第2話
街の西側にある花街の横には川が流れていて、その川を挟んだ向こう側、少し低くなった場所にスラムが広がっていた。貧しい人が暮らす地域だそうだが、その掘建て小屋の中に古びたバーがあった。
だけど置いてあるのはどれも酒とは名ばかりの粗悪品。工業的に作り出されたアルコールで、度数は高いが恐ろしく悪酔いする。
それで酩酊した者が店内から放り出されて道端に転がり、今日も泥だらけになっていた。
「あんな安酒、飲むからだよ」
俺はそう呟いて、その店に入った。
「おい、ノラ。なんか言ったかい?」
「うん? なにも言ってないよ」
「『あんな安酒、飲むからだよ』って言ったよな?」
聞こえたのか? マジかよ。
「言ってないよ」
俺がとぼけると、ババァは「まぁ、いい」と眉間にシワを寄せた。というか、シワシワだからふつうにしてても寄っている。
「今日はどうだい?」
「うん、ぼちぼち」
俺がそう言ってカウンターに戦利品を乗せると、ババァは「ほぉ」と言いながら懐中時計を見た。
「これはいいね。それと、こっちも」
「うん?」
ババァが飾りの入った魔法道具を確かめて、俺に向かって「うん」「うん」と言いながら手を出した。
「あるんだろ? 出しな」
「嫌だよ」
「なんだい、あんた。誰のおかげで生き延びていられると思ってんだい?」
「えっと、市場のおじちゃん」
俺が答えると、ババァは今度こそ眉間にシワを寄せた。
「あんた、私が密告すればあんたはすぐに殺されるよ」
「そうだけどさ、ババァは俺から安く買い叩いて稼いでいるんだろ? ウィンウィンじゃないか」
「あんた」
ババァが目を見開く。
「ウィンウィンなんて言葉、どこで覚えてきたんだい?」
「悪そなやつらが言ってたよ」
「そうかい、まぁ、確かに私らはウィンウィンだね。だから少しよこしな。あたしも鬼じゃないんだ。全部よこせとは言わないからさ」
ババァがそう言うので、俺は「はぁ」とため息を吐いて、カバンからいいタバコを出した。
「ほら、やっぱり持っているんじゃないか」
ババァはそう言ってタバコに飛びつくと、鼻から空気を吸い込みながら光悦な顔をした。
「いい香りだね」
ババァはそう言うと、俺を見た。
「これはどんなやつらが持ってたんだい?」
「えっと、路地裏で女の子を追いかけてた2人組」
「なっ! そりゃあ、まずいね」
「うん?」
俺が首をかしげると、ババァは「きっとそいつらはブラッドリーのやつらだよ」と言う。
「いやいや、知ってるだろ? って顔されても、俺と関わりのない人族のことなんて知らないよ」
「呆れた、ブラッドリーは今じゃこの街の裏社会を仕切るマフィアだよ」
「おぉ、悪そなやつらの親玉たちってこと?」
「まぁ、そんな感じだね」
「なら別にいいじゃん」
俺がニカッと笑うと、ババァは「まぁ、そうだけどね」と頭をポリポリかいた。
「だけど気をつけな。やつらは自分らをファミリーと呼んで、仲間の仕返しは必ずするからね」
「うん、わかった」
俺がうなずくと、ババァは「本当にわかったのかねぇ」と言って、それからタバコに火をつけた。
「やばい相手の物なのに吸うんだ」
「それとこれとは話が別だよ。物に罪はないからね」
「あっそ」
俺がうなずいて、タバコをババァとはんぶんこしていくらかのお金をもらって帰ろうとしたら、ババァが「まちな」と言う。
「ノラ、あんた、今日は嫌に素直だね」
「うん? なんのこと?」
「とぼけんじゃないよ。まだなにかあるね、出しな」
「ないよ」
俺はそう答えたが、ババァは顎をさする。
「さては酒だね」
「えっ?」
「早く出しな!」
ババァが怒鳴るので、仕方ないからカウンターにスキットルを乗せる。それを見たババァは眉間にシワを寄せた。
「やっぱりかい」
そう言ってスキットルのふたを開けて匂いを嗅ぐと、シンクに流した。
「えっ? なんで?」
「これはダメだよ。依存性が高くて徐々に理性を失う酒だからね」
「そうなの?」
俺が首をかしげると、ババァは「私があんたに嘘ついてどうするんだい」と笑う。
「あんた飲んでないだろうね」
「飲んでないよ。市場のおじちゃんが酒好きだからあげようと思ってた」
「あれはやめときな、あれならうちの安酒のほうがマシだよ」
「わかったよ」
俺はうなずくと今度こそ店を出た。
市場のいつものおじちゃんの店で食材を買い込んで、隠れ家に戻ってきた。
城壁にへばりつくように増築を重ねて上へ上へと建て増しされた平民が住む住宅。その歪んだ増築で出来た隙間に作った隠れ家は、俺の父さんと母さんが作った物だ。
ババァの話だと、俺を産んでしばらくして2人ともこの街の兵士に捕まって処刑されたそうだ。
まぁ、それは仕方ないと思うけど。
俺は隠れ家の入り口から街を見下ろす。そして、高い城壁を見上げた。
今の倍、建物が上へと伸びればあそこから城壁の外に逃げられるかもしれない。
そんなことを思って「フフッ」と笑う。
「これはきっとありえない話だな」
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