第49話 孤独な戦いの結果


 『女性空手家、集団暴行』


 3月6日、SNS上に突如として投稿された"歩きスマホを注意したらボコボコにされた"というタイトルの動画。その内容は男性一人を複数人で暴行する刑法に違反した過激な物であった。動画の捜査結果、加害者グループの内の1人が全日本空手道強化選手に選ばれ日運体育大学に通っている黒羽桔梗(21)だという事が発覚した。警察は暴行事件として、関係者に事情聴取を行っている。しかし、被害者男性にはが掛かっており、身元が不明。加害者たちとの面識もなく、動画の投稿者も匿名であり足取りは掴めていない。


 今回の事件を受け、全日本空手道協会は黒羽選手を除名。また、日運体育大学は黒羽桔梗の退学処分を公表。迅速な対応に、昨今のSNSの影響が──


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「ちゃんと炎上してるな」


 俺は病院のベットの上で新しく購入したスマホを操作していた。見ているのは俺が投稿した黒羽桔梗の暴行映像についての記事。


「…………凄い数の批判コメントが書かれてんな」


 炎上のスピードが速すぎる。陽光さんに拡散をお願いしたが、ここまで完璧にやっていただけるとは…………怪我が治ったらお礼に菓子折りとお花でも持っていこう。


「この記事、黒羽のやつ見てるかな? 精神的に追い詰められてりゃ最高だ……ははっ────いッ!?」


 軽く笑っただけだが、傷口から強烈な痛みが駆け巡る。


「いっ、いってぇ……」


 あばら骨の骨折、頭部の裂傷、体中にできた打撲。骨折は骨を戻すだけで済んだが、アスファルトに頭を叩きつけられた時にできた額の傷は思ったよりも深く、6針も縫う事になった。どうやら傷跡が残るらしい。


(……まぁ、上手くいったからどうでもいいか)


 俺の作戦はここまで怪我を負わされることさえなければ完璧だった。復讐劇は問題なく終幕した。


 SNS上に投稿した動画では俺の身元はおろか、容姿さえも分からない。直近で入院した負傷者を探ろうとしても、ここはだ。俺の入院情報を誰にも漏らさない様に、松姉さんに事情を話して全力で頼み込んである。身を盾に迫るような行為になってしまったが、それは、もう、本気で土下座した。


 黒羽からバレる事も無い。奴からすれば、既に俺への暴行だけで世間からの批判はもの凄いものになっている。そこに猫屋への傷害があらわになれば空手だけではなく人生そのものが台無しになるだろう。


 俺への暴行理由も、カバーストーリーを用意してやった。歩きスマホを注意……というやつだ。黒羽は俺が用意した偽りの動機に従うしかない。傷害罪は証拠さえあれば相手からの告訴が無くても逮捕され懲役、もしくは罰金刑が付く。黒羽も余計な事を話して、そこに恐喝の罪を重ねる気は無いだろう。


 例え猫屋があの動画を見たとしても何も問題はない。だって、何も関係ないから。暴行を受けている男が俺とは分からないし、暴行を起こした黒羽は猫屋と関わるわけにはいかない。故に猫屋が今回の真相を知る由は無い。


 昔、復帰戦で対戦したことがあるヤツが勝手に落ちぶれた。陰鬱な感情であろうと、それを見て猫屋の気持ちが少しでも和らいでくれれば俺は大満足。


 完全犯罪でも起こした気分だ。


(かなり運良く事が運んだとはいえ、結構よくできた悪だくみだったな)


 色んな人を頼ったおかげだ。俺1人では何もできなかっただろう。


(後は交通事故にあったってアイツらに言い訳すればいい。それで元通り、…………ん?)


