2-1
「おい、ガキ」
奥の部屋に引っ込んだハイエナがしばらく戻ってこないことを確認すると、ジガバチは声を潜めて話し始めた。
「お前、昨日の話は正気か?」
ハイエナを殺せば駆虫薬を渡す、という取引の話で間違いなさそうだ。
アゲハは深々と頷いた。そして、彼との出会い、そうしてこうなるまでの
「――もう既に喧嘩を売ってるようで、アンティーターでは大罪人扱いでした」
ここまでまるで遠い誰かの昔話を語るように淡々話してきたが、初めて会った時に見た生身の人の一部を鮮明に思い出し、吐き気が込み上げてくる。
「おいおいおい……。まじかよ」
ジガバチは驚きの余り椅子から崩れ落ちそうになるのを、慌てて座り直して向き直る。「整理させてくれ」というと、頭を抱えだした。
その姿を見て、動物的で殺戮本能のみで動いているかと思えば、意外とそうでもないのだな、と思った。
「アイツはアンティーターに強い恨みを持ち、要人を殺しまくっている、と。ンで、その中にお前の母親も含まれていて、それを止めたい。だから、アイツが実行に移す前に殺す必要がある、というわけか」
再び深く頷く。
「スカした顔して物騒なこと考えてんのな」
彼はそう言うとねっとりとした笑い声を上げる。それはアンタに言われたくない、と思いながら彼女は「それしか思いつかなくて」と返した。
「あの人、アンティーターのことを話すときに、凄まじい憎悪を放つんですよ。説得して止めるなんて絶対に無理です」
大きく首を横に振ると、続けた。
「それに、ハイエナさんに散々やられてますよね? やり返さなくていいんですか?」
アゲハは煽りを掛けた。共通の敵を作ることで団結力を高める、パラノイア構造の法則である。一般的にこの絆は長続きしないと言われているが、今の状況にはピッタリな作戦である。
しかし、ジガバチの反応は意外なものだった。
「あァ?」と腑抜けた声を出すと、だらりと長い舌を出す。
「確かにあの時はぶっ殺そうと思ってたけどな。今はクソほどどうでもいい」
あれだけ憎悪を滾(たぎ)らせ、殺してやると吠えていたのが嘘のようで、アゲハは拍子抜けした。その憎しみの強さと言ったら、殺気による痛みで火傷するのではないかと思うほどだったのだが。
どうしようか、と口を開きかけたところでジガバチはバンッと机を叩く。
「……けどその話、乗った」
そう言うと、再び残忍な笑みを浮かべた。
「殺しは好きだかんなァ。アイツが血反吐吐いて悶える姿は見てみてェぜ」
何やら恐ろしい想像でもしているに違いない。ニタニタと笑う口角を、恐ろしいほど吊り上げて彼は言った。
その様子を見て、先ほどの殺戮現場を思い出し、アゲハを急にどす黒い不安が襲った。そうだ、この殺戮マシーンの対処法も考えておかなければいけないのだ、と強く思い知らされたのだった。
「で、俺は一つ引っかかってる」
ふと表情を変えると、アゲハの方に身を乗り出した。
ここに来るまでに嗅いだありとあらゆる酷い汚臭に、血と汗が混じったような最悪な匂いが鼻腔を突く。この匂いがするたびに、この人はまるで別の生き物なのだ、と自尊心が言う。
「なんで雑魚でお荷物のお前をコキ使うのかって話だ。俺がアイツならお前なんてすぐ殺してるな」
「さあ……。役立たず、とは言われてますけどね」
心当たりのないふりをしたが、本当はないこともない。アゲハの、自分に向かう悪意を受容できる体質のことである。
ハイエナの目的に直接役に立つわけではないが、便利なこともある。
悪意を一切持たない人間などいない。そして、ヒイラギやユズリハ、家族が相手ですら悪意を抱くことはある。
殺したい、傷つけたいと言った悪意はもちろんだが、騙したい、困らせたい、あるいは揶揄いたいと言った弱いものまで分かる。そのため、害が及ぶ前に対応できることが多々ある。自分に好意的ではない人間もわかるし、嘘もわかるのだ。
ジガバチは少し考える様子で黙りこむと、何かを思いついたように突然口を開いた。
「お前クソ雑魚のくせに、妙に感がいいときがあるよな、とは思ったぜ。……まさか、闇子か?」
聞きなれない言葉に、アゲハは首をひねった。
「アンティーターがNG出す男女の組み合わせから生まれた子のことだ。アンティーターにとって不都合な、危険形質をもつ子が確定で生まれるからな」
「そんなことってあり得るんですか?」
三大システムの話を思い出して、ふと疑問に思った。自分がその闇子であるか否かはさておき、あの重厚なシステムの前では闇子という言葉が生まれる以前に、闇に葬り去られそうである。
