第82話 クズ以下だった頃の彼


 女なんて嫌いだ。


『あのさ、無理しないで良いよ? 別に、遊びのつもりだったし』


 女なんてマジで嫌いだ。


『え、マジ? あんたってもしかしてそういうの?』


 女なんて本当に嫌いだ。


由香里ゆかりとは別れたって聞いてたけど……まぁ、なんか納得した』


 うるせぇよ!! だから女は嫌いなんだ!


『はぁ……もういい。遊んでる時は面白かったけど、なんかエッチのノリ悪いし、私帰るね』


 女、なんて、俺は大っ嫌いだ!!



************************************************************


「……ぅ、が」


 意識がぼんやりと覚醒する。

 講義選択方法の説明が退屈で眠ってしまったようだ。春の暖かな日差しと心地の良い陶酔感も要因となっていただろう。


(なんか嫌な夢見たな……)


 由香里ゆかりと別れ、その寂しさを埋めるためにチャラチャラと恋人探しをしていた頃の夢を見た。


 自分の事ながら、愚かな事をやっていたと思う。

 浮気された事を引きずって不能だった癖に、浅ましく女漁り。名前だけしか知らないような同級生に声をかけまくり、そうして引っかかったクソ女どもに、またボロクソに貶される……苦い思い出だ。


 そんなこんなで俺、陣内じんない梅治うめじにとって女というのは嫌悪の対象だ。その理由については多岐にわたる。


 まったく奴らは大したもんだ。

 食事代は男が支払うべき、重い物は男が持て、デートプランは男が考えろ、男は黙って私の言う事を聞いておけばいい、などと女尊男卑を振りかざし、いざ自分が軽く反論されるとすぐに泣きだして男尊女卑だと喚き散らす。 そのくせして理想の男性像は、酒と煙草とギャンブルをやらない高学歴高収入高身長ときた。


 具体例を思い出すなら、深夜に電話をかけてきて『実は今日、辛いことがあったの』と2時間ほど愚痴ってきたメンヘラ地雷K。ルックスは良いが浪費が激しく、男を財布としか認識していない女王様気取りF。ひとたび喧嘩になればこちらが折れるまで一歩も引かなかった論破女王N。


 六年も付き合っていたのに、浮気したあげくその責任を全て俺に擦りつけ糾弾してきた────


 ザァァァ、ザァァァアアとノイズが響き渡る。


 胸がぎゅっと締め付けられた。


(……たまに思い出すと胸が痛くなるのはなんでだ)


 別に、アイツの事なんてもうどうでもいいはずだ。浮気して俺を捨てたような元恋人。そんなのに未練なんて欠片も残っていない。……きっと、無駄にしてしまった2年という歳月をストレスに感じているだけだ。


(そうだ、今はもう関係ない)


 寝ぼけ眼を擦りながら、周囲の席を見渡す。俺の視界に、先ほどラインナップに挙げたモンスターはほぼ存在しなかった。


 講義室にひしめくのは100人近くの男たち。女なんて、見つけようとしなければ視界にすら入らない。


 男女比9:1の理系大学、というのは一般男子ならむさ苦しくて辟易するのだろうが、ここはまさに俺にとっては理想の環境だった。


 気分良く、俺は持参した水筒を手にする。蓋コップに注いで飲んでいたら、変な女に声を掛けられたので、注ぎ口に直接口をつけて中身をジャボジャボジャボと流し込んだ。寝起きでイガイガする喉を、滑りがよい清酒が優しく癒した。


 水筒に入っているのは酔鯨すいげいだ。水質が良い事で知られる高知県のお酒。高知県はやっぱり水質が良いおかげか、あそこで作られた酒はスルスルと入る。寝起き酒にはピッタリという訳だ。 


(あぁ、気分いぃ……)


 ぽかぽかの陽だまり。理想的な新環境。グデグデに浮遊する思考。そして、陰鬱な感情を吹き飛ばしてくれる偉大なアルコール様。


(色々と馬鹿な回り道したけど…………高校の時みたいに楽しかったらいいなぁ、大学生活)


 窓の外で流れ落ちる桜の花びらを肴にしながら、俺は日本酒を飲み続けた。


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「うぃーー…………ひっく」


 千鳥足と止まらないしゃっくり。気分はイケイケ絶好調。幸せ限界突破300%で教授棟の廊下を歩く。


 配布された案内資料を見ながら、俺は自身の担当グループチューターである佐藤さとう甘利あまり先生とやらの研究室を目指していた。


 この大学では3年時のゼミ配属まで、自分の学生生活をサポートしてくれる担任が付く。ありがたい事に必要最低限の面倒を見てくれるようだ。


 今日はその集まりの顔合わせ。班メンバー同士の自己紹介と、佐藤先生との個人面談が予定されていた。


(お、ここか?)


