無敵の黒騎士は呪われている

ムク文鳥

第1章

無敵の【黒騎士】

 世界がに染め上げられる。

 世界を真紅に染め上げた染料の名は、炎。

 超高温の赤い炎が、とある山の中腹に存在する巨大な洞窟の中を煌々と照らし、同時に高熱で炙り尽くす。

 そんな一色に染まる洞窟の中で、それ以外のが一つ……いや、二つ存在した。

 その色彩はどちらも黒。だが、二つの黒はその大きさに随分な差がある。

 黒のうちの一つは、巨大な洞窟の主に相応しい巨躯を誇り、同時にその洞窟内を真紅で染め上げた張本人でもあった。

 巨大な体の表面は黒曜石のような輝きを持つ鱗で覆われ、長い首と長い尾、そして巨大な翼を有している。

 口元には鋭い牙がぞろりと生え揃い、その大きさは短めの片手剣ぐらいはあるだろう。並の剣よりはるかに鋭い牙は、鋼鉄の鎧でさえ容易く貫くに違いない。

 そして、巨体を支える太く丈夫そうな四肢にもまた、牙に劣ることない剣呑な輝きを見せる爪がある。この爪もまた、岩さえ簡単に抉るだろう。

 竜。それが真紅の中に存在する黒の一つだ。

 強靭で巨大な体躯と高い知能を併せ持つ、世界最強の一角。この洞窟とその周囲に存在する広大な草原を領土とする黒竜は、愚かにも自分の領土に入り込んだ侵入者を滅ぼすため、その巨大な口から全てを灰塵に帰する真紅の炎を吐き出したのだ。

 だが。

「わははははははっ!!」

 真紅の嵐が吹き荒れる洞窟の中、豪快な笑い声が響き渡った。

「ぬるいっ!! ぬる過ぎるっ!! この程度では、風呂で浴びる湯の方が余程熱いぞっ!!」

 声高らかに炎の嵐を突っ切って黒竜へと肉薄するのは、が支配する洞窟の中に存在するもう一つの黒──漆黒の鎧を身に着けた人間だった。

 竜が吐き出す炎は、世界に存在するどんな炎よりも高熱であると論じる賢者は多い。

 実際に竜が吐き出す炎の前では、どんな頑強な金属鎧も意味はない。どのような金属であっても高熱によって瞬く間に溶け崩れ、中の人間もあっという間に燃え尽きてしまうだろう。

 だが、竜に猛然と迫る「黒」は、全く熱の影響を受け付けていなかった。

 竜の炎を真正面から突き抜けてなお、漆黒の鎧は鍛え上げられたばかりのような光沢を維持している。

 身長は2メートルを少し超えたぐらいだろうか。

 全身をくまなく覆い尽くした、黒い金属製の騎士甲冑を着た、実に大柄な人間だった。

 金属製の鎧で全身を覆えば、その重量がどれ程のものになるか想像するのは難しくないだろう。

 実際、騎士が全身鎧を着た場合は自分一人では馬に乗ることもできず、他者の手助けが必要な場合さえもある。そもそも、全身鎧とは一人で着込むことさえできないものなのだ。騎士が全身鎧を着る場合、従者などの助力が必要不可欠なのである。

 それ程全身鎧というものは防御力に優れる反面、重くて同時に行動を阻害する。

 だが、竜のねぐらである洞窟に踏み込んだ黒い鎧の人間──黒騎士は、まるで鎧など着ていないかのように、いや並の人間よりも遥かに敏捷だった。

 解き放たれた矢のような速度で黒竜へと迫ると、両手で保持した巨大な槍と斧を合わせたような武器──ハルバードを黒竜の前肢へと叩きつけた。

 竜の鱗と爪、そして肉までもがごっそりと抉られて、血と共にそれらが周囲に飛び散る。

 同時に、黒竜の口からは苦悶の咆哮が上がった。

 鋼よりも尚硬い、竜の鱗。黒騎士の一撃はその鱗を易々と打ち破り、明らかに竜に深手を負わせていた。それだけで、人間としては偉業と呼べるのは間違いない。それ程、人間と竜とでは生物としての階梯に隔たりがあるのだ。

