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乙枯

何で日本は憲法を変えなければならないのか?

 1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された今の日本国憲法は今年2022年(令和3年)で施行75年になります。


 この憲法についてだいぶ前から改定しようという声はありますし、同時に変えなくてもいいという声も数多く聞かれます。しかし、筆者個人の意見で言いますと、変えなければならないと強く確信しています。別に、憲法の内容に絶対に換えなければならない問題点があるからではあません。


 理由は、です。


 日本は民主主義国家です。立憲主義国家であり、法治主義国家でもあります。立憲主義国家である以上、憲法というものがあり、それに則して政府は国家を運営することになっています。

 なぜ政府が国家を憲法に則して運営するのかというと、憲法とは「国をこういう風に運営しなさいね」と政府を規定するための法律だからです。言ってみれば、国の在り方や運営の仕方を定めたルールブックであり、ガイドラインのようなものなのです。


 そして、民主主義国家では自分たちの国はどうあるべきかを国民の意思によって決定されねばなりません。民主主義国家にとって憲法とは、国民が政府に提示する注文書、あるいは指示書のようなものなのですから、もしも憲法の内容が国民の意に沿わないものであるならば、それは民主主義国家の憲法としての正統性が損なわれることになります。

 立憲民主主義国家の憲法とは、常に国民の意思を反映した内容で在り続けねばなりません。憲法を見ればその国がどういう国か、その国の国民がどのような国家像を理想としているのか、何を目指しているのか、それが明確にわかるものでなければならないのです。そして、国民が憲法を作り、政府を憲法に従わせることこそが、法治によって民主体制を確立する立憲民主主義国家の根本なのです。


 ではひるがえって今の日本国憲法はどうでしょうか?


 まず国民によってつくられた憲法ではないという点で大きな問題があります。ご存じのように、現在の日本国憲法は日本人が自分たちで考えたものではなく、アメリカ人が終戦後の日本を再建する際に作り、日本に提示したものです。人によってはアメリカが日本に押し付けた憲法と言ってたりしますね。

 ですが、内容の大部分をアメリカ人が作ったにしろ、一応日本の国会を通して賛成多数によって可決しているわけですから、実態がどうあれ形式的には日本人が自分たちの憲法として認め受け入れたものとなってはいますから、そこに文句を言っても仕方が無いような気はします。


 そもそも、今の日本国憲法が抱える最大の問題は、外国人が作成して外国人に押し付けられたからという部分にはありません。誰が作ったものであろうと、それを民主的手続きを通して自分たちの憲法として採用した以上は、その正統性に疑問を挟む余地はありません。


 今の日本国憲法が抱える最大の問題は、国民の支持をという事です。


 日本国憲法は民主的手続きを経て国会で賛成多数によって成立しています。そこに疑問を挟む余地はありません。ですが、それは1946年(昭和21年)の話です。1946年当時の20歳以上の有権者たちは憲法を支持したことにはなりますが、それ以降の世代の人たちは一度として現在の憲法を支持するかどうかの意思表明をする機会を得ていません。

 1946年当時20歳以上の有権者だった人たちは今現在96歳になっています。そして、今現在の人口推計(2022年3月22日付総務省統計局発表)によれば、日本で95歳以上の日本人の人口は約56万人です。日本の全人口1億2526万人中、たったの56万人からの支持しか得ていないのです。


 今現在、日本国憲法は全国民のうちたったの0.4%からの支持しか確認できていない憲法なのです。残りの99.5%からは日本国憲法を支持するかしないかの意思の確認がとれていないのです。


 これは立憲民主主義国家にとって極めて重大な問題と言わざるを得ません。


 繰り返しますが、立憲民主主義国家の憲法とは、常に国民の意思を反映した内容で在り続けねばなりません。したがって一度制定すればそれで終わりというようなものではなく、時代が過ぎて国を担う国民の世代が変われば、その都度その世代の国民に対して「次の世代もこの憲法で良いですか?」と正式な手続きに則って確認を取り、国民の支持を得ていることを証明しつづけねばならないものなのです。

 だから日本以外の国は結構頻繁に憲法を改正しています。第二次世界大戦で共に敗れたドイツだって3回は改正しています。

 ですが日本は1946年に制定して以来、一度も改正していません。


 それでも「日本人の多くは今の憲法を支持しているから」と言う人はいるでしょう。それは感覚的に納得できる話ではあります。私も個人的にはそう思います。ですが、それはあくまでもそう感じるだけであって、確かに間違いなく日本人の大多数が支持していると証明できるものではありません。何故なら誰も一度として、全国民全有権者に対して確認作業を行った事が無いからです。

 確認されていない以上、それは支持されているとも、拒否されているとも断じることはできません。シュレーディンガーの猫と同じで、実際に確認してみない限り、それはどちらとも断定することはできないのです。

 そして、国民から支持を得ていると証明できていない以上、その憲法の正統性には疑問符が付かざるを得ないのです。


 今の日本国憲法は国民の0.4%からしか支持を得ていない……という指摘に対し、今の日本には反論する余地が全くありません。何故ならそれは紛れもない事実だからです。


 憲法が立憲民主主義国家の憲法として正統性を保ち続けるためには、定期的な憲法改正が必要不可欠なのです。仮に内容はそのままでもいいとしても、堅苦しく理解し難い文語体の文面を分りやすい平易な口語体に直すとか、意味が変わらない程度に句読点を加えたり減らしたりするとか、何らかの手を加えて正式な改正手続きを経ることで初めて「確かにコレが自分たちの憲法です」と証明することが出来る物なのです。

 にもかかわらず、75年もの長きにわたって改正論議の一つさえまともにしていない日本の現状は、立憲民主主義国家にとって許されざる怠慢と言わざるを得ません。おまけに今の日本は憲法を改正するための手続き……その必要なプロセスである国民投票すら制度として確立できていないのです。


 天皇制をどうするとか、憲法9条がどうたらという話は些末な問題にすぎません。もっと根本的な部分で、憲法が正統性を失っている事に気付くべきなのです。

 まずは、国民の意思を確認する……それが民主主義国家にとってもっとも大事であることを思い出さねばなりません。そして民主主義国家の国民は、そのことから逃げてはならないのです。民主主義とは、あらゆる政体の中でもっとも国民が面倒くさい思いをする政体なのです。楽がしたければ、専制独裁国家の方が国民はずっと楽が出来ます。


 したがって、日本が立憲民主主義国家である以上、憲法は速やかに改正すべきだと、私は考えています。どう変えるかは別として‥‥


 もしも憲法改正そのものに否定的な意見を主張している人がいるとしたら、その人は間違いなく民主主義を正しく理解していないか、あるいは民主主義に否定的な人たちです。もしも憲法改正そのものに否定的な政治家がいるとしたら、その人は民主主義を理解していないか、破壊しようとしているかのどちらかです。‥‥‥まあ、その点は憲法改正に反対している人たちの顔ぶれをみれば明らかですよね。


 あるいは、もしかしたら反対している中にはそれ以外にも憲法を改正したら仕事が増えてしまう憲法学者もいるのかもしれませんが…… 

 

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