 俺がこれからの展望を考えていたその時、病室の廊下からカツカツと足音が聞こえた。時刻は深夜。見回りの看護婦が来たのだろうか。こんな時間に起きていたら怒られるな、なんて思っていたらノックもなくいきなり俺の病室の扉が開かれた。



 そこに居たのは、安瀬と、西代だった。



「「「…………………………………」」」


 交わる、3人の視線。

 急すぎる彼女達の出現に頭が真っ白になる。衝撃のあまりに、俺は口をパクパクと開閉して間抜け面を晒すしかなかった。


「………………め、面会時間はもう終わってるぞ?」


 俺が何とか絞り出した言葉は、あまりに間抜けな物だった。


「「忍び込んだ」」

「………………あ、そう」


 確かに、この2人ならやる。


「はぁ」


 俺は深いため息と共に、ベットの上で本気で頭を抱えた。彼女たちの出現は、俺の計画の失敗を意味しているからだ。


 最悪の気分になった。先ほどまでのやり遂げた気分など一瞬で霧散した。


「……どこまで知ってるんだ? というか、俺がここに入院してる事はどうやって知った?」


 情報がどこから漏れ出たかが分からない。今回の計画は情報漏洩をしない事を念頭に進めていた。陽光さん、勝美さん、松姉さん、と俺が関わった大人たちにはしっかりと口止めをしている。


 俺の問いかけに、西代が口を開く。


「陣内君のお母さんから連絡があったんだ。『息子がバイクで事故を起こしたようなんですが、詳しく話してくれないんです。西代ちゃんは何か知っていませんか?』ってね」

「あ、……」


 俺の怪我を知っている大人は当然、先ほど挙げた3名だけではなく親も含まれる。事情を説明する必要が無かったため、両親にはバイクでの単独事故という事にしてあった。バイク関連の保険は全て俺のバイト代から出しているため、雑な嘘でもバレる事は無いと踏んでいたが……。


「西代、母さんと連絡先を交換してたのかよ……」

「君の見てない所でね」


 やってしまった。大馬鹿だ俺は……その可能性は十分あったはずだ。


「連絡を受けた時、僕たちは心底驚いたよ。本当に君が事故ったと思ってね」


 ……彼女達に余計な心労をかけてしまったようだ。


「でも、すぐに思い出した。君のバイクは淳司君の所に預けてあるはずだろう?」

「……まぁな」

「そこから、僕たちの前から失踪した君の動向調査が始まったわけさ」


 西代は平坦な口調で俺まで辿り着いた経緯を語る。


「君の失踪前にあった不可解な点は二つ。陣内君が僕にした相談。それと、転んでできたという顔の痣だ。……喫煙所から逃げる男2人を安瀬が偶然にも目撃していてね。転んだのが嘘だと仮定した場合、殴ったのは彼らしかいないと思って、生徒名簿の顔写真から個人情報を特定して事情聴取した」


