第一章 猫の呪い①
アルボス帝国の王都ハルストンには、アルボス教会の総本山である中央教会が建てられている。聖堂内にある、教会の
白のヴェール状の頭巾から
この神々しい光景を
あれが『アルボス帝国に
「シンシア様、シンシア様! お待ちくださいっ!!」
修道女の制止を振り切って、少女が外
「待つわけないでしょう! 朝からお
振り向けば
(これで今回のお風呂も
しかし次の
「ぐえっ!」
身を
「うふふふ。毎回逃げ切られては
追いついてきた修道女・リアンは歴代聖女の世話人だ。見た目は二十代半ばにしか見えない美しい彼女は実のところ結構な
「まさかこんな古典的な手法に引っかかるなんて……一生の不覚よ」
こんなロープ一本張った
(うん、そんなめでたい馬鹿は私なんだけど)
恨めしくロープを睨んでいると不意に通路の方から声がした。
「シンシアは今日もとっても元気が良いですね」
視線を向けると、紅茶色のマッシュボブに
さらに緑の
「……ルーカス」
ルーカスはベドウィル
また、神童と呼ばれた彼はその名の通り、史上最年少で修道士から神官になった。その
床に打ちつけた肩を
「朝の祈りを
ルーカスは穏やかな表情のまま
「困らせてなんかないわ。ヨハル様に呼ばれているから自分で
世話人の仕事は聖女の身の回りの世話であり、手取り足取りの育児ではない。にも
不満を
「それはシンシア様が一人だとお風呂に入れないからです。顔だけは歴代聖女の中でも異名がつくほどお美しいのに。信者が知ったらどう思うか……」
「仕方ないでしょう。水が
シンシアは肩まで
でも一体何が原因で水が怖くなってしまったんだろう。
「湯船には浸かれない代わりに
聖女は式典や典礼などの公式行事以外で人前に姿を現すことはほとんどない。ましてや人々と気さくに接する機会などないに等しい。
それはシンシアの思い
もっと近い
そして、シンシアが誰からも苦情を言われたことがないのにはもう一つ理由があった。
「毎回言ってるけど、私は聖女だから最悪お風呂に入れなくても自動
シンシアが胸に手を当てて強く主張すればルーカスは
「聖女しか持ち得ない浄化の力をそんなしょうもないことに使わないでください」
浄化の力とは
浄化の力はアルボス
シンシアの場合は前の聖女と十年ほど期間が空いている。そのため、これまでリアンから歴代聖女の話を散々聞かされてもピンとこなかった。
「いつも歴代聖女と比べるけど、お風呂が入れないだけで別に誰にも
たちまちリアンが片頬を引きつらせる。
「いやいや、掛けてるでしょう。私に迷惑掛けてること忘れないでくれますか? そして大人しくお風呂に入りましょう。
リアンは聖女の世話人であると同時に
(薬師としての
これから彼女がうんちくを
「分かった分かった。リアンが私のことを想ってくれていることには感謝するし、迷惑を掛けていることは謝るわ。だけどやっぱりお風呂だけは……」
シンシアが
「良いですかシンシア様。聖女というものは常に民衆の手本とならなくてはいけません。あなた様のように朝から
そこまで言われると自分の行いに負い目を感じてしまう。しかし、それで簡単にほだされるようなシンシアではない。
「あら、リアンたら聖書と聖職者の行動をまとめた鉄の
頭は大丈夫? と付け加えると、とうとうリアンがこめかみにピシリと青筋を立てた。
「いたんですよ! あなたと
シンシアはリアンから視線を
(聖女らしくと言われても。私の聖女像とリアンのそれが違うだけよ。あと歴代聖女にだってニンジンが苦手とかクモが怖いとか、そういうものの一つや二つはあったはず)
人間誰しも完璧ではない。きっと歴代の聖女はリアンにその姿を見せていなかっただけで
「ちょっと! 私はお
助けを求められたルーカスは肩を
「シンシアは少なくとも三日はお風呂に入っていません。念入りに
「承知しましたルーカス様。さあシンシア様、身体を綺麗にしましょう」
シンシアの顔から、ざあっと血の気が引いていく。
──ルーカスの裏切り者!!
身体の
複雑なアーチが印象的な高い白
アルボス教会は
かつてこの大陸は精霊女王と精霊たちによって治められていた。だが、
精霊女王は魔王を
大陸が
シンシアは聖堂奥にある精霊女王の石像を見上げた。右手には
「
背後から声がして振り返ると、
シンシアは一礼した。
「お待たせして申し訳ございません、ヨハル様」
ヨハルと呼ばれた男性はルーカス同様に黒の祭服と
教会の階位は全部で四つある。大神官の
聖女であるシンシアはこの階位には当てはまらない。
大神官のヨハルは浄化以外ならなんでもできる。また、以前は人よりも数倍聖力を感じやすい体質だったため、多くの
それはシンシアも例外ではない。ゴミ溜めのような貧民街を
(今は
シンシアにとってヨハルは命の恩人であり、父親同然の存在だった。
「私にご用とは何でしょうか?」
シンシアが
「……どう話して良いのか分からないが、大変なことになってしまったんだ」
「そんな深刻な顔をして。……まさか、また足の水虫が悪化したんですか!?」
ヨハルの水虫は何故か
「私が担当していたネメトンの西の結界に
魔物に
神官になるには聖書や典礼の
魔法には主流魔法と精霊魔法の二つが存在する。
主流魔法とは魔法使いや魔法騎士が使う魔法のことだ。空気中に流れる魔力を体内に取り込んでから
精霊魔法とは精霊女王の加護を受けた魔法のことで、体内に流れる聖力を使い、精霊の言葉であるティルナ語を
しかし精霊魔法は聖力が一定以上備わっていないと使えない。魔力を持つ者よりも聖力を持つ者は少なく、加えてティルナ語の発音は非常に難しい。ほとんどの者が神官以上になれない理由はこのためだった。
事情を察したシンシアは真面目な顔つきになった。
「聖女の仕事ではなく、神官としての仕事ですね?」
「その通りだ。本来ならば聖女であるシンシアを行かせはしないのだがな」
守護と治癒の精霊魔法はシンシアも使うことができる。最近ではヨハルの聖力を
「ついでに結界の調査もしろ、ということですね?」
「いくらヨハル様のお願いでも、今回の件はちょっと……」
「どうして!?」
当てが外れたヨハルは
シンシアとてやりたくなくて言っているのではない。小さく息を
「ヨハル様、私の欠点を忘れたなんて言わせませんよ?」
ヨハルは身じろいで唸った。
シンシアの欠点、それは
(いつもなら教会の神官クラスの護衛騎士を必ずつけてくれるのに。こんなこと初めて)
『一人で』ということは本当に
自分を守る
シンシアの頭を危険という単語が
「
「お
シンシアが断りを入れると、丁度時計
するとヨハルが大きく息を吸い込んだ。
「おうおう。老い先短い老いぼれの頼みを聞いてくれんというのか。『アルボス帝国に
「ちょっと、今は修道女のシンシャなんですよ! 礼拝に来た信者に聞かれたら
シンシアは声を
これまでの努力が水の泡になってしまうのではないかと
「そうかあ。シンシアは行ってはくれぬかあ、聖女なのに。足腰は痛いし、水虫もなかなか治らなくて
「わ、分かりました。行きます! 行きますから!!」
なんだかんだヨハルの
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