第75話 外堀を埋める才能を持って生まれてしまった男③
「…………あったでござるか?」
「いや……」
式場外にある駐車場のアスファルトに頬を付けて、車の下を入念に見回す。掃除が行き届いているおかげで、何も落ちてないことが直ぐに分かった。
「あっっの
「……やべーよな、マジで」
陽光さんはこの式場のどこかに指輪を落としてしまったらしい。
正直、洒落になっていない。擁護しようがないほどの大失態だ。このまま見つからなければ……一体どうなるんだ? こんな前例は聞いた事がないが、大惨事になる事だけは予見できる。
「結婚式が始まるまで後30分か……。なぁ、指輪交換まではどれくらいなんだ?」
「進行表どおりにプログラムが進めば後2時間程度ぜよ」
「それまでになんとか見つけないとな」
時間的猶予はあるが、余裕という物はまるでない。今はもう式が始まる30分前。今日の主役であり、指輪を無くした張本人である陽光さんはもう控室を離れられないので自分で探す事ができない。
なので今現在、俺達が代わりに必死こいて指輪を探し回っているわけだ。
「兄貴が言うに、広間はスタッフさんにお願いして探してもらっているらしいである」
「なら、探す場所はそこ以外か」
「うむ……ここに無いなら、次は庭園辺りを捜索じゃな」
「あぁ、急ごう」
この結婚式の成否は俺達にかかっている。大袈裟かもしれないが、そんな使命感を胸に刻んで俺達は庭園へ向かった。
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こぢんまりとしたプールを無数の花々が囲う、芸術性の高い庭。プールには花びらが無数に散りばめられている。
心の綺麗な人間なら水面と花びらの調和性に感心するのだろうが、俺には『管理に金が掛かってそうだな』という残念な感想しかでてこなかった。まして、今は火急だ。
「こ、これどこから探せばいいんだ?」
式場の敷地内なので庭は広すぎるという事はない。しかし、小さな指輪を見つけるには厳しい面積に思えた。
「ある程度ポイントを絞るしかないでありんす」
「と言うと?」
「排水溝の隙間とかに転げ落ちてそうではないか?」
安瀬はプールの排水溝を指差した。
「あぁ、確かにありそう」
「で、あろう?」
俺と安瀬は排水溝まで近づいてしゃがみ込み、なんとかその奥を探ろうとした。
「側溝柵が邪魔でござる」
「だな。……でも、中には指輪ぽいのは無さそうだぞ」
スマホのライトで溝の中を照らしたが、金属らしき反射は見られなかった。
「2人とも、そんな所で何をしている?」
「「ん?」」
しゃがみ込んだまま、安瀬と共に振り返る。そこには眼鏡を掛けた中年男性が不思議そうに首を傾げていた。
外の空気を吸いに部屋を出た、雨京さんだった。
「お、親父……」
「桜、ドレスに汚れが付く。そんな所で座り込むな」
「は、はいでおじゃる」
安瀬は素直に父親に従った。彼女が立ち上がったので、俺も一緒になって立ち上がる。それと同時に、小声で彼女に話しかけた。
「おい」
「何じゃ?」
「やっぱり、指輪の事は言ったらまずいのか?」
陽光さんは花嫁と父親には絶対に知られたくないといった口ぶりだった。でも、俺は多少恥を忍んでも頼むべきではないかと思っている。人手は多い方がいい。
「止めといた方がよい……親父はクソ真面目でござる。知ったら、指輪を探しに式場を駆けずり回るぞ。
チラリと雨京さんを
「お前、親父さんとまったく似てないのな」
「るさい、阿呆」
荒々しく、彼女は俺をなじった。でも、本当に似ていない。……いや、頭が良さそうな所は似ているのか?
