32 パン屋で勉強
楽しかった文化祭も過ぎ、季節は秋から冬へと移り変わっていく頃。俺は瑞季が来るのを図書室で待っていた。今日はもうすぐ期末テストということもあり、部活は無かった。そう、もうすぐテストなのだ。だから俺も英単語のミニテキストを必死に読んでいる。
俺は勉強が苦手だ。倉科さんや瑞季と違って。正直テストも嫌だ。だけど、受験の為に良い会社に入る為に勉強しなければいけない。学生の宿命みたいなものに俺は抗えなかった。
分からない単語が出てきた時、丁度瑞季がやって来た。
「待っててくれたのね」
「ああ。それでこの単語、どういう意味なんだ?」
「開口一番、その質問?」
「私は貴方のことが嫌いですって意味」
「ぜってーちげーだろ。それ、瑞季の俺に対する心情じゃね?」
「正解」
「少しは否定しろよ!」
冗談なのか本心なのか分からないけど、少なからず傷ついた。
「本当は高揚って意味」
「紅葉?」
「もみじとかいちょうとかの葉の方じゃなくて、気持ちが高ぶる方の高揚」
「ああ、なるほど」
やっぱり瑞季は何でも知ってるなーと改めて感服した。高揚は同音異義語でもある為、注意が必要だ。瑞季や倉科さんに勉強教わったら、本当に頭良くなるのか気になる所である。
「ねえ、勉強するなら場所変えない? ここじゃ狭い」
「そうだな。図書室にするかカフェなどにするか。せっかく図書室の前にいるわけだし、図書室の中、入らない?」
「えーやだ。あ、そうだ! イチオシのパン屋連れていってくれるって言ったじゃん! ヤマシタ・ベーカリーだっけ? 今日これから連れていってよ」
俺はすごく躊躇った。幼馴染みである瑞季を我が家のような所へ連れていく事に。ヤマシタ・ベーカリーの店自体も店員のみんなも、その店全てを愛していた。だからその場所を人を自分だけの物にしたかった。だけど、同時に広めたいという気持ちもあった。
それに店員の倉科さんが好き、という事をまだ知られてはいけない。バレたら、からかわれるし、心をぐちゃぐちゃにされる。それだけは避けたい。
学校一の美少女の倉科さんと最近距離近いわけだし、店員の倉科さんが好きなんて噂されたら、嫌われるに決まってる。浮気者として扱われる。自分の中でも浮気してる感がどうしても拭えなかった。彼女にコクられたら振る勇気を出そう。学校一の美少女とじゃやっぱり釣り合わない。地味で可愛い店員との方が釣り合うに違いない。この時はそう思っていた。
「うーん。いい、けどさぁ……」
「何でそんなノリ悪いの」
「そんな事ないよ」
二人でパン屋へ行く道を歩いた。人通りの少ない道をひたすら歩く。自転車で行けば早いが、歩きだと少し時間が掛かる。ヤマシタ・ベーカリーは木に囲まれた森のような場所にあり、街の中にひっそりと存在している。
歩きながらこんな事を話していた。
「文化祭楽しかったね」
「そうだね」
「倉科ちゃんと充実した文化祭過ごせた?」
「うん」
それからお化け屋敷行った事を話した。瑞季も劇に感動したらしい。
「休日はゲームばっかりしてるの?」
「そうだけど何で?」
「聞いてみたかっただけ」
「そういう瑞季はどうなんだよ」
「最近はイラスト以外にもアクセサリー作りやハンドメイドにハマってる」
「へー意外だな。今度見せてよ」
「分かった」
また瑞季が話題転換をした。
「ゲームと倉科ちゃん、どっちが大事?」
「急に何!? ……いやぁ、ゲームかな」
「ラノベと倉科ちゃん、どっちが大事?」
「ラノベかな」
「まだ陰キャ脱却は出来なさそうね」
「倉科さんは比べる物じゃ無いだろ!」
「倉科ちゃん泣くよ? マジで。理玖に嫌われてるのかなって」
「倉科さんに謝ろう、二人で」と俺は大きく頷いた。
「早く陰キャ脱却するために友達作りなよ」
「人が気にしてる所をストレートにツッコまないでくれませんかね?」
そんな話をしていたら、ヤマシタ・ベーカリーが見えてきた。この森の中に入るともう店だ。
「こんな目立たない所にパン屋があるの? お客さん来るの? 大丈夫?」
「そんな毒吐くなよ」
だから連れていきたくなかったんだ。悪口一つ言われたくないから。
木に囲まれたひっそりと佇む
洋風のドアを開けて、俺と瑞季は店内へと入った。
カランコロン。
ベルの音は耳に優しい。
「いらっしゃいませ!」
ベルの音と同時に元気な店員さんが出迎えてくれた。今日は倉科さんは休みなのだろうか。
「何かここ、落ち着くわね」
やっと瑞季が褒めてくれた。
「だろ? ここは俺の居場所なんだ」
瑞季はつまらなそうに「ふーん」と言った。
店員さんに席まで案内された。
メニューを見て頼むドリンクとスイーツを決める。瑞季はもう決まったらしい。注文の品が届くまでパンを選んだ。
「オススメは何なの?」
「フランスパンかな」
「あんたの好きなパンは聞いてない」
「あうっ。塩パンとコッペパンは温めて貰えるらしいよ」
「じゃあ、それにしようかしら」