 だが、竜の「最強」の看板は伊達ではない。前肢に走る激痛を怒りの炎へと変えながら、黒竜は傷ついていない方の前肢で自らに怪我を負わせた小さな敵を薙ぎ払う。

 竜の鋭い鉤爪が空気を引き裂く。だが、黒騎士はこの時既に後方へと退避しており、竜の爪は空気を引き裂いただけに終わる。

「遅いっ!!」

 一旦後退した黒騎士が、再び黒竜へと肉薄する。

 黒竜の動きは決して鈍重ではない。その巨体からは信じられないほど速く、並の兵士や騎士では見切れないほどである。だが、その黒竜の速度も黒騎士にとっては決して速くはない。

 黒騎士が持つハルバードには、槍のような鋭い穂先がある。その穂先を黒竜に向けて、黒騎士は風のようにはしる。

 突進の勢いと自身の体重を充分に乗せた穂先は、黒竜の鱗を容易く貫通し、再び周囲に血と肉片を撒き散らした。

 またもや体を突き抜ける激痛に、黒竜の動きが僅かに鈍る。その隙を逃すことなく、黒騎士はハルバードを両手に構えたままその前肢を駆け登った。

 もちろん、本来ならば竜の肢など駆け登れるものではない。だが、黒騎士はちょっと急な坂を登るぐらいの勢いで、軽々と竜の巨体を駆け上がっていく。

 前肢から胴体、胴体から首、そして首から頭へと。ものの数回呼吸する間に、黒騎士の身体は竜の頭部に辿り着く。

 自らの身体を軽快に駆け登る黒騎士を、黒竜は真紅の瞳だけを動かして見つめる。

 その真紅に浮かぶのは、明らかに驚愕と恐怖。黒竜は今、自分よりも遥かに小さなこの人間に、恐怖という感情を抱いていた。

 その黒竜の真紅の目に、黒騎士が手にするハルバードの穂先がぴたりと突きつけられる。

「選択せよ。私との交渉に応じるか、さもなくば命尽きるまで私と刃を交えるか……どちらを選ぼうとも、私は貴殿の選択を尊重しよう」

 この時、黒竜は生まれて初めて恐怖という感情を味わい、そして、同時に敗北をも味わうことになった。



 ガラルド王国東部の街、ナール。

 三つの街道が交わるこの街は交易の拠点として、そして周囲に広がる豊かな森林と草原から得られる恵みで栄える街である。

 王国東部では最も大きな街であり、この辺りを領地とする領主の館もこのナールに存在する。

 交易の拠点であるナールには、様々なものが流れ込む。ナールは大河ガスケスにも接するため、船による交易も盛んに行われている。実質的に、ナールの町にとってガスケスは第四の街道と言ってもいいだろう。

 そんなナールの街には数多くの旅人が訪れ、旅立っていく。そして、そんな旅人を目当てとした、各種の店舗もまた軒を連ねていた。

 宿屋や飯屋、酒場は言うに及ばず、旅に必要な携行食や品物を扱う各種の店、旅の護衛として傭兵を斡旋する口入れ屋、一夜の夢と安らぎを提供する娼館など。

 そして、様々な品物もこの街には溢れている。異国から仕入れた珍しい品物や食べ物、他では手に入れることが難しい薬品や薬草、華やかな衣服や装飾品、そして武器や鎧などの武具。

