三ノ巻13話 双路をたどる帰り道
結局、その休み時間に怪仏は見つからなかったが。
それからも、怪仏らは何度も現れた。律儀なことに休み時間ごとに。決して授業時間にかぶることなく、数分ずつ。現在、放課後まで。
靴音――いや、さくさくと軽い
「うおおおおおお! おのれ、待たんかああああああぁ!」
ずっと先でライトカノンが声を上げる。
「――さらばだ諸君! 応援よろしく!」
金色の背中はすでに遠く、廊下の先を曲がって見えなくなった。そのライトカノンが追っていた、馬男の姿はとっくの昔に見失っている。
息を切らしながらかすみと百見――賀来はだいぶ後ろにいて、斉藤がついている――が、廊下の角までたどり着いたとき。その先で崇春は立ち尽くしていた。
「おのれ……また逃げられたわ……!」
その手は固く拳に握られていた。震えるほどに。
二体の行動は常に今朝と同じだった。馬男が突然現れ、名乗りを上げるライトカノンに戦いを挑む。アクロバティックな格闘戦の後、吹っ飛ばされた馬男が捨てゼリフを吐いて逃げ、ライトカノンが決めゼリフを言って追う――その後二体がどこまで行ったのか、追う度に振り切られて分からない――。
一応生徒に被害はなく、学校側も一部の生徒による悪ふざけや、動画撮影などのパフォーマンスととらえているらしかった。教師らも、彼らが現れたと聞けば探しには来るものの――破壊された校門も崇春が直している以上、被害というほどのものが出ていないからか――、通報などはしていないようだ。
生徒たちは生徒たちで、同じくパフォーマンスと見ているようだ。眉をひそめる者はいてもわざわざ教師に報告する者は少数で、むしろスマートフォンを向けたり、崇春のように彼らの後を追いかける者もいた。
やがて、廊下の向こうから足音も高く、平坂が駆けてきた。
「こっちに出たって聞いたが、見たか?」
崇春が大きくかぶりを振る。
「追うてはきたが……不覚、見失ったわい」
片手の指をあごに当て、その手の肘をもう片方の手で支えた姿勢で。考え込むように視線を落とし、百見が言った。
「この怪仏の動き、今までのそれとは明らかに違う……、何らかの意図が感じられる」
かすみたちを見回して続けた。
「整理しよう。まずライトカノンとやらが僕らの味方であるという可能性、これは無い。それは崇春を攻撃したことからも明らかだが――」
「当たり前だ!」
今追いついてきた賀来が、息を切らしながら声を上げた。
うなずきながら百見は続ける。
「――さらに言えば。馬男が現れたところに毎度タイミングよく現れ、なのに結果としては倒していない。だいたい、本当に倒したいならいちいち名乗らず、攻撃したら済む話だ。明らかにマッチポンプと見ていいだろう」
崇春が首をひねる。
「むう? タッチ……ランプ?」
その発言には触れず平坂が言う。
「なるほどな。筋書きのあるプロレスっつうか、まさにヒーローショーみたいなお芝居ってことか」
百見はうなずき、息をつく。
「問題は。なぜそんなことをする必要があるのかということ。そして今までの怪仏とは一線を
確かに斉藤のときにせよ、黒田のときにせよ。人目につく場所で怪仏が現れることはなかった。
かすみは言う。
「なりふり構わなくなった……ってことですかね、今までの怪仏が崇春さんたちに倒されてるから」
賀来が眉を寄せる。
「いやしかし……なりふり構わなくなったとして、やることがそのお芝居? なのか?」
確かにそうだ。矛盾している、わざわざ人目について、二体で争ってみせて。こちらに攻撃してくるでもなく、他の生徒を傷つけるでもない――今のところは――。
いったい、何が目的なのだ?
百見が言う。
「考えられる理由としては。まず一つ、『それ自体が怪仏としての業』だという可能性。……つまりそういうパフォーマンスをすること、あるいは注目を浴びること。それがその怪仏の持つ欲望である可能性。まるで崇春のようにね」
腕組みした崇春が重々しくうなずく。
「うむ……その意味でも、あ奴らはわしの宿敵! 負けるわけにはいかんのじゃあ……!」
特にコメントはせず百見は続ける。
「もう一つは。『僕たちに対する陽動』……つまりこちらの動きをコントロールするため、わざとやっている可能性」
「どういうことです?」
かすみが尋ねると百見は答えた。
「この怪仏の行動を黒幕がコントロールしていると仮定して、だが。ある種のメッセージ性を感じないかい? つまり……『やろうと思えばいつでもやれるぞ』と。『人目につこうがこちらは構わず怪仏を出す』『今は生徒に危害を加えてはいないが、その気になればいつでもできる、お前たちが間に合わないうちに』」
頭をかきむしって続ける。
「実際、明らかな失態だった……結果として、帝釈天を逃がしてしまったのはね。一昨日のうちにも奴から黒幕に報告されたはずだ、僕たちが敵だと。対策を打たれていても当然だよ」
聞いて、かすみの心臓が嫌な感じに跳ねる。今度の怪仏事件、そのすべてがかすみの責任のように思えて。
もちろん実際はかすみのせいではない、賀来のせいでも。帝釈天が黒幕に報告する時間は、昨晩かすみたちと話す前にもあったのだから。
それでも。帝釈天と接触したことやその居場所――いつまでもあの神社にいるかは分からないが――、黒幕をおびき出す作戦。それらについて黙っていることは、誰の得にもならない――いや、黒幕の得になる――こと。それはつまり、崇春たちに対する裏切りなのではないか?
