シンクロニシティ
美澄 そら
シンクロニシティ
【シンクロナイズ】
①映画・テレビ録画で、別々に記録された画像と音声とを正しく一致させて1本のフィルム・テープにまとめること。シンクロ。
②閃光装置の発光をカメラのシャッターが開いた時に、自動的に行うこと。同調。シンクロ。
――広辞苑より一部抜粋。
scene1 「クジラ座のミラとアイ・オープナー」
日本の首都であり心臓、東京。
都心は見上げる程の高いビルが並び、雑多で、慌しく時間が駆け抜けていく。
千四百万人近い様々な人間が、様々な思惑を抱きながら生きているこの土地で──今日も女子トイレは姦しい。
大理石調のシックな洗面台のミラーの前には、仲良し三人組が並んでメイクに勤しんでいる。
もう昼休憩も終わりに近いが、三人の会話はますます熱量が増し盛り上がっているようだ。
「聞きました? 営業部の
「えー! やばーい!」
「穂高さんって、優しいけどその分なんか下心ある感じするよねー。あたしが彼女だったら、別れるなぁ」
「わかるかも!」
楽しげな彼女たちを横目に、黒のピンヒールを鳴らしながら女子トイレへと入ってきたハルカは、空いている洗面台の蛇口のセンサーに手を翳して、出てきたお湯でそのしなやかな長い指先と手を丁寧に洗う。
「ハルカ先輩!」
「なにかしら?」
ハルカが視線を上げて鏡越しに三人に微笑むと、彼女らは頬を染め、うっとりとした表情でハルカの顔を見つめた。
「あ、あの……ハルカ先輩って彼氏とかいますか?」
三人のうち、釣り目がちな奈良がそう言うと、他二人が興味深そうにハルカの表情を窺う。
これは次の話のネタを探しているんだろうな、と察するけれど、特に偽る理由もなかったから適当に返すことにした。
「いないわよ」
「ええ! ハルカ先輩美人なのにー!」
三人の「ねー」という言葉の応酬を聞きながら、ハルカは小さく笑った。
その『美人』に含まれるの意味に、気付かないほど鈍感ではない。
「あの、ハルカ先輩。今度良ければ一緒にバーでも行きません?」
「バー?」
「そうなんです。南口の前のビルに以前喫茶店が入っていたんですけど、撤退しちゃってコンセプトバーになったんですよ。そこが結構SNSで話題になっていて、カップルが出来やすいらしいんです」
ハルカは、持っていたハンカチで手を拭いながら、なるほどと思った。
計算高い女子は嫌いではないし、可愛らしいと思う。
「どんなバーなの?」
ハルカが問うと、三人から笑顔がこぼれる。
まだ一緒に行くとは言ってないけれど、彼女達の脳内では興味を持ってもらえた、イコール、一緒に行って貰えるという方程式でもできたのだろう。
「プラネタリウムバーですよ。ドリンクとかフードも拘っていて、星とか星座の名前が付いているんです」
「そういうの可愛いですよね!」
「そうなのね。教えてくれてありがとう」
同意を求められて、適当に頷く。
それじゃあ、とハルカがトイレを後にするとまた楽しげな声が響いてきた。
――プラネタリウムバー、ね。
ハルカは制服のスカートのポケットからスマホを取り出すと、早速検索をかけてみた。
彼女たちの言う通り、SNSでは少しばかり話題になっているようだ。
ふと、呟かれている内容に繰り返すように同じ言葉が出てくることに気付いた。
「素敵な彼氏と出会えますように! シンクロこーい!」
「二杯目はかわいいお酒頼んでみた。シンクロくるかなぁ」
「隣の人とシンクロしたから、頑張って連絡先交換したよ!」
そして、『シンクロ』という文字が、店名とともにハッシュタグで並べられている。
「このバーでシンクロした男女は結ばれる確率、100パーセントなんだって」
「ふふ、面白そうね」
ハルカは黒のピンヒールを鳴らしながら、自分のデスクへ向かった。
