あなたは私の推しじゃないけれど
キャンディと歌劇場に出掛けた帰り。屋敷に戻ったメイベルを迎えたのは、レンジャー家での事件以来疎遠になっていたレオナルドだった。
「ご機嫌麗しゅう、ミス・メイベル」
「レオナルドさま、」
にっこり笑う彼はいつかと同じようにバラの花束を抱えている。
客間に漂う微かな芳香。淡い桃色の、小ぶりな花たち。スプレータイプのそれを素直に受け取って、メイベルは思わず呟く。
「てっきりもういらっしゃらないとばかり思っていたわ」
「まさか!キミとの賭けも決着がついていないのに……、勝負を途中で投げ出すようなことはしないよ」
「勝負、ね……」
そういえばきっかけはそんな下らないことだったっけ。なんだかもう随分と昔のことのように思われる。
メイベルは花束をメイドに渡して、長椅子に座った。また別のメイドがやって来て、レオナルドのために新しいお茶を淹れていく。
そして、そのあとに残されたのは暫しの沈黙。
「賭けは私の負けでいい。……そう言ったら、あなたはどうするの?」
紅茶を一口。飲み干してから、メイベルは問いかける。
レオナルドの、灰色の眼。不思議と澄んで見える双眸を見つめて、問いかける。
──と。
「……それは考えたことがなかったな」
虚をつかれた。そうとしか言い表せない顔で、彼は首を傾げる。
「だってキミはまだ僕のこと好きになってくれてはいないだろう?」
「それは……どうかしら」
出会いは最悪だった。軽薄で調子のいいことばかり言う、自意識過剰の男。噂話を嫌っていたのに、その噂を信じて、彼を遊び人だという色眼鏡で見ていた。
でも人間には様々な側面がある。軽薄で自意識過剰で、でもそれだけじゃない。優しくて勇敢な人なのだと知った。
だから──
「たぶんもう、とっくにあなたのこと、好きになっていたと思うわ。もちろん友だちとして、だけど」
「そっ……れは嬉しいけど、それだけじゃ嫌なんだよ」
「難儀な人ね」
本気で恋をしているわけでもないのに。たかが子爵家の娘に付き合うほど、暇なわけでもないだろうに。
感心したような、呆れたような。そんな気持ちでティーカップを傾けると、何故だかレオナルドは「キミこそ」と応じる。
「……どうしてリチャードの告白を受け入れなかったの?」
淡々とした声に、危うく紅茶を吹き出しかけた。
「なっ、ど、どうしてそれを……!」
「リチャードから相談を受けたからさ。あいつったらぐずぐず悩んでいたもんだから、見苦しくってつい背中を押しちゃったよ」
『やれやれ』と肩を竦める仕草。でも咳き込むメイベルには返事をする余裕がない。
……相談って。なんだってそんなことをよりによってこの人に!筋違いだとはわかっていても、少しだけ恨みたくなってしまう。だって、こんなにも恥ずかしい。
「でも後悔もしてた、……ちょっとだけね。リチャードはまぁ……僕の次くらいにはいい男だから。だからきっとキミたち二人は結ばれるもんだと思ってた。なのにいくら待っても新聞に二人の婚約記事は載らないし、社交界でも噂になっていなかったしで、『これはまさか』とキミを訪ねることにしたんだよ」
「……私はカマをかけられたってわけね」
「それはごめん。でもわざわざリチャードに会いに行くなんて、ねぇ?どうにも気が乗らなくてさ」
『ねぇ?』と言われましても。
「ね、どうしてか聞いてもいい?」
「……別に、聞いたって面白くもなんともないわよ」
そう言っても、レオナルドは完全に話を聴く体勢に入っている。退いてくれないかと期待したけどムダみたいだ。
メイベルは溜め息をつく。
……どうしてこんなことに。恋バナなんて前世も今世もしてこなかったから、羞恥心で目眩までしてきた。それをなんとか抑えて、口を開く。
「……確かにリチャードさまのことは尊敬してるし、憧れてもいるわ。でもそれは恋じゃない。だから受け入れることができなかったの。尊敬する人には誠実でありたかったから」
「……ふうん?」
「だから面白くもなんともないって最初に言ったじゃない」
せっかく正直に打ち明けたのに、興味なさげなその返事はいったいどういうつもりだろう?メイベルは眉間にシワを寄せ、悠然と足を組むレオナルドを睨めつける。
が、相変わらず彼には効かない。レオナルドは「そうだね、聞くんじゃなかったよ。好奇心なんてろくなもんじゃないね」なんてしみじみ呟く始末。
『話すんじゃなかったわ』──そう、後悔しても遅いけれど。……いや、いっそのこと思いきり殴ったら記憶が飛ぶ可能性もあるのでは?
「まぁでもそれなら僕にも希望はあるってことだよね」
「はぁ?」
「つまり賭けはまだ終わらないって話さ」
笑みをたたえる彼は自分の武器をよくわかっていた。例えるなら『レオさま』に対する『ブラピ』のような。……ようするに、顔がいいのだ。顔オタのメイベルにとってみればひとたまりもない。
『勝手なことを言わないで』だとか、『だから賭けは私の負けでいいと言ったでしょう』だとか、言いたいことはたくさんあった。
……あったのに、口にできたのはたった一言だけ。
「……好きにしたら?私は絶対、負けないから」
それが彼を喜ばせる一言だとわかっていても、つい強気な台詞を吐いてしまう。そんな自分の唇が恨めしい。
でも無邪気に笑う彼にうっかり見惚れてしまって──慌ててメイベルは首を振る。
「……いやいや、何を血迷ってるの、わたし。浮気はダメ、推しはひとりで充分でしょう?」
「推し?」
「なんでもないわ!!」
「なんでもなくないよ、キミのことならなんだって知りたい。ねぇ、教えてよ」
「嫌よ、ぜったいお断り!」
「つれないなぁ。まぁそういう勝ち気なところも好きだけど」
「……やっぱりあなた、そっちの趣味があるのね」
「そっち?」
「被虐趣味の人ってことよ」
「じゃあキミは加虐趣味ってことだ」
「わっ、私は違うわよ!一緒にしないで!」
必死に訂正を試みるが、レオナルドに対してはなしのつぶて。楽しげに笑うばかりで、地団駄を踏みたくなる。
結局最後までその勘違いを正すことはできなくて。夕刻、帰宅の途につくレオナルドを見送りながら、メイベルはがっくり肩を落とすのだった。
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