獅子御前-時を越える女武者の系譜-

司書係

第1集

「やあやあ、遠からん者は音に聞け!近くば寄って目にも見よ!我こそは―――!」


 1人の武者が何事か叫びながら、脇に寄せた小者から無尽に矢を受け取って射かけてくる。ひどく正確な射撃だ。傍の武者は兜と頬当ての間を正確に、眉間を射抜かれた。腿を射られて落とされた騎馬武者は数知れず。が守る孤塁は100騎の騎馬武者、1000の雑兵に囲まれてなお、彼女の周りを守る10人ばかりの徒の雑兵は逃げ出さず、耐えている。


「とんでもない、とんでもない…神懸かりじゃあ」


 寄せ手の大将、関東から来たという立派な星兜の武者がわなわなと唇を震わせる。既に、3騎の武者が眉間を射られ、10騎が何かしらの不具を被った。ただ落とされた騎馬の者は両手に足りない。


「とんでもないなあ、加藤殿」


 この平安の末で、これほど粗末で古ぼけた鎧を着ている者はそうはいまい。その眼差しもぼやけた男だ。佇まいだけが風流な男は、しかし村上天皇の裔だ。


「五位殿…大人しく下がっとれと!」


 五位、帝のおわす殿中へ昇殿の許可も与えられる権利を有する。その貴族の称号を得る青年は名を源季房と言った。村上源氏という系統に連なり、『源氏』である。


「しかしなあ、加藤殿。これは不味かろう。佐殿からお預かりした武者どもが既に2割の損害だぞ?」


「だから!この期に及んでそなたまで喪のうてはワシの立つ瀬が無い!すっこんどれ!」


「だからはこっちの台詞だ。どうするのだ。某、佐殿に戦況報告をするという重大なお役目があるのだ。『女相手に手をこまねいてました』などと申し上げ、そなたに恨まれとうないわ」


 青年貴族・季房は茫洋とした視線はそのままに、女武者の方を向いた。


「面白い娘よなあ?近隣の者に聞けば、齢は十六。普段は楚々としてそうめんを作っているような娘だと。子子子こねこ法師と申すとか」


「な…!」


 どこでそれを知ったのだ、と星兜の加藤。彼は主君・源左兵衛佐頼朝が都から預かった貴人・季房をほぼ軟禁状態においていたはずだが。


「どこで知ったか、と言いたげよな。いやな、用を足した際に暇そうな地元の老人と知りおうての。教えてくれた。ほれ、あのあばら家の爺よ」


 季房が指し示した方向、1町は先に朽ちた家がぽつんとある。


「え、五位殿…見えておるのか?」


「失敬な。ぼんやりとは見えるぞ」


 都の者がそんな距離を見通せるなど聞いたことも無かった。佐殿…主君ですら、30間程度がやっとのはずだ。


「何故…何故、ぼんやりとでも見えておるのだ!?」


「知らんよ。で、どうするのだ。話を聞きとうないのか?」


 我に返った加藤は傍の郎党を呼んで、あばら家の方へと走らせた。




「へえ。子子子法師さまと言やぁ、この辺りでは評判のおひい様でさ」


「老人。女武者はしかとその名であると言うのだな?」


「へえへえ。法師さまは16年ほど前にお生まれになられましてな。赤松さまの唯一の女の子ということで、そりゃあまあかわいがられましてん」


「なるほどな。この辺りでも評判の使い手をこれでもかと師に」


「いや、そんな話はとんと聞きまへんな」


 季房の推測は外れたらしい。


「で、ではあの武芸は何だというのだ!齢十六、いくら幼少から武芸を磨くと言えどもあの正確無比な射撃は何だ!?」


 こちらもそう思っていた加藤が絶叫する。


「わしゃあこの通り老木ですがね、そげな大声出さんでも。聞こえとりますよ」


「悪いなあ。でもな、にわかに信じられん。では、あの武芸はどう磨いたのだ?」


「へえ、法師さまは野山を駆けることもあまりされず、専らお館で弓のお稽古をなさる他はまずまずおひい様の生活をされて」


「お稽古…だと?」


 加藤は肩の力が抜けた。ただの娘の手習いであの精度の武芸が身に付くものなのかと。そして、季房は違う感想を持った。


「そうか…なあ。つまり、あの姫武者は初陣と言うわけだな。某と一緒だ」


 お前と一緒にできるか!と加藤が声を荒げようとしたところ、少し離れた場所でまたも武者が1人。今度は首に矢が突き立ったと。


「神懸かりじゃ、兵を退く他は」


「なあ、加藤殿」


「なんじゃ!」


 振り返った加藤の目前に、強い意志を持った双眸。誰だこれは、と困惑する加藤に、季房は一言。


「なあ、あの姫武者。捕らえて京に連れて帰る。許してくれるか」


「そ、そんなこと!?」


 できるわけが…と言ったが早いか、季房は駆け出していた。慌てて季房の家人2人が追いかけてくる。


「五位様!どちらへ!?」


「そっちはおっかない女鬼がいますよ!?」


「鬼と言うな、なあ!あれはこれからお前たちの仕える片割れとなる女よ!」


「はあ!?」


 左に付いた従者は五郎。右手には六郎。村上源氏累代の家人の家に生まれた兄弟で、位階の他に季房が父から与えられた唯一のものである。


「五郎、六郎!某の後ろに回れ!真後ろだぞ!」


「季房様!?」


 とんでもない命令に兄の五郎が飛び上がる。主人を盾にする家人がいてたまるか、と。しかし、季房は強く命じる。


「五郎、命令だ!六郎、そちもだぞ!」


「しばらく、しばらく五位様!」


 兄よりは衝撃の少なかった六郎。必死に諫めるが、もう既に子子子法師の射程に収まっている。


 ヒュン!ヒュン!と幾筋もの矢が飛んでくる。全て季房を狙ったものだ。


「…兄者、言うとおりにしよう」


「何を!六郎!?」


 六郎は言うや否や、主人の背に隠れて走ることにした。五郎の方にも流れ矢が飛んで来る。否やは無い。


「南無三!」


 五郎も六郎の後に続く。奇妙な三人縦隊は少し、土の盛り上がった台の上に立つ姫武者・子子子法師に吸い込まれるように向かって行った。

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