35話 異形蜘蛛②




 パカリッ、と音がした。


 蜘蛛の身体に付いている12個ある人の口が開いた音だ。



 ひとつは笑いであり



 ひとつは悲しみであり



 ひとつは怒りであり



 様々な感情を乗せたそれらの姿は正しく人であって人ではなかった。


「······口の中に魔力が集まっていますね。·······《砂城》」


 目敏く気付いたレティシアは防御として数十m先に球状の砂壁を展開した。その固さは鉄の砦といっても間違いではない。

 蜘蛛の攻撃に警戒し、いつもよりも多くの魔力を込めたのだ。

 因みにレティシアはこれで突き破られたら仕方ない、全力で回避しようと思っている。



 そうしている間に、人の口から泥が溢れだした。


 ベシャリと泥は蜘蛛の身体に纏わりつき、全身を覆っていく。紫と白の縞模様が消えて薄汚く、けれど不思議と不気味な雰囲気を帯びていった。



 泥の滴が一滴だけ、地面に落ちていく。


 偶々だろう、そこには鹿の死骸があった。


 ボトリとほんの一滴、鹿に零れる。



―――瞬間、泥は一気に増大して鹿の身体を覆い尽くし、鹿は泥と同化し消えていく。



 同じくしてそれを見たレティシアは眉間に皺を寄せ、凝視する。


「·····あれは、不味いですね」


 一目見てわかる程の危険な効力があの泥にはあった。


「暗器は·······使えませんね。おそらくあの泥に当たれば武具の方が先になくなってしまう」


 そう判断したレティシアは持っていた投げ針をしまい、魔術暴風ひとつ・・・展開した。


(あの泥に少しでも触れれば私は死んでしまうかもしれませんね。流石に試すわけにはいきませんが·········やはり、この場面では《暴風》が最適ですね)


 蜘蛛がジッと巨大な砂壁を見る。

 自らよりも明らかに大きなそれを見ても何ら反応を見せずにただ、見ていた。




 そしてその事をレティシアは正しく把握していた。

 突き刺さる殺意と敵意は純粋に自分の命だけを狙っている。


 だからこそ、余裕を持ち、笑みを形作る。


 意識に余裕持つことこそ勝利への道だと理解しているからだ。


「今回の駆除は、時間が掛かりそうですね」



 次の瞬間、砂壁の一部が四散した。



 レティシアの読み通り、蜘蛛に触れた砂は一瞬にして泥に変わってしまっている。それは防御として《砂城》は使えないことを示している。


「······はぁ、一切の苦労もなく突破ですか。この分だと魔力障壁も駄目そうですね。やはり、回避しかありませんか」


 レティシアは直ぐ砂城を解除、同時に後ろに下がりながら《斬風》と《崩球》を次々に放つ。


『hgdrhhfcgjbcfu85e9ew7hra!!!!???』


 しかし、蜘蛛は上空に飛び上がり魔術を回避し、頭上にある巣に逆さまになりながら乗る。


 レティシアは追撃に地面の土を弾丸状に凝縮して放つ魔術土玉を発動、何百の土の弾丸が扇状に放たれた。


 それを見た蜘蛛は全身にある人の口から大量の泥を発生させ己の全面に垂れ流す。蜘蛛に目掛けて飛んでいた《土玉》は全てが泥に変わり、攻撃は無傷で終わってしまう。


「········これもだめですか」


 無表情に蜘蛛の様子を伺い、次の手を考えるが、次に動いたのは蜘蛛だった。


 蜘蛛本体の口から鋭い糸の槍が出来上がっていく。しかし先程の白い糸とは違い、色は焦げ茶色である。


「·······遠距離でも大丈夫なんですね」


 軽くではあったが遠い目になったレティシアだった。

 だがそうしてもいられないと頭を回す。


(······おそらく、あの泥はある程度の魔力も泥に変えられるのでしょう。でも毎回防御のために大量の魔力を使うのは下策でしかない、ですがそれしか方法はないですし··········考え付くまではこの作戦でいきましょう)