 さらっと、また忍び込むなよ。


「それからは早かったよ。今ニュースで話題の黒羽桔梗……スポーツ関連だったから、安瀬のお兄さんを問い詰めてみたらあっさりとゲロった」

「どうなってんだよ、その調査力。シャーロックホームズでも愛読してたのか?」

「あれは意外とまともな推理をしてない事で有名だよ」


 西代は俺の軽口をたいして面白くなさそうに返す。


「……猫屋には……バレたか?」


 猫屋はここにはいない。何か奇跡が起きて、猫屋が今回の復讐を知っていない事に俺は一縷の望みを掛けた。


「猫屋……じゃと?」


 俺の問いかけに、安瀬は顔を伏せ体を震わせていた。異常な反応。俯いたまま拳を握りしめて彼女は口を開く。


「この期に及んで、人の心配をする馬鹿がおるかッ!!」


 安瀬は怒声を発してベットに横たわる俺の隣まで走り寄った。


「この大ウソつきめが!!」


 安瀬は俺の緩い患者着の胸元を掴み上げた。暗い病室で、月光が彼女の顔を照らす。怒りと困惑。その二つがぜになったような、初めてみる安瀬の表情。


「安瀬、止めなよッ!!」

「うるさい、西代!! お主は黙っておれ!!」


 その様子を見て西代が安瀬を叱咤したが、安瀬は手を離さない。


「嘘をついたな!! 我に、2度も嘘をついた!!」

「……」

「心当たりはあるであろうな!!」

「……あぁ」


 1度目は文化祭の借りを気にしていないと言った事。2度目は体育祭での喫煙所でだ。どちらも、俺の身を案じた優しい気遣い。その両方に俺は嘘をついた。


「怒ってる、よな?」

「当たり前であろうッ!!」


 深夜の病室に響く悲鳴のような絶叫。


「あんな些細ささいな借りを気にして、我らを危険から遠ざけたつもりか!? ヒーロー気取りで猫屋を救ってやるつもりだったか!?」


 安瀬の激昂。俺はケジメとして、それを真正面から受け止めなければならない。頭部の裂傷に声が強く響く。


「その結果がこれか!?」


 安瀬は俺の顔を見て怒号を放つ。青痣まみれの顔を見られるのは少し恥ずかしい。


「ボコボコにされて!! ほ、骨を折られて! そ、そんな、そんな酷い……酷い……」


 安瀬の声音は段々と弱く、震えた物になっていった。


「ど、動画を見た」

「そう……か」

「お主……自分が、どれほどの間………なぶられたと……」


 自分でも分からない。


「何故、我らを頼らなんだ?」


 安瀬のすがるような言葉。安瀬が一番怒っているのはきっと……俺が彼女を頼らなかった事だ。


「我ならもっと完璧な作戦を練った」


 ……その通りだろう。安瀬ならきっと、俺なんかよりもっと完璧で洗練された復讐を成し遂げられたはずだ。


「一緒に……いつものように我らと一緒にやっておれば、お主がそのような怪我をする事はなかった……。そうであろう?」


 俺は彼女達を頼るわけにはいかなかった。万が一にでも安瀬と西代を暴力沙汰に巻き込みたくはなかった。それに、3人でコソコソしてたら猫屋は絶対に何かに感づいた。バレンタインの時の俺がそうだったから。


 俺は何も返事をすることができず、安瀬から顔を逸らした。


「……っ」


 その時、小さな……本当に小さな呼吸音が安瀬から聞こえた気がした。


「…………不愉快、です」


 安瀬は、口調を変えた。


 身体の奥から、傷の痛みではない苦痛が俺を襲う。平衡感覚を巻き込んでどこまでも落ちていくような錯覚。罵ってくれても構わない。だから…………それだけは止めて欲しかった。だが、そんな事を口に出す権利は俺にはない。


「貴方みたいなっ、馬鹿に……付き合っていられません」


 綺麗な水滴が、安瀬の頬を伝って病室の床に落ちる。


「…………」


 本当に俺は馬鹿だ。こんな物が見たかったわけではない。こんな光景を見たくて体を張った訳じゃない。


「……ごめんな、心配かけて」

「っ、心配なんて…………ぅ、ぅ、…………心配なんて……!!」


 安瀬は俺なんかの為に、泣いてくれていた。


「謝るのは僕の方だ」


 今まで、俺と安瀬のやり取りを黙って見ていた西代が話しかけてくる。


「僕が陣内君に余計なことを言った。だから、安瀬。もう……それ以上は……」


 西代は懇願するように安瀬に語り掛ける。それを受けて安瀬は涙を袖で拭い、より悲痛な顔を見せた。暗く淀んだ失意の表情。


 もう……頼むからやめてくれ。いくらでも謝るから……。お前たちのそんな顔なんて、俺は見たくなかった。貫いた意地の結果が安瀬の涙だというのなら、俺は……俺は!!


 ガチャリ、と音がする。心の奥の奥。そこで、。施錠音らしき幻聴がはっきりと確かに聞こえてきた。


「すまぬ………取り乱した」


 安瀬は俺の胸倉から手を離す。彼女はゆっくり俺から離れて背を向けた。


「……それでは、どうかお大事になさってください」


 そう言って、安瀬は俺を一瞥もせずに病室から出て行った。……大切なものが俺から離れていく気がした。


 体から力が抜ける。脱力感に逆らわずに深くベットに身を預けた。


 自分がやった、身勝手な行い。そのせいで安瀬が泣いた。あの安瀬が。……彼女の信頼を裏切り、傷つけた最低のクズ。俺はようやく自分がしでかしたことの重さを正確に理解した。


