大きなモミの樹の下で ─ 2

「なんだと?」

 片眉を上げた速水に、将之はさらに続ける。

「先程のスピーチ、拝聴しました。未来の街づくりの象徴として、最新型のイルミネーションを導入したそうですね。提案の際、周囲から反対意見は出ませんでしたか? 『まだ使える機材があるのに』って」

 図星だったのだろう。将之の指摘を受け、速水の目に動揺の色が走った。

「だとしたら、なんだと言うんだ」

「この騒動は、恐らく、お蔵入りになっている古いイルミネーションから生まれた電機寄生体が引き起こしています。何年も日の目を見られず、倉庫の奥に仕舞い込まれていた機材が耐え切れなくなって、異常作動というかたちで己の存在をヒトに知らせようとしているんでしょうね」

「馬鹿馬鹿しい。とんだ御伽噺だな」

 鼻白んだ様子で吐き捨てた速水に、将之は厳しい面持ちで一歩詰め寄る。

「信じるか、信じないかの判断はお任せします。ただ、もしもこれ以上騒ぎが大きくなれば、事態はこんなものでは済まなくなりますよ」

 一瞬でも気圧されたことを隠そうとしてか、将之から視線を逸らし、速水はフン、と鼻を鳴らした。

「君の話が本当だとして。では、その古い機材を処分すればいいということだな」

 小馬鹿にしているような短絡的な速水の発想に、将之は首をうち振る。

「それは完全に逆効果です。例え大元の機械や、現時点で寄生されている機械を壊したところで、一度出現した寄生体が消滅することはありません。むしろ火に油を注いで、さらに深刻な被害に繋がりかねない」

「ならばどうしろと?」

「今すぐイベントを中止してください。件の寄生体は、今こそ姿が見えませんが、近辺に潜伏していると見てまず間違いない。万一の暴走に備えて、市民のみなさんを避難させるべきだ」

 丁寧に説明した将之に、速水はかっと顔色を変えた。激昂して声を荒らげる。

「却下だ、話にならん! これだけ市をあげてアピールしておいて、中止になぞしようものなら、私の――」

「『沽券に関わる』、ですか?」

 静かな、しかし厳しい声で先回りした将之に、速水は言葉を詰まらせる。将之の反論は止まらない。

「お言葉ですが、あなたが優先すべきはあなたの評判じゃない。市民の安全です。まさかこんな事態になるなんて、計画の時点で予想できるものではありませんから、機材を一新したこと自体に落ち度はありません。ですがこうなってしまった以上、イベントを諦めてでも市民を守るのが市長としての務めでしょう。そもそも――」

 首を回して速水から視線を外した将之は、手近な茂みへと手を這わせる。見せつけるように掲げた彼の手が掴んでいたのは、イルミネーションのコードだった。

「あなたが市民を第一に考えていたなら、業者の選定時点から、慎重になってしかるべきでしたけどね」

 出し抜けにも思える将之の発言に、「何?」と、速水が不可解そうに眉を寄せた。そこに割り込んだのは、二人のやりとりに狼狽えていた若林だ。

「言いがかりつけてんじゃねぇよ。うちのやり方に文句でも」

「配線が雑。建築限界も守ってない。降圧トランスは設置台数不足。ソケットもところどころ割れてるし、そもそも部品が粗悪だ。安価な輸入品でしょうね。これじゃあ、いつ漏電が発生しても不思議じゃない。寄生体はただ、自分の存在をヒトに知らせようとしていただけでしょうが……オレにはあの赤い光が、ヒトへのアラートのように思えましたよ」

 若林に最後まで言わせず、将之は一気に畳みかける。これまた、図星だったのだろう。目に見えてたじろいだ若林が、返す言葉を失った。

 速水はと言えば、現場の正確な状況を把握していなかったのだろう。将之の指摘と若林の反応に驚いたように二人を見比べている。表情からはすぐに動揺を消したものの、若林を制して下がらせる所作は勢いが削がれていた。

 再び対峙した速水は、油断なく将之を見据える。

「市がどこに仕事を委託しようが、君には関係ないだろう」

「オレが部外者であることは確かですが、道義に悖っているのも確かでは? これだけ大規模な事業でありながら、入札にかけていないでしょう」

 今度こそ、速水は絶句した。零れ落ちんばかりに見開かれた目が、何よりも雄弁に答えを語っている。配線を元通りに整えた将之は、小脇に挟んだ端末をぽんと叩いた。

「聞かない社名だったので、気になって少し調べてさせていただきました。そちらの若林さんは、市長、あなたの甥御さんですね? 本来一般入札にかけるべきところを、あなたの口利きで斡旋したとなれば、立派な不正行為ですよ」

「な、何を証拠に、そんな出鱈目を」

「お目にかけるような証拠そのものはありませんが、市の財政データベースに入札記録が無い。その事実こそが立派な証拠です」

 将之の告発に、速水の顔を染める驚愕の色がますます濃くなった。聞き捨てならない、とばかりに、発言に含まれていた単語を拾い上げる。

「データベースだと? 君がそんなものを閲覧出来るはずが……まさか、庁内の人間か?」

「内部からの情報漏洩ではありませんので、ご安心を。知人に一人、頼もしい情報通がいましてね。外部の人間でこのことを知っているのは、恐らく、その彼とオレの二人だけです」

 慇懃無礼にすら感じられる将之の言い様に、速水の唇が憎々しげに歪んだ。

「私を脅迫する気か」

「もう一度言います。イベントを中止してください。オレがあなたに求めるのはそれだけだ」

 そこで言葉を終え、将之はただ一直線に視線をぶつける。速水は口を引き結んだまま、逃げ場を探すように再び目を逸らした。

 長い沈黙の末に根負けし、口を開いたのは速水のほうが先だった。

「――早急に中止の手配をする。他に必要なことがあれば、古賀を通して伝えてくれ」

「ご理解、感謝します」

 頭を下げた将之に、顔をしかめたまま速水は踵を返した。イベント本部へ向かおうとする速水の背中に、将之は声をかける。

「『未来の街づくり』。前向きで希望に満ちた、いいスローガンだと思います」

 速水がぴたりと足を止めるが、その顔は振り向かない。構わず将之は続ける。

「ですが、昔からあるものを――まだ立派に働いているものを蔑ろにしてまで目指すものでしょうか。人も物も街も、今あるものを大切にしてこそ明るい未来に繋がっていくのだと、オレは思いたいです」

 将之の真摯な言葉が、冬の空気の中を真っ直ぐに飛んでいく。

 やはり速水は動かない。だが、やがて。

「頭の片隅にでも、置いておこう」

 ぼそりとした呟きが、将之の耳に届いた。

 足早に去っていく速水の背中に、将之は再び深く一礼する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る