 サトウ研という札が張られたドアを見つける。酔ってチンタラしたせいで他の生徒より遅れてしまった。早く入ろう。


 俺は遅刻の言い訳を適当に考えながら、ドアを開いた。


「すぃません、トイレ行ってたら遅れま────────ぅげっ!?」


 一気に酔いが覚める。

 俺の目の前に、異常な光景が広がっていたせいだ。


 俺の所属する情報工学科には数は少ないが女子が存在している。興味が無かったので数えていないが、多分4~6人程度。絶滅危惧種並の少なさだ。


 その数が少ない女子の内、3人もが、何故か部屋の白いテーブルと椅子に座していた。


(おいおいおい……!!)


 女子共のラインナップは、パツキンと黒髪。そして、先ほど何故か俺に声を掛けてきやがった薄赤髪だ。ここに座しているのなら、この女共は佐藤チューター班のメンバーという事になる。


(はぁ? なんだこれ? お、俺に対する嫌がらせか何かか?)


 疑問と不満が爆発的に湧き上がった。


(こんなに男女比が偏る事ってあるのか? バランスを考えろよ、大学は馬鹿か? アホなのか? マジで意味が分からん……)


 この気味の悪い偏りの説明を求め、俺は首を振って佐藤先生とやらを探した。部屋を見渡していると、デカいホワイトボードに書かれた大きな文字列が目にとまる。


『急遽、企業との打ち合わせが入ったので遅れます。申し訳ありませんが4人各自で自己紹介を済ませておいてください』


 どうやら俺がこれからお世話になる佐藤先生は仕事のせいで一時不在のようだ。そしてそれは、この場に説明してくれる人がいない事も意味していた。


「…………くそっ」


 立ちっぱなしで居ても仕方がないので、俺は意を決して一歩踏み出した。正四角形で大きな机の一辺。出入り口から一番遠い座席へと向かう。


 その間、横を通った俺に女共が反応する。3人分の視線が、数瞬ほど俺に集約した。


 俺は目を合わせないようにした。理由は単純に不快だからだ。


「はぁ……。なぜこうも奇人が1カ所に……」


 横切った際、薄赤髪が俺を一瞥して悩ましそうに眉間を揉んだ。


 対して興味もなかったので特に反応せず席に着く。


 俺は鞄を机上におろし、覚めた酩酊を戻すため水筒を取り出した。2、3口ほど味わって気分を癒した所で、渋々と口を開く。


陣内じんない梅治うめじだ。2浪して20歳はたちだから、話しがあるなら敬語使え」


 "お前たちと仲良くする気は一切ない"と言外に匂わせる。

 ホワイトボードに『自己紹介を済ませておいてください』と書かれていたので、それに従ったまで。たぶん俺が一番年上だ。心底嫌だが、形式だけでも年長の役割を果たそう。


「……安瀬あぜさくらです。私も2浪して20歳です」

「え、私も同じ感じーー。あ、私は猫屋ねこや李花りかね。よろしくーー」

西代にししろもも。僕も同じだ」

「はぁ?」


 三者三様に返事をしたが、その内容は全て同様。ちょっと意味が分からなかった。


 4人中、4人が2浪ってどんな確立だ。


「……ん? あぁ、なるほど。そう言う事か」


 だがすぐに合点がいく。

 男女比9:1の中で集められた、1人の男と3人の女。本来ならこの偏りはあり得ない。そうなると、つまり……。


「ろくでなしのカスが集められてんのか、ここ」


 2浪組が集めれた。そう結論づけられる。


 ピシッ───


 女子共の動きが一瞬だけ止まり、柳眉りゅうびを逆立てる。不愉快だ、という気持ちが透けて見えた。


(おっいいね。第一印象は最悪だな)


 無言で俺を睨み続ける三女を見てそう思う。


 しかし、事実を口にしただけでここまで機嫌が悪くなるとは……女というのは心が狭いからダメだな、うん。


「「「……………………」」」


 謝罪を述べることも怯むこともない俺の態度を受けて、三女は忌々しそうに視線を逸らした。


 女共は各自バラバラの暇つぶしに戻る。


 改めて、俺は同じチューター班になってしまった女共の分析を始めた。


 俺の対面に座っている、頭の悪そうな金髪女。先ほどの不機嫌そうな態度とは変わり、非常に集中した様子で爪にマニキュアなんかを塗っていた。

 たぶんクソビッチ。ギャルぽくって一番嫌いなタイプだ。


 右隣のもう一人は……なんだ、コイツ?

