カサインの悟り

ユキアネサ

凡夫<プリットハグジャナ>①

 カサインの家は代々占星家であり、大人になると天文台で働く。星占いは国家ソリス・オムネスの趨勢を決めるため権威があり、暮らしに困らないが責任は重い。


 その少年期は専ら知識の吸収に努め、厳しい競争にさらされ、選ばれた少数だけが占星試験を突破できる。カサインはなんとか試験を通過し、夢にまで見た天文台で働いていた。彼は臆病だったが、体の底から湧き出る何かの力があった。それを預ける場所がやっと見つかり、その力のままに生を謳歌できると思った。それは燃え上がる

炎のように彼の心を覆って妥協を許さなかった。


 しかし所詮夢は夢だった。創られた神話なのだ。汚職、賄賂、欺瞞にまみれた天文台を知り幻滅した彼は仕事への熱意を喪失した。すると炎の対象が別のものに移った。こんなクズ底で一生を過ごしたくないという思いが燻ぶり、後世に名を残したいと思った。


 その思いを抱いていながらも行動を起こさなかった、いや、出来なかった。結局今の暮らしが楽なのだ。暮らしで困ることはなかった。彼は自分の宝石に傷が付くのを恐れた。占星家の証として胸に付けるヒメユリに、父から貰った星の欠片から作った青緑のブローチにもし傷が付けば、あたりは音を立てて崩壊し彼は自分の形を失ってしまう。

 

 それでも、彼の心は満足を知らず、いつしかそこに影が潜み始めた。影は普段は外に出ないが、ふとした瞬間に自分をさらって頭をもたげて微笑する。彼はいつも俯いていて顔が見えない。他者との和解を拒んでいるようだった。

 影は知恵を得て楽園を追放された人間に課せられた罰であり、遠い昔人類最初の殺人を引き起こした。彼は傷一つない完璧を求めるが、底辺は脆弱でちょっとしたことで崩れる。より自分に多くを求めるほど、より繊細になる。


 いつもと変わらない日常。同僚たちの声が聞こえる。話題は決まっている。星に関する知識、配属部署、家柄、功績。彼らはいかにも満足げだった。けれど本質的には

絶え間ない緊張と戦闘が行なわれていた。人類が植え付けられた優越感の最小公倍数が人の形を借りて現れていた。またカサインもそうした欲望の道具だった。一時も

休む暇はなく、己の目的を知らず走り回る闘牛のようだった。そして闘牛ほどの生命力も持ち合わせていなかった。会話に主人はおらず、調和はない。訴えかけてくる

本物はなく、なんの感動も与えず心の上辺をすり抜ける無意味な流れだった。


 こうした会話にカサインは辟易していて、「もし自分や周りがもっと生物的な愛情や無償の共感を人に与えたり、また与えられたりできればもっと生きやすいだろう」と思い、中庭を見つめた。


 彼は中庭にある植物が好きだった。そこに行くと自分の身が軽くなり、心臓の形が変わる気がした。なぜだろう。植物は自分に価値を強いることがないからだろうか。ともかく彼は中庭が好きでそこは聖域だった。天文台という牢獄の中で唯一のオアシスだった。


 毎年冬に、国家総出の一大行事である『星讀祭』が開催されるが、今年もその時期になった。夜空に浮かぶ星の配列を観察し、来年の運勢を占うのだ。星讀みの技術ははじめからあったものではなく、突如濃霧の外からやってきた賢者サ=アンブロシウスが伝えたという。


 後の初代天文台長になる人物であり、占星家の始祖でもある。それ以後ずっと行事は続いているのだが、今年はカサインにその役割が与えられた。彼は期待と責任でいっぱいになった。いくら天文台に失望したといえども、このことだけは依然神聖だった。

 自らの全存在をもって事に当たろうと野心を燃やした。あたかもその炎で天文台の腐敗を燃やしてみせようとするように。同時に、自分の足元に巣食う影を認識した。火の勢いが増せばそれだけ影も濃くなるものだ。けれども見て見ぬふりをして、震え

ながら楽しんだ。


「今年の星讀みはお前が主役だな。俺もやりたかったけど、決まったもんはしょうがねぇ、潔く引き下がるよ。認めてやるよ、今はお前のほうが上だってな」


 同じ占星家のベアルが笑いながら言う。夕暮れ時でカサインの影は伸びている。赤黒い天蓋には人を見下すように七つの星が浮かんでいる。


 ベアルは幼いころからの親友でともに切磋琢磨して育ってきた。まるで双子のようだった。口調は悪いが、根はいいやつでカサインの数少ない友人だ。


 ベアルは世渡りが上手く、しかも嘘をつかず、誰も敵に回さない術を生まれつき備えているようだった。天性とでも言うのだろうか。


 そこに、狼が狙った獲物を凝視するように、カサインの影は目をつけていた。




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