四ノ巻8話  黒幕対最強


 駆けに駆けた崇春が――何度か平坂を引き離しそうになりながら――、渦生らの見張っていた団地、その近くまで来ると。

 近くの一帯――小高い里山の一角とその手前、公園でもあるのか平たく開けた土地――が。雲のような分厚い霧に覆われていた。


「む!?」

 崇春が足を止めると、やがて追いついた平坂が息を整えながら言う。

「こいつが……谷﨑の言ってた、弁才天の霧ってやつか」


 崇春はうなる。

「むう。じゃとすると、あの中に渦生さんらが」

「ああ。だがその弁才天、鈴下すずしただったか? そいつも加勢に来てンなら。気をつけ――」


 崇春は掌に拳を打ちつける。

「っしゃあ! 人が多いとなると、なおのこと目立てるっちゅうもんじゃい! 南贍部宗なんせんぶしゅうが僧、四天王が一人、崇春! いざ参る!」

 そして、霧の中へ駆けていく。


「――る必要が、ってオイ! 聞けやこらァァ!」

 叫びながら平坂も後を追った。





 霧の中。錆びて朽ちかけた、誰も使うことのないであろう遊具が点々と設置された公園、そこで。


 至寂が両手でいんを結び――右手の人差指と中指のみを立て、その二指を左手の親指、薬指、小指で握る。そして左手の人差指と中指を右手同様に伸ばす――、真言しんごんを唱えた。

「ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン! 受けよ仏罰……【不動倶利迦羅九徹剣ふどうくりからきゅうてつけん】!」


 その前にいた『不動明王』が、後光のように背負った炎を燃え上がらせる。両手で持った直剣に、龍が巻きついていくかのように炎が昇る。

 炎をなびかす音を立てて、剣が振り下ろされた。


 一方、紫苑もまた印を結んでいた。両の指全てを掌の内へ差し込むように組み、そこから薬指、小指のみを立てて軽く曲げる。

「オン・ビシビシ・ンッシャ・バラギャテイ・ソワカ……打ち出せ小槌こづち暗黒くろの恵み! 【黒き黄金の大豊穣ブラック・ゴールド・ラッシュ】!」


 黒いもやを上げるその腕は、小脇に柄の長い木槌きづちを抱えていた。柄の端は房飾りを模したように装飾的に広がり、つちの面には花のつぼみを模したような紋様が刻まれている。その側面にはおめでたくも、松竹梅の形が浮き彫りにされていた。大黒天が持つ『打ち出の小槌』、それを大槌に仕立てたかのような意匠。

 その柄をつかんで槌を頭上に振り上げ、地面を叩くと。


 吹き上がった、墨に濡れたかのような黒光りを放つ、大判小判が波のように。背丈ほども上がったそれは、真一文字に至寂へと向かう。


 不動明王の振るった剣と、打ち寄せる黄金こがねの波がかち合い。けたたましい金属音を上げた。


 至寂の表情が険しくなる。

「むむ……!」


 紫苑は笑った。

「『業を断ち斬る剣』とか言っていたが。業を斬るならそれはつまり『斬っていく業の抵抗をその剣に受ける』ということ。ゆえに、多少の強度を備えた形で充分な力を乗せて放てば……受けられないものでもないようだね。さてと」


