でるような“悪意”であった。そこで気づいたのだ。
日常的に母の悪意は、
「おい、息してるか? アゲハ」
ジガバチの呼びかけで、ハッと我に返った。数歩遅れているのに気づき、アゲハは息せき切ってジガバチの隣に追いつく。
「大丈夫ですか? 体は」
この質問の内容に、特に意味はない。大丈夫か、なんてことは見ればわかる。
社交辞令、というやつだ。
「はア? 見りゃわかんだろ、瀕死だ。お前の針は、小細工したせいで抜くときクソ痛ェんだよ。しかも、なかなか抜けねーし」
嘘つき、とアゲハは心の中で思った。確かに利き腕はもうほとんど動かせていないし、足も引きずっている。傷も深かったし、出血量もかなりあった。
だが、表情でわかる。
ハイエナに制裁されているときは、こんな活き活きとした顔はしない。それだけ、ハイエナは強く、恐ろしい、ともいえる。
「けど、悪くねーんじゃねえの? お前のセンス」
突然褒められて、アゲハはギョッとした。思わず出た「……どうも」という言葉が、照れと焦りでひどく素っ気無くなる。
そんなアゲハにニッと笑みを浮かべてジガバチは続けた。
「俺も、お前と同じで体質が少し変わってんだ。神経毒、効かねーんだよ。神経にその物質が影響を及ぼす前に、代謝されんだ。それを利用したんだろ?」
そこまでの機序は流石に閃かなかった。だが、大筋はそんな感じである。アゲハは頷いた。
「けど俺もお前と同じで万能じゃねエ。神経に作用しない毒への体制は、お前らと一緒。血液成分に作用する出血毒、あとは細胞を融解するような細胞毒とかか?」
そういうことか、と思った。闇子がそう云われる所以は、こういった能力を決定づける危険形質にあったのだ。アゲハは以前生態学の講義で習った薬剤抵抗性の話を思い出した。
薬剤抵抗性とは、ある生物集団に薬剤を使用することで抵抗性因子が集団内に蓄積し、広まることである。
「申し子である妹にも一分ほど先の未来が見えていたようです。憶測ですが、自分のした選択で起こる事象の確率、といったものなんだと思います。申し子と闇子ってほんの紙一重の差だったんですね」
「特出した体質が都市にとって邪魔だったら闇子、価値があンなら申し子として体よく排除してんだよ。結局なァ」
そうか、結局闇子も申し子も同じ穴の狢なのだ。
しかし、アゲハはとある疑念が湧いた。
「どうやって自分の能力が分かったんですか? 試した、とか?」
気付いたらアゲハはその疑念をぶつけていた。自分やヒイラギは物心がついた時から、明らかに人と違うと気付く能力だった。しかも、十七年生きて来て未だにその全貌すら掴めていない。
それなのに、この男は分かりにくいこの能力の形質をピタリと当て、さらにその機序や限界までを的確に理解しているような口ぶりだったからだ。
「母親がな、俺を使って薬品開発の研究をしてたんだよ。そン時に気付いた。アイツは自分の犯した罪の贖罪を、息子にさせようとしてやがったんだ」
息を手で掬うように両手で口を覆った。初めて会った時に見た、
「けどさお前の母親も、もしかして……」
アゲハの顔を覗き込むと、言葉を続ける。その先に続く言葉が予想できた。その言葉の続きは、言って欲しくなかった。
ジガバチは自嘲気味に笑うと、言いかけて、やめた。
ジガバチの母親、オオゼリの罪とは何なのか? そして、この男がかつて背負わされていたた母親の贖罪という呪いともいうべき業の深さを、アゲハはのちに知ることとなる。
白昼の日差しが照りつける頃、さらに山を一つ越えた。そして、アゲハたちはパンゴリンに着いた。
二つ目の廃都市、パンゴリンはアンティーターや一つ目の廃都市と違って何周りか小さかった。さらに壁の性質も異なっていて、裏側は巨大なディスプレイになっていたのだ。
ナナホシが言っていたことを思い出す。理想都市はこうやって滅びるたびに、アプリケーションのように少しずつアップデートしていくのだろう。滅びた都市はそのフィードバックを、フェロモンのように周りに拡散しているのではないだろうか。と、いうほどの不気味な生物感を与える。
