籠の中の悪夢

ナカ

01

 あの人のことが嫌いだった。

 どうして自分は比べられてしまうのかと。

 だが、あの頃とは別の理由で今はあの人のことを嫌いだと感じている。


「    」

 テーブルの向こう側。向かい合うようにして座る相手は、相も変わらず穏やかな表情で笑っている。

 薄暗い部屋の中を照らす明かりは仄暗い青。そのせいか部屋の雰囲気は随分と重く淀んでいた。

「………………でね、…………が、………………なの」

 閉ざされたーテンのせいで外の景色は分からない。空調は効いているようで室温は暑くも無く寒くも無い温度ではあるものの、換気が悪いせいか息苦しさは感じている。耳に届くのは涼やかな音色の声。しかし、それはとても耳障りな雑音としか感じ取れなかった。

「…………?」

 一方的に繰り返される会話。それに相槌すら打たなくなってどれくらい経ったのだろう。一人楽しそうに喋り続けている相手はこちらの様子など気にするそぶりを見せない。それどころか、自分一人の世界に旅立ちひたすら夢物語を紡ぎ続けている。それに対して反応を返すのも面倒だと。熱の上がるお喋りにうんざりしながら俯き瞼を伏せていると、ゆっくりと船をこぎ始める意識。しかし、その船出は成立すること無く現実へと引き戻されてしまった。

「ねぇ!!」

 無視を決め込んでいたのに気が付いたのだろう。肌で感じ取った不穏な空気に顔を上げれば、向かいに座る相手が微動だにせずこちらを見ている事に気が付いた。

「名前を呼んだら返事を返さなきゃ駄目じゃない?」

 相手の浮かべる表情。その作りとしては、確かにそこに張り付く仮面は笑顔である。しかし、静かな口調に含まれるのは目に見えない怒りのようだ。

「    ?」

 もう一度。先程より低い声で呼ばれる名前。

「……何?」

 これ以上怒らせると色々と面倒臭い。本能的にそう感じ、取り敢えず目の前に座る相手に対して、適当な言葉を返しておくことにする。

「良くできました」

 選んだ言葉が正解だったのか間違いなのか。そんなことは分からない。ただ、相手にとってその解答が正解であるかどうかよりも、自分の言葉に対して反応を返されるという事の方が重要らしい。その証拠に作られた嘘くさい笑顔が少しだけ、自然で違和感のないものへと変化している。

 正直、相手の考えるこういった理屈は未だに理解できない。だが、それを理解する必要が無いことも理解はしているつもりだ。

 目の前に座る相手は先程から随分と上機嫌なようだ。会話が成立していると勘違いしているためだろう。自分の望んだとおりの反応が返されたことにとても嬉しそうに手を叩くと、静かに席を立ち、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。伸ばされ近づくのは相手の細い腕で、白く透き通った皮膚に似つかわしくない、爪に塗られた真っ赤な紅が印象的な綺麗な手だ。それで子どもをあやすようにして頭を撫でられる。

「良い子、良い子」

 それを大人しく享受してしまうのには理由があった。奪われた自由。それが抵抗を示すことが出来ない原因。後ろ手に縛られた両手首はずっと痛みを訴えている。

「あなたはずっと私のものよね?」

 突然走る頭部への痛み。髪を捕まれ無理矢理顔を上げさせられたのだと気付いたときには、目の前に相手の白い顔がある。瞳に宿る寂さは深い絶望から生まれたもの。皮膚が引っ張られる事で滲む涙に気付いたのだろうか。その人は慌てて掴んでいた髪を離すと、両手を広げ、今度は労るようにして抱きしめられた。

「……………………」

 確かにその人に体温はあるはずなのに、抱き込まれた腕の中が恐ろしく冷たいと感じてしまうのは、自分がこの人のことを怖いと感じているからである。だからこそ無意識に身構え、声にならない悲鳴を上げた。

「   ……愛してる、   」

 身体は強張り、心臓が早鐘の様に鼓動を刻む。血の気が引く事で感じる悪寒。乾ききった喉は引き攣り、唾液を飲み込む度に痛みを訴えた。

 狂ってる。

 目の前で笑うその人は、まるで慈愛に満ちた清らかなもののようで。しかし、その白さはどこまでも潔癖で完璧だ。それに対し感じる違和感が、痛烈な吐き気を伴いこちらの感覚を鈍らせしまうのが恐ろしい。

 秒を刻む針の音。その音がやけに大きく響き耳障りだと感じるのは、この空間に音というものがほとんど存在しないからだだろう。規則正しいそれが進む度、時間の感覚はどんどん曖昧になってしまう。この時が永遠であれと願うのは包み込むように抱き込んだ目の前の人で、この時が一瞬であれと願うのは抱き込まれている自分自身。そこにある大きな溝が埋まる事は、この先ずっと無いのだろうと言うことはわかっていた。

 何故こうなってしまったのだろう。その答えは少し前に遡ることで分かる記憶の中に在る。

 互いが共通してよく知る人物。


 その存在の喪失がきっかけだった。

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