 両手で小さく勢いをつけ、大槌を持ち上げる。肩にかつぎ、息をついた。

「そろそろ話を聞いてくれませんかね? 僕が一連の事件の原因である、それはおおむね認めよう。だが、それよりもまず――」


「黙りなさい!」

 自らが手にした杖を払うように振り、歯を剥いて至寂が叫ぶ。

「話なら貴方を打ち伏せてからです、四天王像が踏む邪鬼のように。大暗黒天の力、直ちに封じます! 何かあってからでは遅い――」


 射抜くように紫苑へ向けていた視線が、不意に力を失ったように足下へと落とされる。

「あってからでは。あのときの、ように」


 紫苑は鼻で息をついた。

「話の通じない人だ。なら、こちらもそれにならおうか……たっぷり打ち据えてから、ゆっくり話を聞いていただこう」


 ほ、と口の中で言い、体全体で勢いをつけて大槌を宙へ振り上げる。

「受けるがいい、【黒き黄金の大噴射ブラック・ゴールド・ガイザー!】」


 大槌を地面に叩きつけた、それから一拍置いて。

ご、と揺らぐ音が至寂の足下から響いた、かと思うと。地面を打ち破り、間欠泉かんけつせんのように噴き上がる。黒い輝きの大判小判が。


「ぐ……!?」

 至寂は跳び退くも、いくつかの黄金にその身を打たれる。


 紫苑は笑う。

「最強の調伏師とやら、果たしてその肉体まで最強かな? さあ、いくぞ!」

 連続で地面を叩く。それから間が空き、地面が音を立てて揺れ出す。

 そして。今度は一度にいくつもの間欠泉が、至寂を取り囲むように噴き上がった。大判小判のかち合う、高い音を耳障りに立てて。


「喝っ!」

 至寂の声と共に、不動明王はその剣を振るった。いつの間にかその背丈を大きく越えて伸び、柱のような身幅と長さを持った大剣を。旋風を巻き起こすかのように自らの身を回転させ、周囲に噴き上げる黄金へ向けて。


 ただ一閃の澄んだ音を残して。それきり、黄金の上げる音は断ち切られた。

中ほどから斬り払われた大判小判の群れは、全てが幻だったかのように黒いもやへと変わり、消えていった。


「何……!」

 紫苑が声を上げる。


 至寂は静かに言った。

「なるほど、我が身は最強ではありませんが。我が守護仏、大日大聖不動明王は最強、なのです。……業の流れ、断ち斬らせていただきました。恐縮です」


 不動明王の背負う火炎が、音を立てて燃え盛る。その大剣の切先きっさきが紫苑へと向けられた。

「さて。次は貴方自身の業、断ち斬らせていただきましょう。切り離します、その『大暗黒天』」


 そのとき、離れた場所から渦生の声が響いた。

「いかん! いったぞ、そっち!」


 至寂は声の方へ顔を向ける。

 白い霧に煙る空、それを裂くように。火花を散らす短いいかずちが、幾筋も矢のように飛んできていた。

 明王は剣をそちらへ構え直す。宙へと振るい上げる剣が、全ての雷を打ち払った。


「ふん……小憎こにくらしいことよ。やりおるわ、小僧こぞう

 霧の向こうから帝釈天が、鎧に包まれたその身を見せる。


 一方、帝釈天から距離を取って向き合う形で。ジャージ姿の渦生も、至寂の方へと駆け寄ってきていた。その傍らには赤黒い肌を簡素な衣に包み、燃えるような色の髪を逆立てた烏枢沙摩うすさま明王みょうおうがいた。


「すまねえ、止め切れなかった……大丈夫か」

「ええ、問題ありません。しかし、思いの他苦戦しているようですね」


 渦生は苦々しげに顔をしかめる。

「ああ、前もそうだったが……奴は強え。本地ほんじを持たない怪仏のくせに、本地有りに近い力を持ってやがる。そうでもなけりゃ俺や、毘沙門天と戦って生き残っちゃいねえ」

 帝釈天をにらむ。

何者なにもんだ、てめぇ。その力、どういうからくりがある」


 帝釈天は縮れたあごひげをなで、穏やかに言う。

「さて、な。むしろ、お主の方が弱くなっておるのではないかな? 少なくとも、あれから成長したとは見えぬなあ……寺にいた折、試闘行しとうぎょうで一度も我に勝てなかった、あの頃からな」


