リトライ
後藤能美
第1話
(なんだったんだ、今のは。こんなことが、こんなことがあるなんて。)
目を見開いたまま、瞬きをしない時間が数秒間続く。
右手には大きめの黒いストップウォッチ。
口はぽかんとあいたままだ。
後ろから来ていた中学生の女の子2人が、まるで危ないものを見るかのように、和人の顔を見ながら無言のまま追い抜く。
和人はごくんと唾を飲み込んだ。
そして息を大きく吸い込み、ゆっくり「ふうっ」と吐いた。
家へはここから5分ほどで着く。
とにかく落ち着いて頭を整理したかった。
和人は、ストップウォッチを握りしめ目を見開いたまま、そして速足で歩いた。
「ワン、ワン、ワン」
玄関脇でクロベエがしっぽを振って出迎えた。
クロベエは和人の父が3年前に友人から譲り受けたオスの黒いシェパードで、年齢は3歳くらい。
「ただいま、クロベエ。今日は母さんと散歩に行けよ。」
そう言うと和人はしっぽを振りながらじゃれてくるクロベエを無視して玄関を開けた。
「ただいま。」
「お帰り。走ってきたの?何かあった?」
居間にいた母、
「別に、何でもないよ」
母の問いかけを遮るように、和人は2階へ続く階段を登り自分の部屋へと急いだ。
ドアを閉め鞄を床に下ろし椅子に座る。
そして右手のこぶしを机の上に置き、そっと手を開いた。
手の上にはストップウォッチ。
その黒い塊をじっと見つめながら、先ほどの鮮烈な出来事を思い返した。
サッカー部に所属しているが、その日は2学期の期末テストの前日ということで、授業が終わるとすぐに家に向かって歩いていた。
(はあ、明日からテストか。)
和人の成績はいつも学年で10位以内をキープしていた。
だが最近は部活動でくたくたになり、家での勉強がおろそかになっている。
よほど勉強しないと、今回は学年で10位以内に入るのはむずかしいだろう。
「よっ、早く帰って猛勉強しようと企んでるな。むだなあがきはやめなさ~い。」
お調子者の
右手にサッカーボールをかかえている。
園山英も同じサッカー部の3年生だ。
「部活と勉強の両立?男なら一つのことに打ち込むべきだろ。俺なんか勉強したいのを我慢して寝ても覚めてもサッカー一筋だぜ。」
「いいよな、クラスで最下位が定位置のやつは。それ以上落ちないんだから。」
「なあ和人、30分だけ付き合えよ。パスくらいやんねえと体がなまっちまって熟睡できねえんだ。」
「悪いけど、俺まじで追い詰められてんの。へたすりゃ徹夜なんだから。」
「ちぇっ、つまんねえ。今日から2日間パス五郎と練習か。」
パス五郎は英が中学1年の時に、家の塀に英がクレヨンで描いた絵で、緑丘中学校サッカー部のユニフォームを着ている。
キャプテン翼の日向小次郎がモデルだが、あまりにも似ていないのでパス五郎と適当に名づけた。
英は暇なときはいつもパス五郎とパスの練習をしていた。
「じゃあな、勉強しすぎて熱出すなよ。熱出して学校休んだら最下位だぞ。」
「へえ、やさしいじゃん。」
「最下位はおれのポジションと決まっているの。おれのポジションを脅かすやつは、誰であろうと許さねえ。じゃあな。」
英は笑いながら前川サイクリングと書かれた店の角を左へ曲った。和人の家はそこを曲がらずに横断歩道を渡って行った1キロ程先にある。
「じゃあ。」
和人は英の後ろ姿に声をかけた。
そして横断歩道を渡りしばらく歩いた。
前川サイクリング店の角から100メートルほど歩いたとき、約10メートル先の歩道で何かがきらりと光った。
近づいてみると、それは首にかけるためのひもがついた黒くて少し大きめのストップウォッチだった。
紺色のジャンパーの上に乗っている。
さらにジャンパーの下にはジーンズや白いスニーカーも見える。
若い男性の物のようだ。
それが無造作に道路に落ちている。
(なぜ服やズボンがこんなところに・・・そしてこれも)
和人はストップウォッチを拾ってみた。
回りを見渡すと、50メートルほど後ろを同じ中学の女の子二人が話しをしながら歩いて来る。
(めんどうだな、交番はちょっと遠いし、かといってここに置いておくわけにもいかないし・・・)
そのストップウォッチは、縦長で中央より少し上に時間が表示される液晶画面がついている。
その下に計算機のように0~9、+、-、=などのボタンが5段に分かれてついている。
(あれ、これは何だ?)
一番上に並んでいるボタンの表示が、こすったように消されており、その上に細い白のマジックで書いたような文字が上書きされている。
それは左から「年」「日」「時」と読めた。
また、上から2段目の段には左から「7」「8」「9」の数字のボタンがあるのだが、その横一番右のボタンもこすったように消されており、その上に細い白のマジックで小さく「STOP」と書かれている。
和人は何気なくそのボタンを押してみた。
しかし何も変化は起きない。
その時右手で持った時にちょうど親指の位置にある、「START STOP」ボタンの表示の下にも手書きの白いマジックの文字があることに和人は気づいた。
それは「押したままSTOPボタン」と書かれている。
(これを右手親指で押したまま、左手の指でSTOPボタンを押すということかな?)
和人は試しにやってみた。
しかし何も変化は起きない。
もう一度やってみた。
その時どこからか救急車のサイレンが聞こえてきて、和人はボタンを押したまま顔をあげた。
左後ろの方から聞こえてきたようだったが、3秒くらいするとサイレン音がピタッと消えた。
しかも―
サイレン音だけではなくすべての音が消え、急に静まり返った。
何が起きたのか。
和人はふと車道を見た。
すると…
信じられない光景が目に飛び込んで来た。
自分の横を前方から通過しようとしていたはずの1台の車が、ピタッと止まっている。
ただ停車しているだけではない。
運転手がハンドルを持って前方を見つめたままピクリとも動かないのだ。
後ろを振り向いてみた。
20メートルほど後ろを歩いている女の子2人が、不自然に止まっている。
片足は地面から浮き、少し前かがみに、そして顔はお互いに見合わして一人の口は横にあいている。まるで、話をしながら歩いている二人の体が、突然固まったかのように。
(止まっている。確かに止まっている。時間が…止まっている!え、え~~~~!?)和人はストップウォッチに目を移した。
すると液晶の画面が眩いばかりに白く光っている!
そしてその画面の中に、黒い文字でこう浮かび上がっている。
「Time must stop!」
(「時間よ、止まれ!」ってことか。マジかよ・・・)
しばらくするとストップウォッチの液晶画面から光が消えた。
しかし、時は止まったままだ。
(まさか、本当にこの2つのボタンを押したからなのか)
和人は恐ろしくなり、すぐに先ほど押した2つのボタンをもう一度押してみた。
何も変わらない。
時は止まったままだ。
(えっ?時が動き出さない。もう一度・・・)
もう一度、今度は2つのボタンを長押ししてみる。
すると、・・・ 時が、動きだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます