街道を行く【黒騎士】
【
それが勇者組合で教えられた賢者の名前であった。
彼はこのガラルド王国の建国王にして【漆黒の勇者】、もしくは【勇者王】と呼ばれるガーランド・シン・ガラルドの二人の仲間たちの一人──【黄金の賢者】の弟子であるらしい。
その情報を入手した【黒騎士】は、早速【白金の賢者】に会うためにナールの町を後にした。
勇者組合の情報によれば、件の賢者はナールの町から徒歩で十日ほど離れた場所に存在する、塔で暮らしているという。
「しかし、何故賢者やら魔術師やらたちは、世間から隔絶した場所で暮らしたがるのか……私には理解できんな」
誰に聞かせるでもなく、そんなことを言いながら街道を行く【黒騎士】。
彼女の言う通り、世の賢者や識者、魔術師と呼ばれる者たちの多くは、町や村から遠く離れた場所で隠棲している場合が多い。もちろん彼らには彼らなりの理由があるからなのだろうが、少なくとも【黒騎士】には理解できなかった。
「だが、考えようによっては、その方が都合いいかもしれん。なんせ、私とこの鎧のことを説明しないといけないかもしれないからな。その場合、近くに他人がいない方がいいのは間違いないのだし」
鎧を脱いだ時と着ている時では、まるで別人かと思うほど【黒騎士】の口調は変化する。それもまた呪いのせいだと彼女本人は考えていた。なぜなら、特に意識しているわけでもないのに、自然と口調が変化するからだ。
また、性格の方にも呪いは影響しているようだ。
普段は控えめでおっとりとした彼女だが、漆黒の鎧を装着すると、とても好戦的な気分になってしまうのだから。
がっしょんがっしょんと鎧の各種パーツを鳴らしながら、威圧感ばっちりの黒い騎士甲冑が街道を歩いていく。
手にしたハルバード──町を出る前に武具屋に寄って引き取ってきた──も合わせると、今の彼女の重量は相当なものである。だが、街道を歩く彼女の足取りは実に軽やかだった。まるで、その身に纏った騎士甲冑の重量などないかのごとくに。
だが、全身甲冑の重量は決して軽くはない。事実、彼女が歩む街道の後方にはいくつもの足跡がくっきりと刻まれている。
そして、我が物顔で街道を往く禍々しい雰囲気を纏った【黒騎士】を、他の旅人たちは恐怖に顔を引き攣らせながら街道の端に寄り、【黒騎士】に道を譲るのであった。
「ふむ……そろそろ日も暮れそうだな」
街道を行く足を止め、【黒騎士】は空を見上げた。
先程まで青々としていた空も、端の方から赤く染まりだしている。やがて青は赤に駆逐され、やがては群青から黒へと変わっていくだろう。
「丁度いい。今夜はあの町で宿を取るとするか」
空から地上へと視線を移した【黒騎士】は、街道の先に見えてきた宿場町を見つめた。
結構大き目の宿場町のようで、それほど高くはないがしっかりとした城壁に囲まれた町のようだ。
「あれだけ大きな町であれば、私を泊めてくれる宿もあるだろう」
漆黒の甲冑に包まれた我が身を見下ろしながら、【黒騎士】は呟く。
この威圧感たっぷりの鎧のせいで、宿泊を断られること──他の宿泊客が怯えるからという理由が多い──が多々あるのだ。
彼女が泊まれる宿屋は、経営者がよほど理解を示してくれる場合を除けば、代金さえ支払えばどんな客でも拒むことはない最低な場末の宿屋か、逆に彼女の名声を聞き及んでいる最上級の宿屋のどちらかだ。
見かけはともかく、【黒騎士】の中身はれっきとした女性であり、できれば場末の宿屋は遠慮したい。そのような宿屋は安全面で不安があるし、大部屋しかない場合も多い。
呪いのせいで黒鎧を着ているか裸でいるかの二択しかないので、安全面でもしっかりした個室でないと安心して眠れない。
さすがの【黒騎士】もできれば鎧を着たまま眠りたくはないのだ。不思議なことに、この鎧を着たままでもなぜかぐっすりと眠ることができるのだが。
他にも食事を摂る際も、鎧を着たままでは不可能なので鎧を脱ぐ必要がある。そうなると、周囲に人がいる状況では食事を摂ることさえできない。
やはり、休息を得るためには安全な個室が必要なのである。
ちなみに、勇者組合から依頼を受けた場合は、彼女は常に一人で活動しているので野営をする場合などあまり問題にはならない。
逆を言えば、この呪いのせいで誰かと一緒に行動することができずに一人で活動しているのだが。
バーレン。それが宿場町の名前だった。
王国東部最大の街であるナールから一日の距離ということもあり、見た通りかなりの規模の町だった。
さすがにナールの街ほどではないものの、人が暮らしていくのに必要な施設は全て揃っている。もちろん、勇者組合の支部もある。
まずは勇者組合の支部へと顔を出し、壁に貼り出してある依頼票に目を通す。
近隣に遺跡などはないか、もしくは遺産や神器に関わる依頼はないか。彼女は訪れる町や村に組合の支部がある場合、必ずそこに貼り出されている依頼票に目を通すことにしている。
「ふむ、興味をひくような依頼……竜に関するものはないようだな」
腕を組み、依頼票を見つめる禍々しい雰囲気の漆黒の騎士甲冑を纏った巨漢。