「そうさ、ふつうはあり得ない。だがもし、そのつがい共が、システムを欺ける人物、あるいは関係者だとしたら……ってことだよ」
ジガバチの言葉に、アゲハは、そうか、と閃く。
父親は不明、母親はカーディアックシステム関係者であるアゲハは十分に条件を満たしていた。自分のことかもしれない、と思ったが、そう言ってしまえば、この化け物に自分の能力をバラしてしまうことになる。
「あぁ、そう言えば」と、アゲハは思いついたふりをした。
「私ではないですが、妹に心当たりがあります。妹は少し先の未来が分かりました」
「なるほど、それで消されたかってわけか……」
その言葉に、ハッとなった。
自分たち姉妹が闇子であるとするならば、あの場でいきなり殺されかけるのも納得がいく。テロリストの幇助如きで、ほとんど私刑に値するようなあの所業は、
そう考えると、アンティーターの見えない誰かに対して途轍もない怒りが沸々と襲ってきた。
しかし、そう考えるにしても引っ掛かることがあった。それはタイミングである。なぜ十七歳になった今、闇子であることがバレたのか、である。逆に言うと、それまでは隠蔽されていた、または見落とされていたのだ。
「あのバケモンはどこまで知ってんだろうな?」
アゲハもちょうど同じことを思っていたところだった。
「あなたもなぜそんなことを……――」
知っているのか? と問おうとして、「あっ!」と声が出る。
規格外の体格と生命力、そして快楽的に殺人を繰り返すこの男は、どこをどう見ても危険形質の塊である。さらにその鬼人のような風貌と言動に反して、狡猾で知能も高い。神経に作用する毒が利かない、と言った言葉も気になった。
ジガバチはニタニタと笑った。
「そうさ、俺ァ、闇子だ。っつっても、闇子ってのは俺の母親の造語だけどな」
「じゃあ、お父さんもシステム関係者なんですか?」
「ああ、まだいるんじゃねーか?」
彼は、ここに来て急に興味の無さそうな顔をした。
アゲハがちょうど言葉を続けようとした時だった。
ハイエナが部屋から戻ってきた。
「三日後、お前らに仕事だ」
入って来て早々、ぶっきらぼうにそう言った。
別段、悪意は感じなかったが嫌な予感が背中を迸った。
タダ飯を食らい、タダで住み着くつもりは毛頭なかった。しかし、テロリストの彼が、一般的な女子高生でもできるようなバイト程度の案件を持ってくるとは到底思えない。
ふと、また死にかけるのではないか? と思うのは当然だった。
「そんな顔をするな。それ終わったら、お前の出生について教えてやる」
ハイエナは不安がるアゲハの背後に立つと、耳元で囁いた。
悪意を感じたわけではないのに、全身の毛が逆立つのを感じた。聴いていたのか? 一体いつから? そして、どこまで?
「ちょっと待て、仕事ってなんだ?」
勝手に話が進んでいく中で、ジガバチが待ったを掛ける。
彼女も、そうだ、そうだ、と言わんばかりの表情を作った。
「見ての通り、傷は深いぜ。誰かさんの所為でなァ。三日じゃ大して治んねェしよ」
「そうだな。だから、貴様でもできる簡単な仕事を用意した」
その言葉に、アゲハはほっと胸を撫で下ろす。
ハイエナは続けた。
「俺はヤブイヌという男に雇われている。頻繁にアンティーターを出入りしていたのもそいつの協力があってのことだ。仕事を受ける代わりに、俺の目的に協力してもらっている。今回の仕事は、俺の目的を果たすために必要な仕事だ。簡単とはいえ、失敗は許さん」
失敗は許されない、という結びに、再び表情を硬くした。
そして彼は追い打ちをかけるように、言葉を続ける。
「ここで俺の目的を明らかにしておく。中枢部の要人共を葬り、アンティーターの壊滅させる。そして、最大の目的はとある男を必ずこの手で仕留める」
「その要人ってのは誰だ」
ジガバチが訝しげに眉を歪まし、彼に問いかけた。
少し間を開けると、重々しくハイエナが口を開いた。
「そいつの名はリンドウ。イミューンシステムの最高責任者だ」
――え!? リンドウって……。
聞き覚えのある名前に、心臓がバクッと音を立てた。
あの夜、リンドウの名前が出た途端、母は緊張がほぐれた顔をした。どう考えても安堵できるような状況ではなかったにもかかわらず、である。このことは母ユズリハにとって、彼は相当信用のおける人物であることを示唆していた。
きっとその名を口にするのすら嫌なのであろう。彼の悪意がアゲハの痛覚を大きく逆なでしたのだった。
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