瑞季はミルクパンと塩パン。俺はフランスパンとその他5点を選んだ。瑞季は本当、ミルク好きだな。文化祭でも選んでたし。
席に着くともう頼んでいたドリンクは置いてあった。瑞季が選んだ塩パンは今温めて貰っている。
その後、パンを食べながら勉強した。
まずは英語から。
「ここの空欄に入る英単語はa~dの中のどれ?」
「うーん」
俺は頭を悩ませた。どうやら俺は一回で覚えられないらしい。瑞季に一回で覚えて! と怒られた。
「この英単語の意味は?」
「フランスパン美味しいね」
「現実逃避するな!」
べしっと頭を叩かれる。痛い。
「英作文作れ」
「やだねー。そんな乱暴な言い方されるとやる気失せる」
「英作文作ろうね。フランスパン奢るから」
「ほんとか?」
黙々と課題に取り組んだ俺。フランスパンパワーは偉大だ。だけど、不正解だった。わーん。
続いて世界史。
「電気を初めて発見したのは?」
「分からん」
「ニュートンとは何を発明した人?」
「分からん」
「大化の改新は誰と誰が中心に行い、何年に行われた?」
「分からん」
「さっきから分からんしか言ってなくない? 大丈夫? バグった? とうとうbot化したか……」
その様子を遠くから見ていた人物がいる。その人物は目を伏せて、驚きつつもそわそわしていた。
「いいからサボってないで真面目にやりなさい! パンを食べるのは後! 留年するわよ」
「へいへい」
お願いだからお気に入りのパン屋でくらい羽伸ばせてよ。勉強なんてこりごりだ。
***
倉科side
あ、あれは。一条くんとみ、瑞季ちゃん!?
目の錯覚じゃないわよね?
何で瑞季ちゃんがここにいるの!?
一条くんが連れてきたっていうの?
なんで? なんの為に?
それに仲良く勉強してる……。仲睦まじくて微笑ましいなあ。私もあんな風になりたい。
って、そうじゃなくて!
注文の品を届けなきゃいけない。
やばいやばい。
瑞季ちゃんにはバレる気がする。だって、勘が鋭いから。バレたらどうしよう……。一条くんに言いふらされたら、私の人生終わる。
どうしようどうしようどうしよう。
私は一歩踏み出し、二人の前に立った。
***
勉強中に気づいてくれるだろうか、と不安になりながらも倉科さんは声を掛けた。
「注文の品ですっ! し、塩パン温めましたっ、ど、どうぞっ」
「ありがとうございます」
「あと、苺のショートケーキは?」
「あっ。わ、忘れましたっ。ごめんなさいっ!!」
見てみるとカウンターにショートケーキの皿が。
ゴンッ、バタッ。
急ぎ過ぎたせいで倉科さんはこける。
「大丈夫ですか?」
俺は手を差し伸べた。
彼女は手を握り、立ち上がった。怪我は無いようで、安心した。
俺は席に戻った。
「あの店員さん、大丈夫なの? ちょっとオドオドし過ぎじゃない? おっちょこちょいというか。あれで仕事が務まるのかしら。心配だわ」
「あれでも頑張ってるんだよ! 応援してあげろよ!」
「やけに肩を持つじゃない。ひょっとしてあの店員さんのこと、好きとか」
「違う!」
否定はするが、顔に出ているから意味が無い。
「わ、忘れましたっ。苺のショートケーキですっ。この度は申し訳ありませんっ」
瑞季はケーキを受け取り、食べようとした――その時。瑞季と倉科さんの目が合った。
「あ――」
瑞季は何かに気づいたように、そう声を発した。
倉科さんは恥ずかしいのか、おぼんで顔を隠す。もじもじしていて、全身が震えていて、顔は朱に染まっている。
彼女は猛ダッシュでカウンターの奥へと消えていった。
バレてないつもりでも、瑞季は見逃さなかった。ネームプレートに『倉科』と書かれている事に。
瑞季は俺に言うか言わないか、迷っていた。だが、確信には至っていなかった。それに彼女の意思も聞いていない。
***
瑞季side
あれって倉科ちゃんだったよね?
私の見間違い? 眼鏡掛けてて、前髪も長かったけど、顔は倉科ちゃんだった。ネームプレートも倉科だったし。
でも、どうしてこのパン屋でバイトしてるの?
理玖は多分、店員の倉科さんが好きで……それなら辻褄が合う。倉科ちゃんってあんなにオドオドするんだ。確かに文化祭のメイドカフェの時もあんな感じだったし、やっぱりあの店員さんは倉科和花!
もっと観察し甲斐があるわ。確信に至ってないから、本人に確認しないとね。
何で理玖は気づかないのかしら?
ほんと鈍感というか。面白くなってきたっ。
***
食事が終わり、店を出ようとした。
「またこのパン屋に来てもいいかしら?」
「え、いいけど。何でだ?」
「ここのパン、とっても美味しかったから」
瑞季は最大限の嘘を吐いた。いや、美味しいのは嘘でもない。
「そうか、分かった。また来ような」
店のドアを開く時、
「ご来店ありがとうございましたっ! またのご来店、お待ちしておりますっ!」という小さな声が遠くの方から微かに聞こえた。
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