第9話【皇帝side】

 


【皇女様は、体調が未だ優れず、ベッドから出られない状態です】


 とは、医者の言葉だった。

 別に、直接聞いた訳ではない。

 診断書にそう書いてあったから、そのままソレを現状として捉えていただけだ。


 そして、別に遣いをやった訳でもない。

 心配していたか、と言われたら、特別、心配などしてもいなかった。


 ――それが、現実だった。


 いつもの朝食に、家族が全員揃っていないのも。

 テーブルの上に、人数分用意されている料理の一つが空席なのも。

 特段、いつも通りのことだ。


 二番目の息子が、一度。

 様子を見に行ったらしい。


【……身体は元気そうだったけど……】


 そこで、ぶつり、と途切れた言葉が違和感として残った。

 続きを促されて、ぶっきらぼうに。


【今は、しおれているだけだ。またすぐ戻るだろうな。……いつもの我が儘に】


 と、声をあげた。


 ――身体に異常はないと聞いていた。

 だが、心の方に問題がある、と。


 そうだろう。


【目の前で、母親が、殺されたのだ】


 そうなりもするだろう。

 自分でも非情な、自覚はあった。

 だが、事件があった後も、私は娘の顔を見に行くことも、娘の体調を気遣うことも何一つしていない。


 やるべき事後処理が多すぎて、会いに行けなかったといえば少しは聞こえがよくなるかもしれないが。

 実際、忙しかったのは本当にしても、娘の顔を見て、いつものように我が儘を言われては“うんざり”するというのが本音だった。


 ……娘も、私に来てほしいとは、一度も望んではいなさそうだった。


【何かあれば、またいつものように此方に言ってくるだろう】


 二番目の息子がそう思ったように、私もそう思っていた。

 だが、いつまで経っても、そうは、ならなかった。

 あの事件以降、娘はずっと静かだった。

 あれから、かなり時間が経ったが。


 いつも、診断書には。


【まだ、体調が優れない】


 という事が書いてあるばかり。


 それが、どういうことだろう。

 三日前、娘から二人きりで会いたいという打診があった。

 医者を通して伝えられたそれに……。


 私はとうとう、


【やっと、きたか】


 と、思った。

 娘が私を呼び出す時は、いつも決まって何かを求める時だ。

 その瞳にはいつだって、欲に満ちている。

 “服”か、“靴”か、はたまた、“宝石”か。

 今度は、何を買うのだろう。


【今まで、どうして来て下さらなかったのですか? お父様っ】


 とでも、言われるだろうか。

 母親が死んだことで、癇癪かんしゃくが酷くなっているかもしれない。

 皇女としての最低限の義務も果たさず、皇族としての対価も出さぬくせに、求めるだけ求めてくるのだ。


【親子揃ってよく似ている】


 そんなことを考えて、娘が来るのを待った。

 忙しい仕事の片手間に、娘がこちらに会いにくる。

 それ自体は、別にいつものことだった。



 ……だが。


「久しぶりの再会だな、息災か」


 ……と。

 声を出した私に、


「帝国の太陽にご挨拶を、お時間を取らせてしまい申し訳ありません」


 娘は何処で習ったのか他人行儀に礼儀正しく、私に声をかけた。


「医者から、お前の体調が芳しくないと聞いていたが?」


 そうして、一度、心配する素振りを見せる私に、無機質に。


「暫く、療養をさせて頂いたおかげで今はもうなんともありません」


 と、返ってくる。

 今まで我が儘三昧だった娘を思うとやけに大人びた口調だった。

 

 それから、娘は、自分の能力が発現したことを私に告げた。

 

 まるで自分の事を話していないような、他人事のような、そんな、淡々とした口調だった。


 “皇女様は恐らく、心が、壊れてるのでしょう”


 ――どの、診断書だっただろうか。

 不意に、書かれていた一文を今になって思い出した。

 私は、その無機質な文面の一端を此処にきて垣間見る。

 

 “犯人は、テレーゼを皇后にしたいという思想を持った庶民だった”


 確かに心が壊れてしまうには充分すぎるほど辛い経験であったに違いない。


 だが、それだけではないと、私は、気付いてしまった。

 心が壊れたなら、私の前で、泣きじゃくったりしても可笑しくは無い。

 なのに、娘は私の目の前で泣くこともしなければ、淡々としたままだ。


 ……皇女様は、恐らく、心が、壊れているのでしょう


【壊したのは、誰だ?】


【犯人は、だれだ?】


 ――お前、だよ


 耳元で、誰かの声が聞こえたような気がした。

 鈍器で殴られたような、衝撃だった。


 不意に浮かんできた自分の考えに思わず辟易へきえきする。

 