「んん」
内緒話を続ける俺達を不振がったのか、雨京さんはえへん虫を鳴らした。
「それで、何をしていたんだ?」
雨京さんが改めて問いかけてくる。それに安瀬が間髪入れずに答えようとした。
「べつに。煙草吸って、プラプラしていただけぜよ」
「煙草? 持ってなかっただろう?」
「陣内から拝借したで
「それは良くないな」
淡白な苦言を
「桜、おつかいだ」
1000円札が安瀬に手渡される。
「コンビニで煙草を買ってきなさい。自分の分と、私の分も。マイセン……今はメビウスか。あれでいい」
「……え!? はぁ!?」
一瞬遅れて、安瀬が大声をあげた。目を見開いて驚愕している。
「親父、煙草吸えるのでござるか!? は、初知りじゃぞ!?」
「そう驚くな。私が若い頃は、吸っていない男性の方が少数派だったんだ。付き合いで嗜んでいた」
「あ、あぁー……」
「もう禁煙して20年以上経つが久しぶりに吸いたい。頼めるな?」
「う、うむ」
ふとした時、父の意外な側面を知る。所謂、親子の会話だ。俺は特に口を挟まずに黙って突っ立ていた。
「欲しいと言うなら、まぁ、パパっと行ってくるでありんす」
急に安瀬がグイっと俺の裾を掴んで引っ張り、耳元に顔を近づけた。
「……手早く戻ってくるから、親父の相手を頼んだぜよ」
「おぅ」
近いせいで、髪の良い匂いと煙草の残り香がする。酒を追加しておいてよかった。
安瀬は耳打ちした後、小走りで外のコンビニまで駆けていく。敷地を出てすぐの所にコンビニはあったはず。数分で戻ってくるだろう。
「「…………」」
さて、雨京さんと2人きりだ。
俺のコミュ力が試される場面。最近、目上の人と話す機会が多いのでちゃんとコミュニケーションを取れる自信はある。指輪に話題がいく事はないだろうし、ウィットに富んだトークで安瀬が帰ってくるまでの場を持たせよう。
「桜さんにおつかいをさせるなんて、ちょっと凄いですね」
普通に珍しい気がした。彼女があそこまで素直に人の言う事を聞くのは稀だ。
「悪童という表現が生温い娘だったが、昔から私の言う事だけはよく聞く」
「あはは、父親としての威厳がしっかりしているんですね」
「厳しく躾けた覚えはないのだがね」
寡黙という訳ではないが、雨京さんは物静かさを感じさせる人だと思う。冷淡であり、表情筋がまるで動かない。とてもクールな男性だ。
「梅治君、好きな物はあるか?」
「……え?」
そんな雨京さんから脈絡のない質問が飛んでくる。
「は、恥ずかしながらアルコールです」
「聞いていた通りか。なら、運動経験は何か?」
「ちゅ、中高と陸上部でしたけど……」
「それでは趣味は?」
「え、えぇっと……」
俺の趣味は酒器集めだ。それを素直に答えても良かったが、仏頂面でお見合いみたいな質問をされていて……普通に恐ろしい。
「あぁ、いや……唐突だった、か」
強張った俺の表情を見て心中を察したのか、雨京さんは罰が悪そうに顔を曇らせた。
「この年になると仕事以外で若者と上手く話せなくてな。自覚はあるが、どうにもままならない」
雨京さんは少し眼鏡を持ち上げて、申し訳なさそうに顔を逸らす。
「い、いやいやいや!! 俺の方こそ気を遣わせてすいません!!」
爆速で口を回した。人の父親に気を遣わせるのは心苦しくて仕方ない。
「しゅ、趣味ですよね! 酒器集めですよ、酒器集め!! 俺、酒関連の事には目がないんっすよ!!」
無駄に
「若いのに渋い趣味をしている。桜と気が合いそうだ」
「一部分だけですけどね。アイツは洋物には興味を持ちませんから」
「あの子の作るご飯は美味しい。お酒がよく進むだろう」
「いやぁ、そうですね!」
「君は掃除はよくする方か?」
これ、俺が悪いんじゃないのかもしれない!! 雨京さん、すっげぇ口下手だ! ビックリするほど話に取っ掛かりが無い!!
「は、はい。割とマメに整理整頓はする方です」
「そうか。桜は洗濯は疎かにしないが、掃除は苦手だ」
「……ですね」
シェアハウスに転がっている安瀬の趣味グッズを思い出す。確かに、彼女は散らかす方が得意だ。
「ただ、花を扱う術はよく知っている。古風かもしれないが、そこは女らしい」
そう言われれば、アイツは華道にも素養があったな。
「破天荒な所はあるが家庭的だ。君はどう思う?」
「は、はぁ……そうですね。俺もそう思います。桜さんは家庭的な女性ですね」
……さっきから何の話なんだ? 娘の自慢話がしたいのだろうか?