 大した策はなかったので大量の魔力を込めた《崩球》を作り出し、手の甲付近に留めておいた。


『3d3cyvtx6c3xunuv4y!?!?』


 声と共に糸槍が発射された。それを見たレティシアは最初に回避を選択し、右に駆けたが驚くべきことに糸槍もあり得ない曲がり方でレティシアに追随した。


「ッ!?」


 驚くレティシアはすぐに停止、糸槍を真正面から見据えて《崩球》を放つ。




 衝突




 振動が響き、空気を揺らしながら糸槍は泥へと還っていった。


「·········相殺しか出来ませんでしたか」


 時間稼ぎに《土玉》を継続して叩き込んで次の手を熟考する。


 しかし打つ手はない。

 否、倒す手立てはあるのだ。だがそれらは全てが広域殲滅用の魔術で炎や雷といった熱を持つものであり、精密な操作が出来ないものばかりだった。

 本来ならそれらを使ってもいいのだが、今使えばルネも同時に巻き込んでしまうので躊躇っているのだ。


 だがその時間も終わる。

 蜘蛛が再び糸槍を放つ準備を始めたからだ。


 それを見たレティシアも再び《崩球》を展開して迎え撃つ体勢のまま待つ。


『ddxr4tctjcr6hr6hcekdkop00!!!』


 泥を付けた糸槍が曲がりくねりながらレティシアへと向かう。まるでその様は生きているかのようだとレティシアは思考の隅で思った。


 糸槍の到達地点がレティシアの右側頭部に向けて飛んできたので先程と・・・様に・・真正面を向いて迎撃する。


 ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!!


 拮抗する二つを見るレティシアは問題なさそうだと思い、目を向けると何ら変わりない蜘蛛がそこにはいた。


 その様子がレティシアには嘲笑っているかのように感じ、嫌な予感が芽生える。


 そこでふと、思い出す。


 思い出すのはここに来るまでのほんの一時だ。

 レティシア達は蜘蛛の糸槍を避けここまで来た。


 そう、糸槍は一本しか飛ばせないわけではなかった。


「ッッッ!!!」


 バッと、後ろを振り向くと既に目の前には10を越す糸槍が迫っていた。


 10m、5m、2m


 あと数秒と言うところでレティシアに突き刺さる時、


「······《暴風》!」


 凄まじい風が全方位を吹き荒れた。


 荒ぶる風は迫る糸槍を遠退けて叩き落とした。


(·······ふぅ、危なかったですね。《暴風》を待機させておいて本当によかった)