 私が、壊したのだ。


 いな


 私“も”壊したのだ。


【テレーゼが皇后になることに異論はない。

 そうでなければ、皇后という大役は務まらない】


 他でもない、私が決めたことだ。

 ――娘の母親彼女が死んで、すぐ。


「……身体は?」


 気付いたら、口からその身体を心配する声が零れ落ちていた。


「御覧の通り」


 と、娘は何でも無いように声をあげた。

 実際、その身体は本当に何でもないように見える。


「……身内から、“魔女”を出してしまい、本当に申し訳ありません。

 ですが、私の“血が繋がった身内”はもう、お父様のみ。

 ……皇帝のお父様に不幸を振りまくことは余程のことがない限り、あり得ないでしょう」


 淡々と、娘から謝罪が降ってくる。

 それと、同時に今後心配されるであろう懸念を真っ直ぐに伝えてくる。


 ――それを、伝えるに至るまで、一体、娘にどんなことが起こればこんな風に無機質に、まるで他人事のように伝えることができるのだろう。


「それでも、“私の存在自体が邪魔”だと望むならば、何処へでも行きましょう。

 ……全ては、皇帝の御心のままに」


 そうして、娘は、私にとって、“自分自身”が疎ましい存在であると、“理解”している。

 真っ直ぐに伝えられたその言葉に、心臓を握られたようなそんな感覚さえ覚えた。


 私が一度だって、娘のことを顧みなかったことを、本人が気付いているのだ。

 そうして、その上で、こうやって“提案”してきている。


【何処へでも、行く】


 と……。


 恐らく、私が一言でも“”と言えば、本当に何処にでも行くのだろう。

 娘の瞳には揺るぎない覚悟があった。

 いつもの“癇癪”も、“我が儘”も、何一つ言わない娘に。

 ……こういう時くらい、言えばいいのに、と頭の片隅で思った、私は最低だろう。


 ――私が、娘にしてやれることは、もう、そう、多くない


【時間の巻き戻し能力】


 そんな物を、手にしたって、能力を使用すれば否応なく


【娘は命を削られるだろう】


「……っ、時間を、どれほど巻き戻したのだ」


「“数分”です」


 と、返ってきた言葉にひとまず、安堵する。

 そこまで、大きな使用ではなさそうだった。


「はぁー」


 と、溢れた、ため息にも近い安堵に、内心で、どこまでも勝手な父親だな、と私は自嘲した。


「……本当に身体には、負荷はかかっていないのか?」


 ……そうして、出した言葉に。


「問題ありません」


 と、娘が頷いた。

 そのことに、どうしようもない程に安心している自分がいた。


「そうか……話は分かった」


「はい」


「偶発的だと言ったが、能力の使用は、可能な限り控えなさい……出来れば、だが」


「勿論です、お父様。

 ……誰かに見つかったら大事ですから。

 けれど、“有事”の際に使えるようになっていて超したことはない。……ですよね?」


「……っ」


 だが、使用を控えろ、と声に出した私に、娘ははっきりとそう言った。


【能力を使用すること】


 それを、今、自分のためではなく、“他人のため”に娘は自ら使用すると言っているのか?

 ……いや、確かに少し前の私なら、間違い無く娘にそう言っただろう。


【何かあった時のために使えるようにしておけ】


 と……。

 それが、娘を思う父親の発言では無いのは明白である。


 だが、娘自身、そうするのが当たり前であるかのように言っていることに驚きを隠せなかった。


【皇女としての最低限の義務も果たさぬくせに】


 私は確かにそう思っていた。


 けれど、娘はまだ10歳だ。

 ……10歳なのだ……。


 皇女としての最低限の義務にしては、これは、あまりにも


【“出来すぎている”】


 いつもの、我が儘はどうした?


 いつもの、癇癪はどうした……?


