アロマンティスト×アロマンティスト 5


 志部谷しぶやがかえでと呼んだ少女が本を読み終えるまでの間、龍成は部屋の中を観察することにした。


 宿直室という言葉で龍成が頭の中に思い浮かべていたのとは違い、中は随分と広い。部屋の半分は畳が敷かれていて、もう半分はフローリングだ。


 おそらくだが、この宿直室は一人二人程度ではなく、もう少し大人数が使うことを想定して作られたのではないだろうか。


足高あだかー、緑茶と紅茶とコーヒー、どれがいいー?」


「あ、じゃあ緑茶でお願いします」


「オッケー」


 志部谷が水道からヤカンにジョバジョバと水を入れる。ガスコンロに置いて火をつける。冷蔵庫を開けると、中からティーバッグを取り出した。


「ふぅ……」


 かえではどことなく艶のある満足げな吐息を漏らし、本にしおりを挟んで閉じた。


「お待たせしました。あ、どうぞ座ってください」


「はぁ……」


 宿直室の入り口に立ちっぱなしだった龍成は、とりあえず鞄を床へと置いた。スリッパを脱いで畳の上に、足の裏でソックスの繊維が畳で滑るのを感じながら、続いてフローリングへと移動する。よく知りもしない女子の横にも正面にも座る気にはなれず、斜めの位置に腰を下ろした。


 座る途中、ちらりとかえでに目を向けると、


「あ、足高さん、今おっぱい見ましたね。エッチです。むっつりスケベです。女の子って、そういう視線には気付くんですからね」


 同世代の中でもかなり豊満な胸を、両手で庇うように隠された。


「違う。リボンの色を見たんだよ。学年を確認したかっただけ」


 小仙上こせんじょう高校では、学年ごとにネクタイとリボンの色が決まっている。かえでのリボンの色は赤。龍成のネクタイの色と同じで、つまりは同級生だ。


「あぁ、そういうことでしたか。それはそれで悔しいですね。これ、結構自信があるんですけど」


 今度は胸の下に両手を添えてたっぷんたっぷんと揺らす。龍成はそれを見ないように顔ごと目を逸らす。


 リボンの色を見た、というのは嘘だ。だって龍成は、この少女が同級生であることを最初から知っているのだから。一つの学年にいるのは四百人程度で、同じ学年の生徒であれば、一ヶ月もあれば何度か目にする機会くらいはある。


 そして見かける度にうわおっぱいでけーと思っていたし、ウェイウェイゼミが一言一句違わない言葉を漏らしたのを聞いた時には、知能があいつと同レベルだったかと自己嫌悪に陥ったりもしたのだ。


「……ところで、君、誰?」


「そうでした。言ってませんでしたね。宮里みやさとかえでです。かえで、はひらがなです。一年七組で、出席番号は34番です」


「……なんで僕、こんなところに呼ばれたの?」


「ふふっ。さて、一体なんででしょう?」


 龍成は一瞬だけ考える。答えは即座に出た。真顔になり、姿勢を整え、頭を下げ、



「ごめんなさい。僕は、あなたの気持ちに応えることは出来ません」



「もう! 違います! ちょっと何人かに告白されたからって自意識過剰ですよ!」


「教師がまだここにいるってのにその答えが出るなんて、思春期ってヤバいねー」


 かえでがプリプリと怒る。志部谷がケラケラと笑う。ヤカンまでもが揶揄するようにピューッと音を立てた。二人の言葉に反論できず、龍成は顔に血が集まってくるのを自覚する。


「じゃあなんで呼んだんだよ……」


「勧誘です」


「勧誘?」


「はい」


「なんの?」


「なんのだと思います?」


 かえでが百点満点の笑顔で問う。別に付き合う必要もないのだが、先ほど馬鹿にされたのを見返したいという意地もあった。


 ちらりと視線を移す。かえでの机の上に置かれた、ブックカバーで覆われた文庫本。


 文学部。


 本を読んでいたから文学部という答えに飛びつくのは、あまりにも安直に過ぎると龍成は思う。同じ轍は踏まない。野球部のイガグリ頭だって小説の一冊や二冊くらい読むだろう。


 だいたいだ、仮に文学部なのだとしたら、この部屋にはおかしな点がいくつもあった。


 普通、部活動というものは、何らかの成果を残さなければならない。スポーツ系なら大会に出るし、文化部系なら何かの賞に応募するとかだ。文学部なら文集を出すというのもあるだろう。


 だけれども、この部屋には、その文集を収めているようなロッカーも見当たらないし、壁の本棚には本の一つすらも入っていない。さらには、すぐ上に小仙上こせんじょう高校自慢の巨大な図書館が鎮座しているのだ。文集を図書館に収蔵し、本だって図書館から借りているのだとすれば、そもそも文学部の活動は図書館で行えばいいではないか。


 それに、だ。


 弘原海わだつみ佳奈芽かなめ


 文学少女かくあるべしと言わんばかりの、彼女が文学部員でなければ全ての文学部員は偽物か幽霊部員に間違いないと断言できる雰囲気の、文学部・オブ・文学部。


 ここが文学部なのだとしたら、弘原海がこの場にいないのはおかしなことのように思える。もし自分を文学部に勧誘するのだとしたら、それは間違いなく弘原海絡みに違いないだろう。告白は断られたけれども諦めきれず、ならば同じ部活に誘って交流を深め、改めて再度の告白に挑む腹積もりではあるまいか。


 先輩の失恋を知ったかなめが、独断で暴走したという線も薄い。志部谷の存在がその理由だ。生徒の恋愛成就のために、わざわざ教師が出張るだろうか。


「あ、この本が気になります?」


 かなめがブックカバーを外し、本の表紙を見せてくれる。



 団地妻 ~二泊三日の※※し不倫旅行~



 どこから、どう見ても、官能小説だった。タイトルの一部が伏字になっていることはご了承ください。


「学校でなんてもん読んでんだ!?」


「おいおい、なんてもんとはなんだ、なんてもんとは」


 志部谷が口をはさんだ。陶器製の茶器を龍成の前に置くと、椅子を引いて隣に座る。背もたれに肘を置いて足を大きく開いた斜め座り。自分の茶器に口を付ける。コーヒーの香りが漂ってくる。


「足高だってエロ本の一冊や二冊くらい持ってるだろー? あれ、本当は18歳未満は買っちゃいけないんだぞ。だけど官能小説は違う。18歳未満が買ってもお咎め無しだ。それに官能小説の文学的表現は見事なものなんだ。何冊か読んでみるといい。おすすめを貸すぞ?」


「アンタの趣味かよ!?」


「こーら、 教師に向かってアンタとはなんだ、アンタとは」


 龍成は少し考え、


「……じゃあ志部谷先生。こういう本、上の図書館にも置いてあるんですか?」


「置いてあるわけないだろう馬鹿者。常識でものを考えたまえ」


「どの口がそれ言うかなぁ!?」


「ああ、でも教師たちの目を盗んで入荷したエロラノベなら何種類かあるぞ」


「あんのかよ!? 分かってるなら止めろくださいよ!」


「変な敬語になってますよ」


「あっちはの領分だからねえ。それに私も止める気は無いし」


 宇宙人、というのは図書館の司書、宇崎宙人うざきひろとのことだ。自己紹介で自分から「どうか親しみを込めて宇宙人と呼んでくれたまえ!」と言い出す変人である。第三種接近遭遇は校舎案内の時の一度だけだが、あの人ならそれくらいのことは平気でやりそうな雰囲気は確かにあった。


 ともあれ、龍成は確信を得た。文学部ではない。絶対に。こんな文学部があってたまるか。

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