その日の夜。
人のごった返す駅前で、ハルカはピンヒールを鳴らしながら颯爽と目的地へと向かっていた。
今夜も、星の光よりビルの明かりの方が多い東京の街。ビルの合間から丸い月がひょっこりと顔を出している。
駅の南口の前に並ぶビルを一つずつ見上げて、八階建てのビルの四階に例のプラネタリウムバーを見つけた。
少し古くて、四人乗れるかどうかの小さなエレベーターに乗る。
エレベーターが大きく揺れて止まると、扉の開いた先がすぐお店の入り口になっていた。
BAR Southern Cross。
――
東京からは馴染みのない星座のはずだが……。ガラス張りのドアを引き空け、一歩踏み込むと、薄暗い店内の中を針の穴のような小さな光が天井や壁一面に当たり、星のように瞬いている。ライトはランタンなどの飾りから漏れている分と、ブラックライトなどで足元を最小限に明るく照らしていて、星の光を邪魔していない。
本当に夜空の中に居るかのようだ。
プラネタリウムを餌にした安っぽいバーを想像していただけに、ハルカはその光景に心が震えた。
店内は五人掛けのカウンターと四人掛けのテーブル席が五つ。あとはラグが敷かれていて、ゆったり座れるスペースが奥に見える。
こじんまりとした店内で、テーブル席はすでに埋まっていた。
「いらっしゃいませ」
カウンターから声をかけてきたのは、銀色の髪の中性的な男の子だった。いや、声で男性だと判断できたけれど、年齢も不確かで、少年のようにも青年のようにも感じられる。
ハルカはカウンター席に腰掛けると、一度彼の後ろに並ぶ酒瓶の名前を浚った。
「お好きなお酒はございますか」
「結構品揃えがいいのね。SNSを見て来たのだけれど、カクテルの写真が多かったものだから」
「そうですね。カクテルは女性が好みそうな見た目やお名前にさせていただいていますから。ですが、オーナーの意向で、男女や年齢問わず楽しんでいただける場になるよう、ビールやウイスキーなんかも各種取り揃えさせていただいております」
「そうなの」
ハルカがテーブルに置かれたメニューに視線を落とすと、誰かが一つ空けて隣の席に腰を下ろした。
すぐにこのカウンターも満席になってしまうだろうか。
自分も『シンクロ』とやらを体験することはできるだろうか。
「じゃあこの、
――クジラ座のミラとアイ・オープナー」
ハルカの注文と、同時に同じ注文の声が重なる。
まるで息を合わせたかのようにぴったりと。
ハルカが視線を向けると、声の主もこちらを見て目を丸くしていた。
scene2 「山羊座とフレンチコネクション」
アイ・オープナーというお酒は、名前に反して決して飲みやすいお酒という訳ではない。
ラムベースにハーブの香りがするペルノ。クレーム・ド・ノワヨー、オレンジキュラソーと二つのリキュールに砂糖と卵黄が使われる濃厚なカクテルだ。
年齢不詳の中性的なイケメンバーテンダーが踊るようにカウンターの中を移動しながら、シェイカーに材料を入れてシェイクする。
ハルカはその小気味良い音を聞きながら、バーカウンターに並べられた二つの空のグラスを見つめていた。
「あの」
一席向こうに座っている男が、ハルカに向かって声をかけてきた。
先ほど同じタイミングで同じ注文をしてきた人物でもある。
「隣、座ってもいいですか」
男は少し照れくさそうにしながら、後ろ首を掻いている。
バーテンダーの男がイケメンという括りだとするならば、彼はハンサムという括りに入るのではないだろうか。
着ているスーツの下でもわかる、スポーツをしていることを彷彿をさせるがっしりとした体躯。首から上は、緩い垂れ目で厚みのある唇が特徴的な甘いマスク。
「ええ、どうぞ」