 思えば、私は娘の顔をもうずっと、長いこと見てこなかった自分自身に気付く。


 一体、いつから、娘は……。

 こんな風に、表情を無くして。

 ……淡々と言葉を喋る無機質な機械みたいに、なったのか。


 “あの事件”が発端ほったんだろう。

 だが、それは、あくまでも、発端に過ぎない。


「どれくらいの時間使えるか、“自発的”に使えるか、試したいことの幾つかは、挑戦してみても構いませんよね?」


 そうして、思ってもみなかった娘の一言にぐっと言葉に詰まった。

 直ぐに脳内で娘が能力を使える利点を考える辺り、私はどこまでいってもこの国の王であり、父親では無い。

 ……だが、娘の能力が暴走して、いつ使用者の命を削るのか分からないよりは、ある程度娘自身が能力をコントロール出来るようになっていた方が“娘自身”のためにも、いいだろう。


 私は、そう結論付けた。

 

「……使ってない砦が、一つある」


 私の、幾つか所有している砦の一つを娘に与えることに決めた。

 ……それが、少しでも、今の娘に出来る罪滅ぼしのつもりだった。


「だが、必ず、騎士を連れて行け」


 だが……。


「……どうした?」


 私がそう言った時、困惑したように娘が固まった。

 そうして、暫くしてから……。


「お父様、私に騎士はいません」


 くつり、と自嘲するような苦い笑いが溢れた。

 娘からの思わぬ一言に、思わず面食らってしまう。


「……なぜだ? 騎士も侍女も必要なだけ送っていたはずだろう」


 と、声に出しても。

 目の前で娘は困り果てるばかりだ。


「……お前に仕えていた騎士の、名前は?」


 と、声にだしても、答えられないのか……それとも“庇っているのか”。

 娘は答えなかった。


「“魔女”には、気味悪がって誰も仕えたがらないものです。

 能力の情報が、必要なら、私から直接お父様に報告しにいきます」


 そうして……。

 次に降ってきた言葉に、思い知る。

 まるで、一人に絞れないような、そんな口ぶりだった。


 “一人”じゃない、“何人”も。


【誰も娘に仕えたがらなかったというのか?】


 今まで興味がなくて、放置していた。

 だから、入れ代わり人が流れていることに気付きもしなかった。

 そうして、娘は誰か一人の名前を口にせず、“誰も”という単語でお茶を濁した。


 まるで、皇族である自分の価値が侍女や騎士よりも“下”であるかのように。


 いや、事実、娘は自分を“下”だと思っているのかもしれない。

 それも本当に能力を得て『魔女』になった今ではなく、もっとずっと前から……。

 誰かに侮蔑されていたのだとしたら?


 ――それが、身の回りにいる人間のほとんどだったとしたら。


 本来地位の高いところにいる娘が、今まで“我が儘三昧だった”のは、自分の地位を守るための必死の抵抗だったのだとしたら……?


「……古の森は、一人で気軽にいけるような場所ではない」


「……そうですか、では、私には古の森の砦は身に余りますね」


「騎士団に話を通しておく。一人、誰でもいい、お前が決めなさい」


 私は、ふつふつと、湧いてくる怒りに、自分もちょっと前までは同じだったと唇をかみしめた。


 ――私も含めて、誰も、彼もが、取り返しの付かないことをしてしまったのではないか。


 そうして、今度は、娘が自分で決めた騎士を選べることを提案する。


 ……それくらいしか、してやれることがなかった。


「もう、古の森の砦はお前のものだ。

 何があろうと、私が一度言った言葉は覆らない。

 ……だが、騎士を決めるまでは、砦に一人で行って能力を使うことは禁止だ。

 ……分かったな?」


 私が一言そう言えば、娘は、“アリス”は、本当に少しだけ。


「ありがとうございます」


 今日、ここに来てから、初めて弾んだような声を出した。

 娘はそれだけ言うと、私に背を向ける。


 ――無駄な話をするのが嫌いな、私に配慮してだろう。


 娘が去って行くその背中を呼び止めようとして、けれど私は何も言えなかった。


 “今更、何を言うつもりだったのか”


【明日から、朝食には来なさい】


 などと……。

 あまりにも、虫が良すぎるではないか。



 ――それから、どれくらい経ったろう。


「ここに」


「はっ、お呼びでしょうか」


 執務室の椅子に座ったまま、私の影を呼ぶ。


「話は聞いていたな?」


 一言、声に出せば影は小さく頷いた。


「娘の元を去った人間を人数分割り出してくれ」


「……処罰は如何様いかように?」


「追って決める。

 ……が、もしも“皇族”に向かって魔女だと、軽視して侮蔑したような人間がいたならば、絶対に許してはならぬ」


「……承知しました」


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