 さすがに国の中心とも言うべき王都には劣るものの、ありとあらゆる物がこの街にはある。

 そのナールの街の中心を貫く目抜き通りを、一人の大柄な人物が歩いていた。

 周囲を行き交う人々よりも、頭一つ以上抜きん出た巨躯。その身体に纏うのは、全身をくまなく覆う漆黒の騎士甲冑。

 肩当てや籠手、具足など所々に鋭利な棘を思わせる突起があり、それだけで見る者に得体の知れない恐怖心を抱かせる。

 そして頭部を覆う兜には、側頭部より生えた角。まるで野牛のように両側へと張り出した角は、それだけで立派な凶器となり得るだろう。

 漆黒の全身から漂うのは、瘴気とも殺気とも判断のつかない禍々しい雰囲気。気の弱い者ならばその雰囲気に触れただけで腰を抜かし、子供であれば間違いなく泣き出すに違いない。

 当然、その漆黒の鎧を着た者──黒騎士が道を歩けば、誰もが彼に道を譲る。

 店先で客を呼び込んでいた商人は慌てて店の奥に逃げ込み、買い物客や道ゆく人々は大急ぎで道の脇へと退き、強面の傭兵や兵士までもが恐怖に顔を引き攣らせて道を譲る。

 全身から漂う正体不明の鬼気と大柄な身体。そして更には、その手に明らかに血によるものと思われる汚れの付着した、巨大なハルバードが握られているのだ。このような人物の前に、進んで立とうとする者はそうそういないだろう。

 誰も彼もが道を譲る中、黒騎士は悠然とナールの街を歩く。そして、やがてその前方に見えてきた大きな建物の中に、黒騎士はゆっくりと足を踏み入れるのだった。



 勇者養成相互支援組合。通称、「勇者組合」。

 もしくはもっと縮めて、ただ「組合」と呼ばれることもある。

 それがその建物の名前だった。もっと正式に言えば、勇者養成相互支援組合ナール支部であるが。

 「勇者組合」はこの国、ガルラド王国の建国王であり今は亡き先代国王、そして【漆黒の勇者】にして【勇者王】の異名を持つガーランド・シン・ガラルドの主導の下、様々な状況に対応できる人材を養成するために設けられた組織である。

 今から七十年ほど前、現ガラルド王国の前身であるアルティメア王国を壊滅させた最悪の厄災、【銀邪竜】ガーラーハイゼガを退け、現在のガラルド王国を建国した【漆黒の勇者】ガーランド・シン・ガラルドと二人の仲間たち。

 彼らは自分たちの没後に【銀邪竜】のような脅威が再び現れることを危惧し、これに対処できる人材を育成するため、「勇者組合」を作り上げたという。

 「勇者組合」は所属する者に様々な技術や知識を授け、そしてそれらを実践することで更に磨き上げていくことを主な目的としている。

 具体的には、組合に寄せられる様々な依頼を所属者──世間一般では組合に所属する者を「組合の勇者」と呼ぶ──に斡旋しこれを遂行させることで、組合員の育成と連携を図るのだ。

 もちろん、組合に所属するためにはそれなりの会費と一定の身分証明、そして実力が必要となる。

 だが、依頼された仕事を成し遂げた際に支払われる報酬は、一般的な職業の賃金よりも多い傾向にあるためか、「勇者組合」の門を叩く者は少なくはない。

 そんな「勇者組合」のナール支部の建物の中に件の黒騎士が足を踏み入れた途端、それまで騒がしかった建物内の喧騒がぴたりと収まった。

 そして、建物の中に集っていた多くの者たちが、一斉に黒騎士へと畏怖を宿した目を向ける。

「く、【黒騎士】……」

「あれが……噂の【黒騎士】ジルガ……か?」

「ああ。いつもたった一人で依頼を請け負い、そして、どんな依頼でもたった一人で完遂する……このナールの街で……いや、ガラルド王国の中でも最強と噂される人物の一人だ」

 あちこちで囁かれる会話が聞こえているのか、それとも聞こえていないのか。当の【黒騎士】は全身の甲冑を鳴らしながら、建物の奥に設えられたカウンターへと向かう。

「検めて欲しい」

 【黒騎士】はそう言いつつ、背負っていた背嚢をカウンターへと置いた。


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