 ブックカバーを掛けた小説を読む黒髪の女。背がやたらと低く、入学式は昨日終わったはずなのに白Yシャツにスラックスなんて穿いてやがる。おまけに化粧っけは皆無だ。顔はいいが、どこか中性的……まぁとは言え女だからシンプルに嫌いだ。


 そして最後の1人はさっきの講義室で俺に声を掛けた、薄赤い長髪の女。

 机上で参考書を広げ、これみよがしに勉強をしてやがる。……仮面浪人かめんろうにんか? なんにせよ、辛気臭い顔をしているので面白くなさそう。嫌いだ。


(それに、どいつもこいつもいけ好かない面構えをしてやがる)


 全員美形だ。さぞ人生がイージーモードだったはずだろう。きっと生まれつきの美貌にかまけて自堕落に生き、流されるままここに入学した口だ。俺とは大違いだな。


「ん?」


 俺が女共に目を移ろわせていると、薄赤い髪の女と目が合った。


「っち」


 に気づくや否や、俺を真正面に見据えた状態でいきなり舌打ちをされた。


「はぁ?」


 不愉快極まりなかった。

 冷淡に敵意を向ける瞳に、同じく敵意を返す。確かにさっきの悪態は褒められた物じゃないが、見ていただけで舌打ちをされるレベルの物でもない。


 俺の態度と同じで、それは過剰な悪意だった。


「お前、たしか講義室でも絡んできたよな」


 声を低くして強く威圧する。


「ふざけやがって、舐めてんのか──」

「えーーい」


 その瞬間、俺の腹部に衝撃が走った。


「ごふ────ッ!?」


 対面に座るパツキン女が机を蹴飛ばした。

 ガガッ! と大きな机が脚を引きずって短い距離を移動する。腹の痛みは椅子と机に胴体を挟まれたせいだ。圧迫から逃れるため、急いで椅子を引く。幸いな事に机上の物は飛び散らなかった。


「あのさーー、さっきから態度悪いよ? 


 女は蹴った脚をそのまま机上に置き、尊大な態度で俺を見下していた。


「初対面の女の子睨みつけるってさー、一体どういう神経してるわけー?」


 外見から連想される軽薄さをそのまま写し取ったような間延びした口調。机を足蹴にしたというのに全く悪びれない不敵な表情。何もかもが癪に障った。


「て、テメェ!! それは俺に喧嘩売ってんだよな……!!」

「あははっ、それ以外なんかあるー? もしかして、貶されてる自覚なかったー?」

「上等だよ、おい!!」


 怒りに任せて椅子から立つ。互いに喧嘩腰になり、本気で睨みあった。


 このクソ女には、きつめのお灸を据えてやる必要がある。女が男に喧嘩を売るとどうなるか衆目に晒してやろう。


「あ、いや、その前に…………お前、パンツ見えてるぞ」

「…………え!? はぁ!?」


 彼女の穿いているのはジーパンだった。当然、パンツなんか見えるはずもない。


 だが、彼女は自分の下半身を確認するため俺から視線を外す。脳がバグったのだ。女にこの手はよく効く。


「馬鹿が!!」


 その隙を付き、俺は机を逆方向に蹴り返した。先ほどより勢いよく机が移動して、机上の物が全て飛び散る。


「ぅわっ!?」


 椅子を傾かせ、机に足を置いていた女もぐるりとひっくり返った。ざまぁない。


「いっ……!!」


 カンカンと金属製の水筒が地面を転がる。パツキンは、尻もちをついた。


「っは、だっせ。イキっといて受け身も取れないのかよ」

「──────っ」


 俺が嘲りをこめて侮蔑した瞬間、女の雰囲気が一変する。


 瞳孔を縦に開き、人が切り替わったような無表情を見せた。


 真顔のまま金髪女は床に転がっていた俺の水筒を左手で掴み取り、勢いよく立ち上がった。そして、躊躇せずに金属製の水筒を勢いよく振りかぶる。投擲先は間違いなく俺の頭部。


「は、ちょ──!?」

「くたばれ!!」


 咄嗟に身を屈めた。


 髪の毛を水筒が掠った感触を感じ取る。俺の頭があった場所を、水筒が猛スピードで通り過ぎていった。

 