 《暴風》は蜘蛛の泥を吹き飛ばす為に展開させていたが、思わぬところで役に立ったことにレティシアは喜んだ。


『jdhebzh3737dh4oqo3!?!!!!』


 蜘蛛が怒り狂うように叫ぶ。

 攻撃が防がれたことが腹に据えかねたらしく、人の口は泥を吐きながら共に叫ぶ。


 レティシアは次の動きをするために身構えるがすぐに構えを解いた。


「···········終わり、ですね」







 瞬間








―――縦に蜘蛛が割れる。



 きっぱり二つに別れた蜘蛛だった残骸は大きな音を立てて地面へと落下した。


 衝撃により立つ土煙にレティシアは目を細めながら見るとボンヤリと影が動く。


「はぁ、だから待てといっただろう。レティシアさん」


 土煙の中、動く影は大剣を肩に担いだルネであった。







「·········ごめんなさい」


 蜘蛛を倒した後、レティシアはルネに叩かれ正座させられて叱られていた。


 それも当然だろう。

 危険だとわかっていながら飛び込んでいったのだ。温厚なルネも流石に怒る。


「··············次は気を付けるように」

「はい」


 しかしションボリとしたレティシアを見ているとこちらが悪いことをしているように感じ、予定よりも早く説教を終わらせた。


「それで、祠はどっちだ?」

「ちょっと待ってください············こっちですね」


 再び目的地である祠に向かう。


「········そう言えば、さっき急に止まれと言ってきたがあの蜘蛛がいたからか?」

「ああ、いえ、違います。それではないんです」


 ふと、思い出したルネはレティシアに訪ねる。あの時はレティシアが思考の海に沈んでいたので聞かなかったが時間のある今ならと訊いた。


 レティシアは首を振りながら否定する。その顔は少しの微笑が張り付いているだけで内心は読み取れない。


「なら、何があったんだ?」

「········距離が·······距離が、おかしかったんです」

「おかしい、とは?」

「·········最初は正確に距離が測れていましたし、私が始めて来た時とほぼ同じ距離に祠があったんです。ですが、私が制止の声を掛ける少し前に突然距離が縮ん・・・・・んです・・・


 明らかに狂った距離に警戒したのだと、レティシアは告げた。


 少し俯いていたルネだが顔を上げてレティシアを見る。


「········で、レティシアさんはどう考えたんだ?」


 考えた結果、可能性がありそうな事柄が幾つか思い付いたが、魔術が使えるレティシアの考えも考慮に入れようと質問した。


 それをレティシアも気がついているので魔術観点からの考察を述べる。


「そう、ですね············魔術や魔法で距離を弄るとなると相当な魔力が必要となるので現実的ではないですね」

「魔石を使ってもか?」

「はい、魔石の魔力は無限ではありませんし········一級魔石を使っても、一時間程度が限界だと思います」

「········そうか、ありがとう」

「いえ」


 祠へと足を動かしながら考えるルネをレティシアは見る。


(あの訊き方をしたということは何らかの思い当たるモノがあるのかもしれませんね)


 深い思考と膨大な知識を持つレティシアから見ても、明らかにルネは有能であり自らに迫る天才だ。

 だから大人しく答えを待っていられる。


 暫しの時が過ぎた頃、ずっと考え込んでいたルネが足を止めた。


「どうしましたか?」


 当然、レティシアも同時に足を止めルネに問いかける。


「········推測は、立った」

「推測ですか。断定ではないと?」

「ああ、そうだ。あくまで推測·······だけど高い確率での確信もある」


 ルネはそこで言葉を切り、ゆっくりと息を吸う。



「―――レティシアさんが空間がおかしいと感じたのは、おそらくだけど魔術が原因だろうね」

「·······魔術が? ですがその可能性は私が否定しました。それを覆す程の根拠が?」


 一番始めに否定したものが原因と言われてはレティシアも黙ってはいられない。

 ジッとルネを見つめながら言葉の続きを待つ。



「ああ········まず、ここが何処かを思い出して欲しい」

「ここは図書館、で·········言い間違いました。ここは『魔法庫』の入り口です」


 ひとつの質問は前提の間違いだった。

 レティシアはあくまでここは図書館・・・であることが前提であったがルネによって気付かされる。


「その通り、ここは数々の魔法媒体が置かれている場所―――『魔法庫』の入り口。そして現在、『魔法庫』の中身のほとんどが取り出されずに埋もれている状態だ。この時点でレティシアさんの言う一級魔石の存在があったとしても不思議じゃない。だろう?」


 その通りだ、と悔しそうな雰囲気を出しながらレティシアは頷く。


「········他の可能性も色々と考えてみたんだが、やっぱり何処かで壁にぶつかるんだ。それらをどうにかできるとは俺には思えなかった·········だから、これが俺の結論だな」


 ルネが結論を話し終える。

 説明は納得できる内容だったので反論は特にない。だが結論自体はレティシアも辿り着いていたものだった。


 よって思う。


 ルネは結論に辿り着くまでの過程に何かを隠している、と。


「········わかりました。では、それを前提に動きましょう。············後でその壁のことを訊かせてくださいね」

「·······ああ、今回の件が終わったらな」


 しかし、それを指摘することはなかった。







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