その姿に、居合わせた他の「組合の勇者」たちや、支部の職員たちは顔を引き攣らせたり、顔色を悪くしたりしながら彼──実際は彼女だが──を見つめる。
「お、おい、あ、あれって……」
「ああ、あの恐ろしい雰囲気の黒い全身鎧……間違いなく、あいつが【黒騎士】ジルガだろう」
「そういや、ナールの街に【黒騎士】が姿を見せたって噂があったよな」
「どうやら、このバーレンに来たみたいだな」
「でも、組合の中でもかなり上位の……それこそ階位が一桁とも噂されるあいつが、どうしてこんな所に……?」
「そんなこと、俺が知るかよ」
勇者組合に属する「組合の勇者」には、それぞれ組合内における階位が与えられる。王国内で二千人を超すといわれる「組合の勇者」たちの中で、上位と呼ばれるのは階位五十位以内の者たちだ。
なお、階位の一位は組合の創立者である【黒の勇者】にして【勇者王】ガーランド・シン・ガラルド前国王に与えられており、この階位は不動であると組合の規定に明記されている。つまり階位の第二位こそが、実質的な筆頭勇者になる。
階位は主にどれだけ組合に貢献するかで決定される。依頼の達成率、獲得した賞金や報酬、そして、その勇者当人の人格などを組合が査定し、階位を決定する。
もちろん、組合に寄せられる依頼には魔物退治なども多いので、高い戦闘の実力がなければ上位の階位へは進むのは難しい。
だが、強いだけでは階位は上がらないので、階位が高い方が必ずしも強いわけではない。例えば戦闘力だけを比べた場合、五位と十位では十位の方が強いなんてこともありうる。
周囲が様々に噂する中、【黒騎士】は貼り出されていた依頼を一通り確認し、受付へと足を運んだ。
「少々尋ねたいのだが」
「は、はい、な、ななな何でしょうか?」
運悪く受付に座っていた年若い女性が、半ば泣きそうになりながらも何とか応答する。
「最近この辺りに竜が出るといった噂はないか?」
「りゅ、竜っ!?」
思わずひっくり返った声で答える受付の女性。その声に、再び組合の中がざわざわと騒ぎ出す。
「お、おい……竜だってよ……」
「【黒騎士】が竜ばかりを狩っているって噂、本当だったんだな」
「しかも、噂によると常に一人で竜を狩っているそうだぜ? あいつ、本当に人間か?」
ざわざわと騒ぐ周囲を気にすることもなく、【黒騎士】はじっと受付の女性が返答するのを待つ。そして、そんな無言の圧力に──禍々しい雰囲気の漆黒の騎士甲冑が、一層その圧力を増していた──ぎりぎりで耐えていた女性職員が、しどろもどろになりながらも何とか【黒騎士】の要求に応えた。
「こ、こここここの辺りで竜なんて……あ、そ、そうだ! 【ルドラルの黒魔王】……! ルドラル山脈にはとても大きな黒竜が棲んでいると有名で……」
「ああ、あいつならすでに会ってきた。他に竜はいないのか?」
「へあっ!?」
もう失神寸前の女性職員。魔王とまで呼ばれるルドラル山脈の黒竜を、この目の前の恐ろしい巨漢は既に退治したというのだから。
実際には退治したわけではないのだが、女性職員は一方的にそうだと判断してしまった。
竜さえも容易く退治してしまう、禍々しいまでの鬼気を振り撒く全身鎧の大男。ある意味でそんな竜よりも恐ろしい存在から逃れたくて、女性職員は涙目で周囲を見回す。だが、同僚たちは彼女の視線から逃れるように顔を逸らすばかり。
誰もが、この悪魔のような漆黒の騎士甲冑の男──この場にいる者たちは皆、【黒騎士】は男だと思っている──の前には出たくないのだった。
「え、えとえと……ほ、他に竜はいないと……と、お、思います……」
どんどん小さな声になりつつも、何とかそれを伝えた女性職員。
「そうか……邪魔をしたな」
だが、【黒騎士】はその返答に満足したらしく、全身鎧をがちゃがちゃ鳴らしながら勇者組合の建物を後にした。
そして、大きな黒い背中が扉の向こうに消えた途端、建物内にいくつもの安堵の溜め息が吐き出された。
「ふ……ふぇぇぇぇんっ!! す、すっごく恐かったよぉぉぉぉぉぉっ!!」
それまで【黒騎士】の相手をしていた女性職員が、安堵のあまりその場で泣き出した。
「ど、どうして誰も助けてくれなかったのぉぉぉぉぉぉ?」
「だ、だって……」
「……なあ?」
職員たちは互いに顔を見合わせ、何度も頷き合う。
彼らとて、勇者組合の職員だ。これまでに、いろいろな荒くれ者たちの相手をしてきた。
だが、あの【黒騎士】ほど恐いと思った組合の勇者はいなかった。それほどまでに、あの【黒騎士】が纏う禍々しい雰囲気は、なぜか恐怖を掻き立てるのだ。
こうして【黒騎士】の姿がなくなったことで、勇者組合バーレン支部は、いつもの様子を取り戻した。
……かと思われたのだが。
「済まんが、一つ聞き忘れていたことがあった」
再び扉が開き、その向こうから例の黒鎧が再び姿を見せた。
「この町で、いい宿屋はないか? 代金の心配はいらないので、安全な宿がいいのだが」
勇者組合バーレン支部が、再び凍りついたのは言うまでもない。
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