彼はスーツのジャケットを前腕に掛けて、艶の美しい革製のリクルートバッグを持って移動してきた。
それを邪魔にならない足元へ置き、シワにならないようにジャケットをかける。
一つ一つの動作がスマートで、普段から清潔にしているのを想像させた。
「偶然、にしては出来過ぎですよね。アイ・オープナーで『シンクロ』するなんて」
なるほど、この男は『シンクロ』のことを知っているのか。
それならば、期待をしているのではないのだろうか。
「そうですね。本当に運命の人だったりして」
ハルカがそう言って笑うと、男はこくりと喉を鳴らした。
男が腰を下ろしたのを見計らって、二つのアイ・オープナーとナッツと星型のチーズが乗ったお摘みの小皿が差し出される。
アイ・オープナーにも、星型の砂糖菓子と食用のラメが浮かび、女性が喜ぶポイントを押さえている。
「あの、俺、カナタって言うんです。貴女は?」
「ハルカよ」
「名前もどこか似てますね、なんて。いや、ごめんなさい。俺、舞い上がっちゃって変なこと言ってますね」
「ふふ。乾杯しましょ。わたしも、舞い上がっちゃっているかもしれないわ」
二人のカクテルグラスの縁がかつりと当たる。ハルカは一口含むと、カナタが見ている前でわざとらしく口の端を舐めた。
気のせいかと思うほど一瞬、カナタの目の虹彩が、オパールのように煌めいた。
「今日は楽しかったです」
「こちらこそ」
閉店間際まで二人で飲み、彼が明日用事があるために帰るということで駅前で別れることになった。
「すみません、本当は送りたかったんですが」
「いえ、お気になさらず」
ハルカが笑うと、カナタはハルカの手を取り、指先に口付けた。
紳士的に見せかけて、瞳の奥に獰猛な獣を覗かせる。
そして虹彩がオパールのように煌めく。
「次は、必ず……」
そう言って、彼はハルカを駅まで見送ると夜の街へと戻って行った。
ハルカは駅に向かう素振りをして、踵を返した。
黒いピンヒールが音を立てないように、猫のようにそろりと彼の背を追う。
そしてネオンのぎらつく明るい街へ辿り着き――一瞬雑踏に紛れ見失ったカナタの姿を確認すると、丸い月を背に不敵な笑みで帰路につくのだった。
「――山羊座とフレンチコネクションを一つ」
翌日、BAR Southern Crossにて、また『シンクロ』が起こった。
そして、隣に座ったのは昨日の彼、カナタだ。
ハルカは目を丸くして、そして同性も惚れさせるほど美しい笑みを向けた。
「また、お会いしましたね」
「今日は、貴女に会いたくて来ました」
「フレンチコネクション、お好きなんですか?」
「いえ、貴女が頼むような気がして」
横目でカナタの目を見ると、虹彩がオパールのように煌めいている。
なるほど、と思い、ハルカは出されたロックグラスを口にした。
フレンチコネクションは同名の映画から取られた、コニャック・ブランデーと、杏の核を使用したアマレットというリキュールを混ぜたものになる。
甘口だが度数が高く、グビグビ飲むお酒ではない。
一緒に出された星型のチーズを指で摘み、口へと運ぶ。
「ねぇ、カナタさん。……わたし、酔っちゃったみたい」
scene3 「満月とブラック・ベルベット」
安いビジネスホテルでいいと言ったのに、カナタは多くの女子が好きであろう、物語のお姫様が使っていそうな、天蓋付きのベッドが売りのラブホテルへと案内してくれた。
「昨日、帰ってからずっと後悔していたんだ。やっぱ強引にでも、君を攫ってしまえばよかったって」
部屋に入るなり、カナタは後ろから抱き着いてきて、ハルカの長い髪に顔を埋める。
少し荒々しい息が、強くなっていく腕の力が、この後の展開を彷彿させる。
ハルカがカナタの腕を二回叩くと、少し腕の力が緩んだ。
「ごめん、きつかった?」
「ううん。それより、もう一杯だけ飲まない?」