 渦生の眉が、ぴくり、と動く。

 固い顔で至寂がつぶやく。

「やはりあれは、あの人の――」


 渦生は頬を歪め、吐き捨てるように言う。

「バカ言え、あの人はもう――」


「ええ、もういません」

 さえぎるように至寂は言い、それからまた言葉を口から押し出した。その口調には不自然なほど何の起伏もなく、その顔にも表情はなかった。

「私が殺したのですから。結果としてみれば」


 渦生が顔を歪める。

「そういう言い方すんなっつってんだろ! あれは――」


 表情の無い顔のまま、至寂は紫苑に目をやった。同じ口調で言う。

「そして。大暗黒天、あれもまた私が殺した、そのときに。……なぜここに在る、業を得て自然に再生したのか、それとも……いえ、どうであろうと」

 変わらぬ顔のままつぶやく。瞬きもせずに。

「再び、殺すまで」


 紫苑は肩をすくめる。

「ご自分の世界に入るのは結構ですが、僕にも分かる話をしてほしいですね。とはいえ」

 地面に下ろしていた槌を、軽く勢いをつけて肩にかつぐ。

「やることはこちらも似たようなもの。打ち倒す……話はその後だ」


 大槌を振り上げ、地面へと叩きつける。

「受けろ、【黒き黄金の大豊穣ブラック・ゴールド・ラッシュ】!」


 二人へと向け、吹き上がっていく黄金こがねの大波は。しかし、真正面から打ち破られた。

 突如として跳び込んできた、同じきんの――いや、清浄な、磨き抜かれた黄金おうごんのような――輝きを持つ拳に。


 高い音を上げて粉々に散る、金色の飛沫しぶきの中。拳を振るった崇春はそこで動きを止め、紫苑へと向き直る。

「お初にお目にかかるわい、生徒会長どの……いや、黒幕どの。斑野高校一の目立ち者、崇春見参」


 紫苑は目を見開いていたが、やがて微笑む。

「やあ、どうも。君のことは注目していたよ、厄介な存在として。そして……毘沙門天を出現させるため、好都合な駒として」


 崇春は、ふ、と息をつく。

「つまりは、かなり目立っちょったわけじゃのう。さて、おんしに言いたいことは一つ。いったい何故なにゆえ怪仏事件を引き起こしたか、それをとくと話してもらおうわい。何のつもりで生徒に怪仏を憑け、さらには毘沙門天の力を求めたのか。そしておんし自身はその力、どのようにして得たものか」

 紫苑の目を見据え、続ける。

「そうして、その力捨ててもらおう。その上で詫びよ、おんしが巻き込んだ皆に。我が友らに」


 紫苑は変わらず微笑んでいる。

「その言い方だと要求は三つだが……まあいい、こちらの要求は二つ。一つ、毘沙門天の力をこちらによこせ。谷﨑たにさきかすみ自身は別にいい、怪仏だけを切り離して我が『大黒袋』に納めよう」

 笑みを消して続けた。

「そして二つ。僕らに手を出すな、いや……僕らの下につけ。その力、僕らと共に振るってもらおう」


 崇春は首を横に振る。

「お断りよ。何をしようとしているかは知らんが、悪事の片棒をかつぐなどと」


「いいや? 君たちには守ってもらいたいんだ。僕らと共に僕らの学校を、生徒たちを」

 言った紫苑の顔には、いささかの笑みもなかった。目は真っ直ぐに崇春の目へ向けられていた。


 崇春は何度か瞬きした後、拳を構えた。

「……おんしの意図はつかみかねるが。わしの頭でもこれだけは分かったわ。わしらの望みは交わらん、とのう」


 紫苑もまた、大槌をかつぎ直す。

「ああ、そのようだ。残念だが、話は君らを倒してからだね」


 崇春の拳が金色の輝きをまとったもやを上げる。

「やってみるがええ、できるものならのう。――南贍部宗なんせんぶしゅうが僧、四天王が一人、『増長天ぞうちょうてん』の崇春。その活躍、とくと目に焼きつけよ」


 紫苑の掲げた槌が黒いもやを上げる。

「面白い、やってもらおうか。この『大暗黒天』の東条紫苑、倒せるものならばね」


 金と黒のもやがさらに勢いを増して吹き上がり、二人の視線がぶつかる。

 同時に構えた、そのとき。


「おーーい! 崇春、どこ行ったーー!? どこにいンだよ、渦生さーーん! マジでどこーーー!?」

 はぐれていた平坂円次が駆けてきた。霧の中、必死に辺りを見回しながら。


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