「あと、君は陽光とも仲が良いようだね」
今度は陽光さんの話に移り変わる。話題の転換スピードに置いていかれそうになるが、俺は何とかついて行くため呂律をクルクルと回した。
「仲が良いって言うか、凄くお世話になって頭が上がらないと言いますか……」
「息子に?」
「えぇ、まぁ、はい」
陽光さんには本当にお世話になった。仕事中にお邪魔しちゃったり……高い機材貰ってぶっ壊しちゃったり……それで結局、お言葉に甘えて弁償してなかったり……。
「……君はアレだ」
ここまで話して、初めて雨京さんが微笑を浮かべた。
「私にとって都合が良すぎるな。つい、
…………ん、んん??
「俺が、何ですって?」
「話ができて良かった。今日は私の事を気にせずに、娘と楽しんでくれ」
ようやく笑ってもらえたと思ったら、雨京さんはクルリと背を向けて俺の前から去ろうとした。
「え!? あ、あの!! 安瀬のおつかいは!?」
「気が変わった。私が居て邪魔をするのは悪い」
去り際にそう言い残して、雨京さんは建物の方へ向かって行く。おつかいに行かせた娘をほっぽり出して、本当に父親は遠くへ消えた。
「………………」
暫くの間、茫然自失としてしまう。会話で振り回された感覚だけが俺の中で残響していた。
「陣内! 待たせたでありんす……って、おろ? 親父は?」
ボケーっとしていると、レジ袋を引っ提げた安瀬が帰って来た。
「話してたら途中でどっか行った…………会話した気がしねぇ……」
馬に括られて引きずり回しの刑を受けた気分だ。……もしかしたら、俺は嫌われていたのかもしれない。娘と馴れ馴れしくしている恋人でもない男。その存在を不快に感じていた可能性がある。
「あー……言い忘れておったな。親父と会話するには少しコツがいるでござるよ」
「コツ?」
「最短距離を突っ走るような物の言い方をするからの。こっちもその速度に合わせて話すのである」
なんだその短距離走みたいなコミュニケーション方法……。
「ん? 親父がどこかに行ったというのなら、この煙草はどうすれば?」
「要らないみたいだぞ。気が変わったらしい」
「……ふふっ、相も変わらずマイペースじゃの」
安瀬は父親の行動を聞いて、くつくつと小さく笑った。
「陣内、どうか気を悪くせんでくれ。不器用なだけで、親父殿に悪気はないのでござるよ」
「そうなのか?」
「うむ! ただのド変人である!!」
ニコニコと陽気に、安瀬は父親を笑い飛ばす。そこには長年連れ添った家族にしか分からない空気間があった。
雨京さんと安瀬は似てないと思っていたが、案外そうでもなさそうだ。安瀬もド変人なので父親とは波長が合うのだろう。
「まぁ、嫌われてないならいいや。それよりも、今は指輪の行方の方が大切か」
「はぁ……その通りじゃ」
雨京さんに出くわしてしまったせいで脱線したが、今の最重要ミッションは指輪探しだ。
「まったく、あのどうしようもない愚兄め。せっかくの結婚式がとんだ珍事でござる。親父も遠くから来てくれているのに……」
安瀬は億劫そうにため息をついて、片手で顔を覆って空を仰ぐ。陽光さんに心底呆れているといった様子だ。
「…………これでは母も安心して楽しめぬではないか」
少しだけ、意味を理解するのに時間がかかった。
だがよく考えれば分かる事だった。きっと結婚式の会場には遺影が飾られている。安瀬の母親は、息子の晴れ姿を見るため婚儀に参加しているのだ。それなのに、息子が結婚指輪を無くしていたら慌てて式を楽しむどころではない。
ポツリと安瀬の瞳から涙がこぼれ落ちる。
「安瀬」
「うるさい」
ギロリと安瀬は俺を睨んだ。
失敗した。彼女を呼んだ時の声音に、不純物が混じってしまった。
「放って置けば治まる。いちいち反応するな、鬱陶しい」
「……へいへい、そうかよ」
安瀬は明らかにイラついていた。咄嗟の事で、俺が反応を間違えたせいだ。余計な気を遣おうとしてしまった。なんとか悪態をついたが、それも遅い。
安瀬は手の甲で目を擦り、水滴を拭き取る。幸いな事に、その後に涙は続かなかった。
