第47話

「サイラスは、陸軍に入隊するらしいね」


 八月最後の日曜日、公園のボートの上でケヴィンが言った。

 陸軍や海軍は、財産を持たない貴族の子弟の勤務先としては順当なのかもしれない。


(だけど、あのサイラスに陸軍なんて務まるかしら……)


 はたから見るだけでも、陸軍と王立騎士団の空気は全然違う。真逆と言ってもいいかもしれない。

 プライドの高いサイラスが、泥臭い陸軍のやり方にどこまで従えるか疑問だ。


 フェリシアの懸念を察したように、ケヴィンが「大丈夫だよ」と笑う。


「入隊試験の時に、かなり厳しい質問もされてたみたいだ。でも、サイラスは落ち着いて、丁寧に答えていたらしい。両親が破産したのは、贅沢を諫めることができなかった自分の責任でもあると言ってたとか」

「え、あのサイラスが?」


 思わず声に出してしまってから、「ごめんなさい」と謝る。相続するはずだった財産を全て失ったサイラスを、これ以上貶める必要はない。

 ただでさえ噂に尾ひれがついて、王都に戻ったと言っても、身の置きどころもないはずなのだ。


 その噂の出どころが身近な人物だとは知らないフェリシアは、今のような状況の中に戻ってくるのだから、サイラスもそれなりに覚悟を決めたのだろうと考えた。

 以前のサイラスなら、周りから笑われそうだと思っただけでサッと身を隠していたはずなのだ。


(本当に、何か変わったのかも……)


「サイラス……、人を見下すようなところさえなければ、そう悪い人ではないのよ」

「うん。なにしろ、きみが一度は結婚を考えた相手だからね」

「そ、そうね……」


 ケヴィンの口から言われると、なんというか居心地の悪いビミョーな気分になる。


 ビミョーと言えば、ケヴィンと暮らす予定の新居のこともビミョーだ。


「しかし、陛下も何を考えているのか……」


 ケヴィンもビミョーらしく、困ったようにフェリシアの顔を見た。


「家のこと?」

「うん。きみはどう思う?」

「ビミョーな気持ちには、なってるわ」


 破格の売値で競売に出されていた元ヘイマー侯爵邸を落札したのは、なんと王家だった。正確には、王の個人資産を運用している財団が落札したのだが、所有者が王になったことには変わりない。

 そして、王は、その元ヘイマー邸をケヴィンの結婚祝いに贈与したのである。


「いくら、宮殿から近い一等地にあって、広くて豪華な屋敷だからって……」


 あれほどのものは滅多にない、掘り出し物だと王は喜んでいたらしい。フェリシアとサイラスが元婚約者だったことは、すっかりさっぱり忘れてしまっているか、もともと把握していなかったようだ。

 忙しい身なので無理もないことだけれど……。


 贅沢三昧だったヘイマー家が所有していただけあって、元ヘイマー邸は確かに立地は最高だし、建物も内装も贅を尽くしたものだ。

 無駄に趣味のいい人たちだったので、ただ豪華なだけでなく落ち着きと品もある。

 何度か訪れたことのあるフェリシアは、建物や調度品そのものには何も文句のつけようはないと認めざるをえなかった。


「でも、こういう形であの屋敷に住むのは……」

「そうだよな……」


 それでも、結局、二人は旧ヘイマー邸を新居にすることに決めた。


 ローズマリーが「あの家は素敵よ」と絶賛して推してきたこと、見学に来たレイチェルとキャシーとブリトニーも「家だけなら素敵じゃない」「気にしないで住んじゃいなさいよ」と勧めてきたこと、そして何より、街で偶然会ったサイラスが言った言葉が背中を押した。


 街で偶然顔を合わせた時、サイラスはケヴィンとフェリシアにこう言ったのだ。


「いつか僕たちが買い戻せる日が来たら、売ってくれないか。二人が持っていてくれれば安心だから」


 ケヴィンは頷き、それから、弟たちはどうしているのかと聞いた。


「王室の下級職員として働いてるよ。なんとか学校だけは続けさせたかったんだけど……」


 学園の学費はバカみたいに高いんだなと肩をすくめて笑う。

 ケヴィンが奨学金の話を勧めた。卒業後に再び王室で働くことが条件になるが、学園の学費を王室が負担するというものだ。

 サイラスはとても喜んで、ケヴィンに頭を下げていた。


「フェリシア……」


 少し困ったように声をかけられて、サイラスの顔を見ると「謝りたいこともたくさんあるけど、どうか幸せになってくれ」と言われた。


(サイラス……)


 サイラスとの一連のことを報告すると、父であるエアハート侯爵は、いつかサイラスが事業を起こす時にはなんでも聞きに来るといいと伝えてくれと言ったのだった。


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