 バリンッッ──


「あ」

「え?」


 水筒を避けられた事に安堵したのも束の間、背後で亀裂音が響く。俺は音源の方へ反射的に振り向いた。


 水筒が直撃したせいで、大きな窓ガラスに蜘蛛の巣状のヒビが入っていた。


「あ、あ、あぁぁー……」

「おいおい……」


 パツキンは歯切れの悪い言葉を漏らし、俺の方は唖然としてしまう。


「この年になって……」


 あまりの下らなさに思わず言い淀んだ。


「この年になって窓ガラス壊すって、マジか……!!」


 何よりも優先して口から出たのがそれだった。低俗すぎて開いた口が塞がらない。


「え、えぇっ!? こ、これって私のせい!? これ私が悪いのーー!? ま、マジでーー!?」


 パツキンは両手を口に当てて、戸惑いと驚きが入り混じった表情を作った。


「お前やべーな。やりすぎだろ。器物損壊とかで停学になるんじゃないか?」


 転がっていく急展開。慌てふためくパツキンを見て逆に冷静になった俺は淡々とした口調で憶測を告げる。


「て、停学ッ!? 大学って停学とかあるのーー!?」

「普通にあるぞ。……あぁ、予め言っとくが俺は何も関与してないから。完全に無罪だから。むしろ被害者だから」

「は、はぁ!? 何言ってるわけー!? 半分くらいはお前のせいじゃーーん!!」

「………………だりぃー」


 ほろ酔いの頭を働かせて、この先の展望を予測してみた。


 この部屋の管理者、佐藤先生はあと1時間以内にはきっと戻って来る。なのでまず、短時間での隠蔽は不可能。必ず窓ガラスのひび割れは露見する。


 そこから行われるのは事情聴取だ。そして、この事象の発端は俺とパツキンのいさかい。まだ容姿すら知らない佐藤先生は、互いの主張を詳しく精査して公平に罰しようとするだろう。


 そうなった場合、俺の予想では窓ガラスの弁償割合は5:5になると見ている。本来なら、実行犯であるパツキンの方が額が多くなるのが筋だが……。


「そ、そこの2人も見てたよねーー!! コイツが机蹴ったところーー!!」

(ほらでたよ……)


 パツキンは同性を味方に付けようとそちらに話を振った。


 女とは社会的な生き物だ。悪く言うと、弱っちいので群れる事を好む。奴らは大抵女子同士で結託して、男を蹴落としにかかる。


 今回の場合は、きっと事実を誇張して俺の過失を増やそうとしているのだろう。女は陰湿だから嫌いだ。


「……ん? あ、あれー? な、なんか1人少なくなーい?」


 戸惑い声を聞き、俺も遅れて気がつく。


 黒髪女の姿が見えなかった。


「彼女なら、貴方が水筒を放ったあたりで退席しましたよ」


 薄赤髪はそう言ってホワイトボードを指差した。


『体調不良のため帰宅します。ご迷惑をおかけしますが面談はまた後日、都合の良い日時を指定してください。新入生、西代桃より』


 先ほどまでは無かった欠席の意思表示文がホワイトボードに書かれている。少しだけ書体が乱れているので急いで書いた形跡が見受けられた。


「いやいや、マジかよ」


 西代にししろ……だったか。あの女ずいぶんとさかしい。


 窓ガラスを割ったとなると、事情聴取や弁償方法の取り決めで長くなるのは火を見るよりも明らか。面談は今よりさらに後にずれ込む。それを見越して、西代とやらは体調不良を言い訳にして帰宅した。


 見切りが早く、それでいて不精者ぶしょうもの……。間違いなく育ちが悪いな。


「えっとー……あの西代って人、まさかー……」

「帰りましたね。面倒ごとが煩わしかったのでしょう」

「う、うそでしょーー!? それって普通にサボりじゃん!! 入学2日目の面談でそういうことやるー!?」


 パツキンの言う事はもっとも。サボタージュにここまで抵抗が無いなんて、きっとまともな人間性をしていない。それに女らしくないし…………変なヤツだな。


「…………俺もフケサボるか。あと適当によろしく」


 色々と面倒になってきた。

 弁償金は折半になるかもしれないが、実行犯ではない俺に停学レベルの重い罰が下ることはないだろう。それならこんな騒動、相手するだけ馬鹿らしい。西代とやらを見習って俺も退散しよう。


「ちょ、ちょい待てー!! お、お前は絶対に逃がさないからなーー!!」


 去ろうとする俺の肩をパツキンが掴んだ。


「わ、私と一緒に、ちゃんと言い訳考えろバカーー!!」


 ……言い訳でいいのか。それは少しだけ意外だった。てっきり、さんざん俺をこき下ろすつもりだと思っていた。


 だけどまぁしかしだ。


「嫌だ。離せよ、停学女ていがくおんな。ジタバタせずに大人しく罰を受けいれろ」

「ま、まだ停学確定してないからー!! ぁ、ぁぁあああああああ、でもどぉーしよぉぉぉおおお!! まだ入学して2日目なのにぃーー!! 何でこんな絶体絶命の状況にぃいいーーー!!」