「……えぇい、だんだん腹が立ってきた。冴えない兄を祝うために、ちゃんと余興を考えてきた我がなんでこんなバカげた探し物を……」
「余興?」
「来賓と兄貴に楽しんでもらえるよう、余興でクイズ大会を開くつもりなのじゃ。優勝商品にわざわざ、自腹を切って商品券まで用意した」
「へぇ、それは手が込んでるな。結構盛り上がりそうだ」
「ふふん、であろう?」
安瀬は涙こそ流すが決して取り乱さない。今だって得意気な笑みを浮かべている。
彼女は強い自制心で自分を律する。本当にいつもと同じように、安瀬は振る舞えるのだ。それを邪魔するような反応を彼女は嫌っていて………………。
(………………)
この瞬間、安瀬の反応が、俺の頭にとある仮説を組み立てた。
「……その苦労を無駄にしない為にも、早く指輪を見つけないとな。俺は一旦、建物内の男子トイレを探してみる」
「え?」
「もしかしたら、床に落ちてるかもしれないだろ?」
「あぁ、言われてみればそうじゃな。……ここは効率よく、別々に探すとするかの」
安瀬は俺の提案に直ぐ同意した。
「拙者はもう少しこの場所を調べておく」
「分かった。式場内のトイレを全部調べるのは時間かかるだろうから、終わったらまた連絡を送る」
「うむ」
そうして、俺と安瀬は別れて指輪を探す事にした。
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俺は嘘をついた。
『金輪際、安瀬には嘘をつかない』
誓った約束を俺はまた破った。
結局、俺という人間の本質はクズであり最低だ。刹那主義のちゃらんぽらん。反省しない愚か者。大ウソつきのカス。マジであり得ない。なんで俺はこうなのかね……。
そんな自己嫌悪のループに囚われそうになりながらも、俺はノックをしてから扉を開いた。
「あれ、梅治君?」
新郎の控室。俺は男子トイレを探すと嘘をついて、ここに戻って来た。安瀬に嘘を付いてでも、俺には確かめておきたい事があったからだ。
「指輪が見つかったのかい? 随分と早かったね」
安瀬を引き連れずに1人で部屋に戻ってきた俺を見て、陽光さんはソファに座ったまま問いかけてくる。当然の疑問だ。指輪が見つかった以外に、この1分でも時間が惜しい状況下で陽光さんを訪ねる理由は本来存在しない。
「本当に無くしたんですよね? 結婚指輪」
しかし、それは本当に事態が切迫していればの話だ。
「…………」
陽光さんが硬直する。彼は一瞬、呼吸すら止めて俺を見据えた。
「どうして、そう思うんだ?」
落ち着いた声音で陽光さんは返事をする。
その内容は、俺が突然言い出した疑問を否定する物ではなく、どうしてその答えにたどり着けたかの解説を求めていた。
つまり、俺の直感めいた予測の答えは当たっていた。
「えぇっと、その……
「……本当に驚いたな」
感嘆の声が小さく上がる。あまり聞き馴染みのない言葉を言ったが、陽光さんにはしっかりと伝わったようだ。
「君は桜と同じ学科だろ? 医療心理学の専攻じゃなかったはずだ」
「まぁ、そうですけど…………昔、少しだけ調べました」
「それは桜の為に調べたのかい?」
「いいえ、違います」
間髪入れずに否定した。調べようとしたきっかけは確かに安瀬だ。けれど、あれは自分の為にやった事だ。
「結婚式が始まってすぐのプログラムに両家ご両親の紹介がありますよね」
詮索されたくなかったので、俺は自分の考えをぶつける事にした。
「時間にして30分。その時に、その、えっと……」
「あぁ、そうだ。その時間、私は天国の母に感謝の言葉を贈るよ」
「…………」
それは透明で美しい、感動的なプログラムなのだろう。
故人を結婚式に招き、ここまで育ててもらった感謝を述べる。そうする事で残された遺族の心に整理がつき、愛する人との将来をより硬い物にする。悲しみと暖かさが優しく混じり合う人間性に富んだ儀式だ。
「でも、それで、桜さん…………いや、安瀬は」
その時、安瀬桜はどうなる?