「ここで?」
「ええ。夜はまだ長いし。ね?」
ハルカは備え付けられた小さな冷蔵庫から、有料のスパークリングワインと黒ビールを取り、ゆっくりと二つのワイングラスに混ぜ合わせるように注ぐ。
黒い液体の中から、小さな泡が上がり、ぱちぱちと水面で弾ける。
「どうぞ」
「いただきます」
二人は窓辺にある二脚のソファに腰掛けると、カクテルを口にした。
スパークリングワインのおかげでビール独特の苦味が薄らいで、さっぱりとした味わいと、黒ビールのコクが口に広がり、飲みやすく美味しい。
「カナタさん知っていた?」
「ん?」
「わたしたちの飲んできたお酒、全て意味が隠されていたこと」
ハルカは立ち上がると、カナタの前のカーテンを勢いよく開けて、そして彼の膝の上に跨った。
そしてキスでもしそうなほど顔を近付けて、彼の緩く垂れた目を覗き込む。
満月の明るい光が入り込んで、彼のオパール色に煌く目をさらに輝かせた。
「綺麗な目ね。まるでオパールのようで」
そう言うと、カナタは動揺したのか目を逸らした。
「さ、最新のカラコンなんだよ」
「嘘よ。貴方の虹彩が輝くときは、わたしの心を読もうとしているとき。
――ねぇ、昨夜の女の子はどこに隠したの? 宇宙人さん」
ハルカと別れたあと、カナタは別の女性とホテルへ入って行った。
しかも、今目の前にいるカナタと全く別人の姿で。
ハルカは訊ねながらも、答えは聞かないとばかりにカナタの唇を奪う。
カナタは驚きで硬直しているのか、されるがまま動かないでいる。
――かちゃり。
音がして、ハルカがゆっくりと体を退けると、カナタの両腕は淡く光る輪によって拘束されていた。
「あなた、自分の容姿を変えられる能力と、人の心を読む能力があるのね。
そこであのお店に来た女の子達に『シンクロ』だって披露して、運命の恋人であるかのように錯覚させ、誘拐をしていた」
「……参ったな。そこまで見抜かれているなんてね」
今までの印象からてっきり口を割らないものだと思っていたが、カナタは一度嘆息すると、饒舌に語りだした。
「俺の星は深刻な女性不足でね、近々ヒトガタは滅びるだろうと言われている。遺伝子的に近い地球人の女性が必要だったんだよ。どうしてもね。
勿論丁重に扱うし、彼女達を不幸な目に遭わせるつもりもないよ」
「それだけ貴方達のテクノロジーや能力があっても、滅亡の危機にあるというの?」
「子供は作れたさ。ただ、形だけだ。技術なんかではどうにもできないことがあった」
「……そう。でも、いくら攫われた彼女達が納得していたとしても、今回は見過ごすことは出来ないわ。解放してもらう」
「そうさせてもらうよ。君の仰せのままに」
カナタが寂しげに窓の向こうの満月を仰いでいる。
その姿に、胸が痛んだ。
カナタだって、望んでやっていたことではないのかもしれない。
けれど、犯罪者を野放しにするわけにいかないのだ。
――未来の地球を護るために。
「ねぇ。このカクテル、ブラック・ベルベットっていうんだけど、カクテル言葉知っている?」
ハルカはカナタの座る背もたれに手を付いて、覗き込む。
もう彼の目はオパール色に輝いたりしない。
月明かりに二人の影が重なる。
「わたしを――、」
彼以外の誰にも聞こえないように、ハルカは耳元でそっと囁いた。
日本の首都であり心臓、東京。
都心は見上げる程の高いビルが並び、雑多で、慌しく時間が駆け抜けていく。
千四百万人近い様々な人間が、様々な思惑を抱きながら生きているこの土地で、今日も誰かが恋に落ちている。
それは、ときに宇宙人かもしれないし、未来人かもしれない。
END
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