「……はぁ、うるさいですね」


 騒ぐパツキンの声に、冷淡な声が被さった。


「乱痴気騒ぎにもほどがあります。騒々しくて、勉強の邪魔です」

「そ、そんなこと言われてもさー……!!」

「それにこんな物は……」


 薄赤髪の女は一旦会話を区切った。

 そうして、彼女はヒビの入った窓ガラスに近づいて行く。床に転がった水筒を拾い、亀裂の入っていない方の窓を慎重に開けて水筒を握った手を通して外に出した。


「こうすればいいだけでしょう」


 バリン──ッ!!


 水筒が外から叩きつけられ、窓ガラスが完璧に割れた。


「テメェ何してんだ!?」

「なにトドメさしちゃってんのーー!!??」


 2人揃って驚嘆の声をあげる。ガラスに大きくて歪な大穴が作られ、停学に怯えていたパツキンの顔がより一層青ざめた。


「こうすれば、誰かが外からこの部屋に何かを投げ入れたように見えるでしょう」

「「……え?」」

「割れたガラス片は内側だけに飛び散っていますから、外からの衝撃で割れたのは明白。あとは手ごろな石でも置いておき、架空の容疑者を作り出して、この場にいる全員で口裏を合わせれば隠避いんぴは完了です」

「「あ、あぁー……」」

「窓が完全に割れず、ひび割れだけ済んでいたのは幸いでしたね」

「「……………………」」


 つらつらと隠蔽工作を語った彼女。おおよそ反論の余地がない隠蔽工作を聞いて、俺とパツキンは暫く黙り込んでしまった。


 ……なんか手慣れてないか、コイツ?


「安瀬ちゃん、だったっけー? よくそんなに機転が回るねー……」


 俺と似たような感情を持ったようで、パツキンは引き気味に驚いていた。


「私が中学生の頃、学校中で窓ガラス割りが流行りました。これはその時先生に怒られないよう、よく使った手で──」


 パシッと、薄赤髪の女は自身の手で口を塞いだ。


 何か今、洒落にならないほど、とてつもなく迷惑な話が聞こえてきたような……。


「そ、それより、早く投げ込まれた物を用意しないと先生が戻って来るのでは?」


 触れられたくなかったのか薄赤髪は直ぐに話題を逸らした。


「あ、そ、そーだねーー!! 私、爆速で大きめの石探してくるーー!!」


 停学を免れる方法を得たパツキンは、弾かれたように部屋から出て行った。

 

(……やっぱりバカぽいな、アイツ)


 あれはバカだ。とにかくバカだ。ついでにクズという評価も付け加えよう。行き当たりばったりであり、尚且つ窓ガラスを弁償しようとする気が全く無かった。倫理観が死んでいるように思える。


「………………」

「………………」


 部屋には俺と……安瀬あぜという女だけが残っていた。


 事態が一応の収束を迎えたおかげで、元の居心地の悪い沈黙が流れ続ける。


 きっと、互いが互いを嫌っている。


 初対面だから理由は分からない。だが不思議と、雰囲気だけで俺はその機微を察知できてしまった。


 俺には当然、彼女と仲良くする気はない。今日の態度を見る限り、彼女も俺と交友を深めるつもりは微塵もないはず。素晴らしい関係性だ。大学を卒業するまでの4年間、ずっとこうであることを願おう。


(よし、今日はもういいや。気疲れした。やっぱりフケサボる事にしよう)


 既に1人サボりが存在している。その事実が、俺のサボりに対する罪悪感を完全に失わせていた。


「おい、返せ」

「はい?」

「水筒だよ」

「…………」


 必要最低限の会話で、少し凹んでしまった水筒を薄赤髪から回収する。


 荷物をまとめた後、俺はホワイトボードの前まで行き、西代桃の欠席意思証明に『同上、陣内梅治』と書き加えた。


「先生には、陣内さんは気分が悪そうでしたって言っとけ」


 薄赤髪の女の方を向かず彼女に命令する。俺はそのまま返事も待たず、無言で退出しようとした。


「……不埒な阿呆あほうが」


 去り際に、彼女が小声で何かを言った。


 だが相手にしなかった。どうせ憎まれ口。反応するだけ無駄だ。


 ムカつく奴だしこれからは無視するようにしようと強く心に決めて、俺は個人面談をサボった。

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