第3話 なによりも大切な人たち3
七月一日、一本の電話がかかってきた。「どーした?」といつもの調子で出ると、真綾は息を切らせて言った。
『咲ちゃんは浴衣持ってる?』
「いや、持ってねぇけど」
『あの……えっと……咲ちゃん! 浴衣買いに行って、七夕週間中に着ない?』
「七夕週間……?」
真綾によると、七月一日から七日まで『七夕週間』というイベントが大学内であるという。その期間は浴衣で登校、授業も受けても良い。校内には笹の葉が飾られ、短冊も書けるらしい。大学ってすげぇな……。いや、この大学が特殊なのかもしれないけど。
『でね、今日神楽小路くんに『浴衣じゃないんだな』ってなんだか残念そうに言われて。あーもう、なんでわたしは浴衣持ってないんだろうって!』
「なるほど。神楽小路に見せてビックリさせてやりたいってわけだな」
『うん……! だからもしよかったら……』
「いいぜ。でも、浴衣って高いんじゃないのか?」
『調べたら最近はお手軽な価格でも買えるみたい』
「へぇー! それじゃあ明日土曜日だし、見に行くか」
翌日、天王寺へ向かう。
ワタシたちにとって一番近い繁華街だし、学生向けの安い店も多い。駅前のファッションビルの大きな催し場ではちょうど水着と浴衣の大売り出しがやっていた。土曜日ということもあり、幅広い年齢層の女性で賑わっている。
「たくさんあるね!」
浴衣コーナーに行くと、真綾は嬉しそうに声を上げた。真綾の付き添いだし、ワタシは安けりゃいいって思って来たけど、実際のものを見るとワクワクするもんだ。ほんと色とりどり、柄も様々、値段はピンキリ。とにかく最初は真綾に似合うやつを探そう。ハンガーにかかった浴衣たちを見ていく。
「真綾はいつも水色とかピンクとか明るくて淡い色の服着てるだろ。ここは落ち着いた暗色のでもいいかもな」
ワタシがそう言いながら手に取ったのは藍色地にひまわりが描かれた柄のものだ。暗い色だけど、ひまわりが夏っぽいし、可愛らしさはしっかり残る。黄金色の作り帯と下駄もセットでお値段も手を出しやすい価格も嬉しい。
「めちゃくちゃかわいいね~! これにしよっかな!」
「無理やりそれにしなくてもいいんだぞ。ワタシの意見は参考程度にして、真綾自身が好きなの選んで」
「わたしが選んだらいつも通りになっちゃうもん。神楽小路くんをびっくりさせるなら意外性あるほうがいい!」
「それなら反対にさ、真綾がわたしの浴衣選んでくれよ」
「いいの?」
「こんだけあると悩むし」
「そうだなぁ。わたしが藍色でしょ。お揃いにしてもかわいいけど、やっぱりここは違う色がいいよねぇ」
真綾はさらに真剣な目つきで一着一着見ていく。
「咲ちゃんは元気な赤のイメージだけど、駿河くんって落ち着いてるから黒とか青のイメージなんだよねー」
「おいおい、なんで突然駿河が出てくんだよ」
「え? だって浴衣着る日に隣にいるのは駿河くんでしょ? だから隣に立っても、しっくりくるようなのがいいかなぁって」
「いや、まぁ、授業一緒なのは駿河だけど、でも」
戸惑うワタシをおいて真綾は浴衣の森へと入って行く。
「アイツがワタシの浴衣姿見たところで……」
ぼそっと呟く。残されたワタシはぼーっと適当に浴衣を見ながら、真綾が選び終わるのを待った。
七夕である七月七日は例年雨が降るからと、ワタシたちは週明けの月曜日にさっそく着ることにした。校内には期間中着付け師さんが常駐している着付け専用テントがあり、着付けてもらった。帯でお腹が圧迫され、タイトスカートより歩きにくい。そしてなにより暑い。子どもの頃着せられてたけど、よく我慢して着てたもんだな。真綾の着替えを外に出て待っていると、
「桂さん?」
声をかけてきたのは駿河だ。
「おはよう。ってなんでここにいんの?」
「教室に行こうと思ったら、桂さんがちょうどいたので。浴衣、紫陽花柄にしたんですね」
駿河には真綾と一緒に浴衣を買って着ることは軽く話してたけど、実際見られるとなんか照れる。
「紫陽花もだけど、全体に白と水色のストライプ入ってるのがポイントなんだぜ」
「涼しげで似合っていますよ」
「だろ~?」
とドヤ顔で返す。真綾が選んでくれた浴衣。最初は明るい色合いが本当に似合うか心配だったけど、似合ってるって言われて嬉しい。知らない誰かに言われるより、近くにいつもいる人に言われると何倍も嬉しいもんだな。着て良かった。
「真綾もそろそろ出てくると思うんだけど」
「ごめん! お待たせしちゃった……あ! 駿河くんだ。おはよう」
あの日買った浴衣を着た真綾が出て来た。片側の髪を耳にかけ、金色のヘアピンで留めているだけでも印象が変わる。
「佐野さん、おはようございます。お二人並ぶと風流で良いですね」
「えへへ、ありがとう」
「真綾、今日の四限の授業終わったら、ここに集合して七夕の短冊書こうな」
「うん、楽しみにしてるね!」
真綾と別れて駿河と共に教室へ向かう。喜志芸は山の上に建っている大学ということもあってか坂が多い。今日ワタシが受ける授業はすべて八号館と呼ばれる教室棟に集中している。八号館があるのは、喜志芸の奥で、入り口からそこへ行くにも十分は時間がかかる上に、そこそこ急な坂がある。普段、寝坊してダッシュしてる時でも、この坂に泣かされてるというのに今日は浴衣だ。ふぅー、ふぅーと息を吐きながら一歩一歩踏みしめるように歩くワタシに、さすがに駿河も心配そうな表情をしている。教室に到着する頃には体力が底をついていた。
「想定してた何倍もキッツイな……」
「あの」
「なんだよぉ……」
「大変申し上げにくいんですけど、その……白目になるのやめてもらえますか。夢に出そうです」
「はぁ~? ワタシだって好きでなってんじゃねぇ」
机に伏せて少し休もうとするも、帯が邪魔で出来なかった。背もたれに寄りかかり、天井を仰ぎ見る。
「駿河ぁ、ワタシは一日浴衣だからな。何かあったら助けてくれよな」
「了解です。無理はしないようにしてくださいね」
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