第29話
(やっと自分のものになった。)
家に帰った和人は、ストップウォッチを机の上に置いた。
心が晴れたような気がする。
これから起きるであろう冒険をいくつも想像し、和人の胸は沸き立った。
(でも焦ってはならない。こんな時はやらなければならないことをまず済ませてから。それからだ。)
和人はクロベエを散歩に連れていくことにした。
以前は千波と出くわすことを期待して散歩をしていた和人であったが、千波が英と付き合うようになってからは、むしろ出会わないようにしていた。
千波の姿を見るとつい胸がざわついてしまうのだ。
それは和人にとっては英に対する罪悪感以外の何物でもなかった。
最近の散歩コースは、千波の家と反対方向を選んでいた。
幸い、千波は部活をしていて夜遅いため、太郎の散歩は小学校6年生の弟に任せているらしい。
だから犬の散歩で出くわすことはないはずだった。
だが、その日はいつもと違っていた。
バスケ部の練習が早く終わったのだろうか。
和人たちが10分ほど歩いたところで、道の正面から千波が太郎を連れて歩いてくるのが見えた。
和人の心臓の鼓動が急に速くなる。
(何でこんな道を歩いているんだよ。)
和人の気持ちとは裏腹に、千波と太郎はまっすぐこちらへ歩いてくる。
そして太郎がいつものようにいち早くこちらに気づき吠えだした。
脇道もないし、いまさら引き返すわけにもいかない。
二人の距離は瞬く間に縮まっていった。
「まったくこの子ったら、いつまでたっても進歩がなくて…」
ワンワンとけたたましく吠え、さかんに動き回る太郎のリードをしっかりと握りながら、申し訳なさそうに千波が話しかけてきた。
「千波ちゃんを守ろうと必死なのかもしれないよ。」
いつしか和人は千波を”千波ちゃん”と呼ぶようになっていた。
以前なら千波の顔を見るだけで顔が赤くなっていた和人だったが、最近は英を通じて千波と話す機会が増え、顔がさほど赤くならなくなった。
「英は?今日は一緒じゃなかったの?」
「いつもいつも一緒にいるわけじゃないですよ。スーさん(英のこと)は最近受験勉強に忙しいし・・・。それじゃ、失礼します。」
ぺこりと頭を下げ後ろ向きで太郎を引っ張りながら、千波が離れていった。
和人は前を向き、ふぅーと息を吐いた。
(相変わらずかわいいな。それにそれほどドキドキせずに話ができた。俺にしては上出来だ。でも気になるのは英だな。時間が足りなくて焦ってるんじゃないだろうか。)
顔をしかめながら猛勉強している英の姿が目に浮かんだ。
(そうだ、ストップウォッチのことを英に話してみたらどうだろう。)
和人はこれまでにもそう考えることは何度もあった。
だが、その度に打ち消してきた。
誰か一人、たった一人に話しただけで、噂は世間に広まってしまう。
例え「誰にも言うな」と念を押しても、今度はその人が別の人に「誰にも言うな」と話してしまう。
噂とはそういうものだ。
だから、今まで誰にもストップウォッチのことを話さなかった。
(でも英は親友だ。その親友が追い詰められている。困っているときに助けるのが親友だろう。)
そこまで考え、和人は決心した。
(とにかく明日英に会ってみよう。そして本当に追い詰められているとしたら、ストップウォッチのことを教えてやろう。英は歓喜するに違いない。)
「走るぞ、クロベエ。」
和人は散歩を早く切り上げたくなり、走った。
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