「どうだア? 結構違ェだろ」
「ビル、高い……!」
ネズミが開けた壁穴のように、虫食いになった壁から都市に入る。そこですぐに目についたのは建物の高さだ。アンティーターではこんなに高いビルは、母親の職場ぐらいしか知らない。
アゲハは首が馬鹿になるほど高々と並ぶビルを見上げながら歩いた。
「あれは集合住宅、みたいな?」
「んあ? ああ」
生活様式も違っているようだ。高い一つのビルに、何世帯、いや百、何千という世帯が暮らしていたのかもしれない。
「ここは企業のオフィスタワーですかね?」
「そうだろな」
「全部国立ですか?」
「さァ、さすがに民間企業もあんだろ」
そして、民間企業のオフィスは大きかった。アンティーターでは集約政治制をとっていたため、大規模になった企業は中枢部に移転する。そして国の補助を受けることができるのだ。
だが、そんなパンゴリンでジガバチがやってきたのはある一軒の小さな平屋だった。大きさ的に、アゲハの実家の居間分くらいしかない。薬品開発を行っていると聞いていたため、アゲハは意外に感じた。てっきり大きな研究施設でも持っているのかと思ったのだ。
「ま、付いて来いよ。いーモン見せてやる」
そんな心中を察してか、ジガバチはニタニタと笑って前を進んだ。そして、扉を開けるや否やジガバチは身構えたのだ。
一体どうしたのか、とアゲハも少し後ろでピタリと止まる。“悪意”は感じない。
「ここで何やってんだクソガキ!!」
中に向かって、ジガバチが吠えるように何かを怒鳴り上げた。アゲハはまるで雷に打たれたかのように、急いで背後に回った。
「す、すみません! 人が住んでるって知らなくて……」
「殺さないでください!!」
中から、くぐもった声が聞こえてきた。すすり泣き声も聞こえる。何人かいるようだ。
そっと後ろからのぞくと、三人の子供が抱き合っていた。兄弟姉妹であろうか。ひときわ小さな男の子を守るように、両脇で姉と兄がぎゅっと抱きしめていた。
アゲハは三人の存在には全く気付かなかった。つまり、全くの“悪意”もないのだ。そして、今もそうである。
だが、嫌な予感がした。
ジガバチをチラリと見ると、青筋を立てて掴み掛ろうとしているところだった。アゲハは息を呑む暇もなく、制止しようとする。さすがにこれを看過するのは後味が悪かった。相手は丸腰で、完全に逃げ腰だ。あまりの恐怖にプルプルと震えている。
しかし、ヤバい! と思ったアゲハの心中に反して、ジガバチの行動は意外なものだった。
ジガバチはアゲハの手が届く前に、一人の子供の首根っこを掴んだ。そして、まるで空き缶を捨てるように放り投げる。
「失せろ。二度とくんな」
ジガバチが凄むと、小さな侵入者たちはお尻に火が付いたように駆け出した。そして、「わっ!」と叫びながら逃げ出したのだった。
「ごめんなさい」
「すみませんでした……」
口々に上擦った声で謝るのが背後で遠くなる。アゲハは嵐のような出来事に、ぼーっと佇むことしかできなかった。
「なんだよ、来いよ」
固まっていたアゲハに、ジガバチは何もなかったかのように声をかけた。ハッとして返事を返すと、後を追いかける。そして、がらんとした空間が広がっているのに気づく。これでは空き家と思われても仕方ない。家具どころか、物すら置いてないのである。
「……さすがにガキ共もこれは分かんねーだろ」
何やらぶつぶつと言いながら、六口穴のコンセントプレートを外す。そして、手を置くまで突っ込んだ。何かを奥に手を入れたまま引っ張ると、ガコッと足元で音がする。
その方向を見ると、床に先ほどまではなかった数センチ程の隙間ができていたのである。隠し戸だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます