二話
孤児院や療養院、治療院といった施設は、個人を除けば創世の女神ティニスティニアを唯一神とするティティ教によって運営されており、六百年程前から今日に至るまで人種や貧富の差に関係なく門戸を開いている。
それ以前の教会は一国家に匹敵する程の金と権力を持ち、女神の名を隠れ蓑に私腹を肥やす亡者どもの巣窟だった。
聖職売買は当たり前。平然と窮民に鞭打ち肉欲に溺れ廉潔さの欠片もない、端的に言えば腐っていた。
暗黙され続けていたのは教会が所有する神聖魔法の存在が大きかった。
当時、人々が魔法と呼ばれるものを当たり前の様に使っていた時代。
今は扱うことの出来ない神秘的な現象は確かに存在していた。
その一つである神聖魔法は、浄化や祝福、保護や治癒に長けており、人に安息を世に安寧をもたらすとされていた。正に女神の恩寵と言えた。
しかし、教会によって神聖魔法の習得方法は秘匿され、数少ない使い手も独占されていた。
恩恵を受ける為には信心を示す必要があり、それを容易くするものが金であった。
結果、神聖魔法を受ける事は富裕層の特権と成り下がっていた。
しかしそれは、魔法の消滅と共に崩壊する。
全人類がある日を境に魔法を使えなくなるという事態に、多くの人々は人ならざるものの存在を強く意識した。
ある者はこの世は終焉へ向かっているのだと言い、ある者は幸福へ至る為の試練であると言った。
混乱を極めた世界は当然のように衰退していき、恐れや不安から解放されるべく責任の所在を求めた。
槍玉に挙がったのが正に教会だった。俗世にまみれた教会が女神の逆鱗に触れたのだろうと。
それを支持するかのように表れた一人の聖騎士の活躍により教会内部は解体され新体制が作られた。それが今もなお受け継がれている。
「というのが現在のティティ教の成り立ちね。聖騎士の活躍については次回に。気になる子は『聖騎士伝』をマザーにお借りして読むといいわ」
城にほど近い場所にある大聖堂には、孤児院と療養院、治療院が併設されている。
孤児院育ちのシャーロットにとっては何処も馴染み深い場所だ。
仕事のついでに昨日の出来事――主に王弟殿下について――を友人に相談しようと孤児院を訪ねたところ、代理で教壇に立つことになってしまった。
算術の授業だったら絶対に引き受けなかった。
「今日の授業はここまでよ。さあ、食堂におやつがあるから皆で行きましょう」
シャーロットは真剣に話を聞いていた子ども達に笑いかけた。
皆、今迄の静けさが嘘だったかのように喜色満面で騒いでいる。
まぁ、その気持ちはよく分かる。
シャーロットも頑張った後の間食は気分が上がるし、それが甘味だったら尚更嬉しい。
微笑ましい気分になっていると、ワンピースの裾を引っ張られている事に気が付いた。
振り向くと、ここにいる子ども達の中で一番小柄な茶髪に薄桃色の瞳の女の子がシャーロットを見上げていた。
庇護欲を掻き立てる眼差しに少しだけ危機感を抱く。
真っ当な人間の性癖をこじ開けてしまいそうな、そんな危うさがあるような気がした。
無垢な少女に対してそんな風に感じるなんてどうかしている。
シャーロットは屈んで目線を合わせると、努めて笑顔で話しかけた。
「確か……リリアだったよね。どうしたの?」
「あのね、魔法って本当にあるの?」
リリアはまだ幼さの残る頬を赤く染めている。
驚く程に愛らしい姿に、一瞬だけ意識が飛んだ気がする。「お姉さん?」と声をかけられ慌てて取り繕う。
「んんっ……そうね、昔は誰でも、呪文を唱えるだけで使えていたそうよ。それに今でも、魔道具を使えば魔法が使えるの」
「まどーぐ?」
「そう、魔道具。今では作る事が出来ないけど、昔の人が作った物がたまに見つかるの。数が少ないから見掛けることは殆どないけどね」
そして魔道具は教会によって厳重に管理される。
魔法を扱えない人間が唯一魔法を扱う為の手段は必ず争いを招くからだ。
魔道具が希少なのも、奪い合った結果壊れてしまったのではないかと言われている。
魔法を用いて作られていた魔道具は今では遺物としてしか存在せず、新たに作る術もなければ、直す術もない。だからこそその価値は計り知れない。
管理とは言ってもただ大聖堂の奥深くに仕舞い込んでいる訳ではない。
安全性が確認されたもの、例えば各国に一つずつある転移装置や大規模結界装置は国交や国防に運用されているし、厳しい条件を満たせば個人が保有する事もある。
問題なのは危険な物が存在する事。
攻撃性が高かったり非人道的だったり、対象の意識に干渉して操作したりする他人に危害を加える為の魔道具。呪具と呼ばれる物の事だ。
出回らないようにする為、魔道具と疑われる物の発見者には報告の義務があるのだけど……偶に魔道具や呪具を使用した事件が起こる。
その中には自覚がないものも少なからずある。
便利なだけの道具じゃないとリリアに教えるべきだろう。
孤児院の子どもは礼拝や手伝いをする為に大聖堂へ行く。
滅多にないが大聖堂には本物が持ち込まれることがあり、興味本位で手を出してしまえば叱られるだけでは済まない。
「あのね、リリア――」
「リリア! 一緒に食堂行こうぜ。俺のおやつ、特別に分けてやるよ」
「ビリー、ちょっと! 待ちなさい!」
制止の声を聞かず二人揃って走って行ってしまった。
行き先は分かっているので焦る必要はない。それよりも、ビリーがおやつを分けると言った事に驚いた。
やんちゃで無鉄砲、シスターを困らせる事にかけては右に出る者がいない、そんな男の子が下の子の面倒を見ているなんて。
可愛い弟分の成長を感じて寂しいような嬉しいような、複雑な気分だ。それにあれは……
「恋ね。それも甘くて酸っぱい系の」
にやにやを抑えるつもりはない。
しかしそっと見守ろうと決心して、食堂に向かって歩き出した。
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