今すぐ賀来に言おう。やっぱりあのことを話そう、と――そう思って口を開きかけたとき。
口早に百見が言う。わずかな時間をも惜しむように。
「とにかく! 今後の作戦だが最優先は当然、人的被害を防ぐこと、そのためには腹立たしいが敵の策にまんまと乗せられる、そういう形になる」
円次が顔をしかめる。
「あァ? なンだそりゃ」
「さっきも言ったように、相手はこちらにアピールしています……『お前たちが間に合わないうちに、その気になればいつでも人に危害を加えられる』と。その危害を防ぐには……こちらの戦力を分散させて、校内のできるだけ広い区域をカバーする。それしかない、だが――」
眼鏡を押し上げて続ける。
「当然黒幕もそれは読んでいる。というより、そう仕向けるため怪仏にこんな行動を取らせている、そう考えた方がいい」
円次がうなずく。
「なるほど。オレらをバラけさせて、一人ずつブッ倒そうッてか。向こうは二体いるわけだしな」
「もちろんそれもあります。しかし、最終的な狙いは――」
百見は眼鏡に手をやったまま、かすみの方を見た。
その目があまりに鋭く、まるで秘密までも見透かされているようで。かすみはわずかに後ずさった。
百見は真っすぐ指差した。
「――おそらく君だ、谷﨑さん」
「え……」
かすみが目を瞬かせていると百見は言った。
「帝釈天が一昨日のことを黒幕に伝えているとして、あの場にいた者が敵だとは報告されているだろう。個人個人をどこまで把握しているかは何ともいえないが……たとえば崇春は目立つしね、そこから同じクラスで関係のある者となれば、昨日今日で探ることも不可能ではないだろう。つまり」
かすみの目を見て言う。
「あの場にいなかったカラベラ嬢や斉藤くんはともかくとして――もっとも今行動を共にしている以上、狙われる可能性はあるが――、谷﨑さんは把握されていると考えた方がいい。『あの場にいた関係者で唯一、怪仏の力を持たない無力な者』としてね。そして黒幕としては。僕らの戦力を分散させた後に、守る者のいなくなった谷﨑さんを狙う。人質にするかどう出るかはともかく……少なくとも、僕ならそうする」
かすみはわずかに口を開いたが、何も言うことはできなかった。それより肩に重いものが、押さえつけられるようにのしかかる。
自分が狙われている、その恐怖や衝撃も多少はあるが。
そんなことより。自分が弱点になってしまっている、崇春たちの。足手まといになっている。
「……ごめんなさい」
かすみは深く頭を下げた。重い感覚に押されるまま、深く。
「ごめんなさい、私のせいで……私が――」
私が皆の邪魔をしている。私が皆の足を引っ張っている、帝釈天のことを秘密にしているばかりでなく。
――私が無力なせいで、怪仏の力を持たないせいで。皆の穴になってしまっている。
そのとき。下げたままの重い肩に、さらなる質量が載せられた。厚く、熱い手。
「谷﨑。大丈夫じゃ」
崇春。その大きな手は、かすみの肩をつかむでもなく引き上げるでもなく、ただ載っていた。
その重みを感じているはずなのに。なぜだかわずか、肩が軽い。
「大丈夫じゃ。お
かすみが顔を上げると。崇春は笑いもせず、ただじっとかすみの目を見た。
「だいたいそうじゃ、もしかして。怪仏の力を持っとらんことを気にしとるんなら、じゃが。とんだお
小さく――しかし長く――息をついた後、百見が言う。
「何度も言ったことだが。怪仏とはすなわち『
かすみが瞬きしていると、百見は続けた。半目を閉じた穏やかな顔で。
「得ようとして得られず、離れたくないものともいつしか離れ、出くわしたくないものと出会ってしまい、自らの心すら思うようにならない……それらの苦しみは誰にでもあるものだが。仏教ではそれらを、『執着』ゆえに起こる苦しみ……そう
百見はさらに続ける。
「究極的には『生を喜ばず、死を怖れず』といった境地を理想とする……そういう見方もあるのだけれど。要は『執着や欲望の支配から離れ』『あるものを、あるがままに見る』――それが仏法の教えであり、一つの『悟り』であるのかもしれないね。ま、何が言いたいかというと――」
肩をすくめて言う。
「僕も崇春も、君を責めることに執着なんかしていないし。怪仏の力も、持ってほしいとは思っていない。そういうことさ」
崇春も大きくうなずく。
その言葉の全てが分かったわけではないが。かすみがとにかく、うなずこうとしたそのとき。
「――ウマーッハッハッハ! 馬の耳に念仏ぅ!
「――おのれ、出たな悪の者よ! この『
崇春が歯を剥く。
「おのれ、出おったか! 待てい、目立ち勝つのはこのわしじゃあああああぁ!」
そのまま、足音も高く駆け出した。
同じく走ろうとした平坂を手で制し、百見は斉藤の方を向く。
「すまない、頼みがある! その二人――」
かすみと賀来を目で示して続ける。
「――渦生さんの駐在所まで送ってくれないか、さっき連絡したが手の離せない仕事があるそうだ、それに迎えを頼むにしろパトカーじゃ学校側が騒ぐ、それはそれで
顔を歪め、視線を落として続きを言った。
「正直。頼みづらい、君の命を
斉藤はうなずいた。
「ウス……早く、追って」
百見は強くうなずく。
「尊敬する。そうだこれ――」
斉藤に放った、それは小さな御守り袋。
「――
それだけ言って後も見ず、平坂と共に駆け出した。
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