「啜り泣く。それくらいならいいんだ」
口には出せなかった問いかけに、陽光さんは答え始めた。
「でもね、俺の言葉は多分アイツには刺激が強すぎる。桜はきっと、陰で見るに絶えないほど泣き叫んで壊れるように崩れ落ちるよ」
彼はその場面を確信しているようだった。
「桜は、自分が母を見殺しにしたと本気で思っているから」
反吐が出るような
陽光さんを睨んでいるわけじゃない。ただ、俺は憎んでいた。聞いているだけで不快感を覚えるその過去を。高潔であり華のように可愛く笑う安瀬の酷すぎる過去を。大切にしたい人の凄惨な過去を、俺は心の底から忌み嫌った。
「……私が母を思い出に変えるまで掛かった時間は、たったの1年だ」
明確に声紋が暗く変わる。伺える感情は負のみだ。
「母が亡くなった時、私はもう家を出て仕事をしていたからね。逃げ道があった」
陽光さんは悔いるように顔を俯け、そのまま話を続けた。
「仕事の忙しさは悲しみを紛らわすのには最適だった。それに千代美だって支えてくれた。だから、その程度だった。その程度で私は立ち直れたよ」
悲痛な語り口は懺悔にも等しい。
「けど、桜はずっと家に居て、もがき苦しんだ」
血を吐くように陽光さんは思いの丈を晒した。俺には……彼が立ち直っているようにはとても見えなかった。
「結婚式を母の日にしたのは私の我儘だ。どうしても、今日この場で母さんにお礼を言いたかった」
そりゃそうだろう。若くして母を失ったのは陽光さんも同じ。育ててくれたお礼を言いたくない訳がない。
「そのせいで、桜にとって今日はもう2回目の葬式といっても過言じゃない」
「だから、その時間だけは安瀬を式場から遠ざけたかった……」
「あぁ」
短く俺に答えて、陽光さんは懐から冬毛を纏ったリングケースを取り出した。恐らく、中にちゃんと指輪はあるのだろう。
「酷い兄貴だろ? 妹の傷心を考慮するなら、母の事は軽く触れる程度で済ませるべきだ。なのに、私は……自分の我儘を押し通した」
……誰が彼を責められる。陽光さんは何も悪い事なんてしていない。これは、誰が悪いとかそう言う話じゃない。
(余計な事をした)
俺は生者の墓を
陽光さんは妹のトラウマを刺激したくなくて、嘘を付くしかなかったんだ。なのに、俺は下らない答え合わせをしようとした。好意で作られた優しい嘘を無粋にも追及した。
俺は何も考えずに、安瀬と指輪を探して奔走していればよかったんだ。
「なぁ、梅治君」
俯いていた顔が上がる。少しだけ涙を携えた眼が、俺に向けられた。
「君は凄いよ。桜を立ち直らせる事は、親父にも、私にもできなかった……。一体どうやったんだい?」
「は?」
立ち直らせた? 俺が? 安瀬を?
(馬鹿な)
大学入学当初、確かに安瀬は今とは違った。でもそれは俺も同じだ。俺は今よりもクズだった。女に振られただけのみみっちい過去を引きずっていた。
そんな俺が、安瀬を立ち直らせた?
それだけは絶対に違う。安瀬は大学に入って、俺達と知り合って仲良くなり、自分で過去を思い出に変えた。
「安瀬は何か言ってましたか?」
強く否定したかったが、昔を語るには抵抗がある。彼女は誰にもあの時の事を知られたくないはずだ。
「いや、何も」
「なら俺から言う事は何もありません。それに、もう終わった話ですよ。だから今はとにかく……涙を拭いてください」
「…………君は優しいな」
優しい。それは陽光さんに向けられるための表現だと思った。
「少し話題を変えようか」
涙をぬぐいさり、陽光さんは正面から俺を見据える。
「ショック期、喪失期、閉じこもり期、再生期。この意味は分かるかな?」
「……概要くらいは」
話題を変えようと言っていたが、あまり主題は変わっていないように思えた。
その4つのプロセスを辿って、人は親族の死を乗り越えて前に進む。
「今、桜は間違いなく再生期だ。見てれば分かる。本当に毎日が楽しそうだ」
眩い日差しが差し込むような柔和な笑顔。陽光さんは目を細めて優しい微笑みを浮かべた。
……やっぱり、優しいという言葉は陽光さんにこそふさわしい。彼は猫屋の時もかいがいしく俺に手を貸してくれた。妹に慕われる事が当然の頼れる人だ。
「私は千代美の出産が終われば地元に帰るんだ」
「え? そう、なんですか?」
本当に急に話が変わった。なので、虚を突かれてしどろもどろになる。
「……安瀬が寂しがりますね」
陽光さんの職場は東京であり、住まいは俺達と同じ埼玉県だ。安瀬は偶に陽光さんに会いに行っていた。
「あぁ……でも親父も最近また目を悪くした。それにずっと1人では寂しいだろうし、生まれてくる子供と一緒に4人で暮らそうと思ってる」
「それは雨京さんには嬉しい話ですね。初孫がすぐそばに居るなんて絶対に嬉しいですよ」
「あはは、そうかもね。不器用な親父のだらしない笑顔が今から目に浮かぶよ」
ようやく、明るい話題が戻って来た気がした。赤ん坊の話は無性に暖かさを感じせる。
「えぇっと、出産予定日はいつでしたっけ?」
「予定では後2か月と少しだ」
夏の時期か。出産祝いは何を送ればいいんだろうか?
「──だから俺の代わりに桜を頼む」
有無を言わせない、刺すような衝撃が真っ直ぐに飛来した。
「このまま、アイツの涙を完璧に止めてやって欲しい。ずっと傍に居て、ゆっくりでいいから桜の心を癒してやってくれ」
言葉の意味は推し量るまでもなく分かる事だった。
「…………」
胸中から溢れ出る色んな言葉を飲み込む。
恐らく、それは重圧に対する言い逃れだったのだろう。
でもそれ以上に『彼女にずっと笑っていて欲しい』という願望が強かった。陽光さんもきっと俺と同じ気持ちだ。いや、俺なんかよりも兄である彼の思いはきっと強い。
俺は許諾も拒否も、何も言う事ができなかった。
「これは君にしか頼めない。家族ではきっとどうしようもないんだ」
「お、俺は……」
「話を聞いてくれてありがとう。少し楽になった気がするよ」
必死に答えを考える俺を無視するように、彼は感謝を述べた。
「じゃあ私はもう行く。そろそろ時間だ。千代美の所に行かないと」
陽光さんは自然なそぶりで席を立つ。
「1時間もしたら、指輪が見つかったって連絡を送る。それまで桜と式場の外に居てくれ」
俺の横を通り過ぎて彼は出口へと向かう。俺の意思を確認しないまま彼は退出しようとした。
その途中で、背を向けたまま、陽光さんは一瞬だけ立ち止まった。
「……すまない」
それだけ言い残して、陽光さんは去った。バタンと控えめに閉じられた扉の音が空虚に響き、嫌に耳に残る。
そうして、教会を模され作られた式場の控え室には、俺1人だけが残った。
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……遠くから、大きな歓声が聞こえてくる。管楽器や拍手の音も追随して耳に入った。結婚式が始まったのだろう。
10分ほど、俺は何もせず、何も考えず、ただ立ち尽くしていた。
「…………このままでいい」
1人残された部屋。そこで、誓うような声音が勝手に漏れ出す。
「俺さえ変な気を起こさなければ、それでいい」
陽光さんは勘違いをしている。
必要な物は時間だけだ。
特別なきっかけが必要な訳じゃない。
楽しい時間だけが全てを過去へと押しやり、喪失を埋めてくれる。
「…………」
ポケットからスキットルを取り出して、酒を呷った。度数の高いラムをとにかく腹に落とし込む。
すると、足が出入口に向かって1歩進んだ。
「……行くか」
安瀬と1時間ほど指輪を探すふりをしよう。彼女の勘は異常に鋭いが、きっと大丈夫だ。不審がられることはない。
嘘はつき慣れている。
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途中参加になってしまったが、結婚式はとてもハチャメチャで楽しかった。
指輪が見つかったと連絡を受けた安瀬がぶち切れ、陽光さんに飛び蹴りをかまして白いスーツが赤く染まり。
お色直しで千代美さんの花嫁衣装が煌びやかな引き振袖に変わった時は、安瀬は羨ましそうに目を輝かせて。
ウェディングケーキが切り分けて提供され、ケーキには何の酒が合うかを安瀬と真剣に議論し。
余興のテーブル対抗クイズ大会は、安瀬が司会を務めたおかげで大いに盛り上がりを見せ。
最後に庭園で行われたブーケトスで、俺と安瀬が花束を本気で奪い合いプールにダイブした。
酒飲んでヤニ吸って食べて騒いで、笑う。安瀬は母の遺影を見てたまに涙を流していたが、心の底から兄の結婚を祝っていた。俺もそれを見て幸せな気持ちになった。
式中、酒と煙草は絶やさなかった。
この2つは良い。タールが酩酊を加速させて思考を鈍らせてくれる。まるで魔法の薬だ。嫌な事を、全部忘れてしまえる。
……現実は悲しい。酔っぱらってないと、とてもじゃないが生きていけない。
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