「……ごめん」


 優しい声音で謝罪の言葉が聞こえてくる。落ち込んだ様子を見せてしまった俺を、西代が気遣ってくれた。


「あんなこと言わなければ、君がそんな怪我を──」

「西代」


 俺は彼女の言葉を遮った。これ以上の罪の意識には耐えられそうにない。


「行動を起こした事に、後悔はしてないんだ」


 西代の謝罪を俺は受け入れたくはなかった。今回も、俺は西代に助けられたからだ。


「多分、お前の言葉が無かったら俺は何も行動を起こせなかった」


 西代の助言が無ければ、俺は怒りと躊躇ちゅうちょの狭間でずっと悩んでいただろう。


「だからさ、こんなざまになって言うのもあれだけど……」


 俺はきっとやり方を間違えた。


「ありがとう。俺は、助かったよ」


 結果として、俺の怒りだけは霧散した。醜い自己満足だけ果たすことはできた。その犠牲になったのは俺の心の大切な所にいる3人。特に被害を受けたのは…………


「なぁ、その……猫屋はやっぱり──」

「それは猫屋本人に聞くべきだよ」


 西代の性急な返答は、俺の疑問に答えているように思えた。やはり、俺の計画は失敗していた。


 猫屋は全てを知ってしまったのだ。


「……そうだな」

「じゃあ僕も、もう帰るよ。騒いでごめん。……とにかく今は安静にね?」


 それだけ言って、西代も背を向けて退室しようとする。その姿を見て、どうしようもない喪失感が俺に襲い掛かった。


「なぁ、西代」

「ん?」

「俺の居場所って…………まだあるのかな?」

「………………………………は?」


 安瀬の信頼を裏切り、猫屋の心を傷つけ、西代に余計な罪の意識を負わせた。俺の独りよがりの復讐は最悪の結果に終わった。本当に大切な彼女達を、俺はないがしろにした。


「……馬鹿かい?」

「え?」

「あぁ、いや、本当に君は大馬鹿だった……!!」


 西代は去ろうとする足を止めて、俺に向かって勢いよく近づいて来る。


「はい、ぎゅっ」


 変な効果音を口にして、西代は俺の事を優しく抱きしめた。傷口に安心感のある暖かさが伝わってくる。


「え……あ……」

「もう引っ越しは終わったよ? 一緒に不動産で見た、あの広い賃貸さ。男手が無かったから荷運びが大変だったよ」

 

 ルームシェア。西代は落ち着く声音で、俺に戻ってこれる場所があることを示唆してくれている。


「そう……か……その、悪い、急にいなくなって」

「うん」


 帰っていいのだろうか。俺は間違え、失敗した。猫屋にどのような顔をして会えばいいのだろう。それに安瀬にだって……


「君ってやつは、まったく……安瀬の怒りは、君を大切にしている事の証明だろう? ……言うまでも無い事だと思ったんだけど」

「…………ごめん」


 俺はずるいやつだ。安瀬の怒りの理由を西代に言わせてしまった。そんな物は無粋で卑劣。安瀬に謝りたい。猫屋に会いたい。ごめん、て大声で謝って、許してもらって、また……一緒に居たい。


「やっぱり、怪我すると弱気になるな」

「そういう事にしとくよ。……あとね?」


 西代が俺の頭を幼子にするように撫でる。


「1人でよく頑張ったね」


 不意に目頭が熱くなった。


「ふふっ、安瀬は怒るだろうからヒミツだよ? 僕だけは褒めてあげるんだ」


 西代の小悪魔じみた声だけが聞こえてくる。抱きしめられているせいで顔は見えないが、きっと声音とは真逆の優しい顔をしている。


「君を間違った方向に導いてしまった僕が言うのもなんだけどさ……友達の為にここまで身体を張った君を、僕は心の底から尊敬するよ」

「失敗したっ、俺でも、か?」


 西代の優しい言葉が心の奥まで届いた。涙があふれてくる。


「うん」

「ね、猫屋、は……傷ついてなかったか? お、俺が、余計な事したせいでま、また──」

「安心して?」


 西代は俺から漏れ出る情けない言葉を止めた。彼女はゆっくりと俺から離れて、その顔を見せてくれる。


「全部、僕が元通りにしてみせるから」


 西代は落ち着いた微笑みを俺に向けてくれた。その表情は寛容的であって……俺を受け入れてくれているようで……嬉しかった。


「……その言葉に甘えても、いいか?」

「任せてくれ」


 真のある冷えた声。西代が言うのなら、全ては元通りになるのだろう。


「君の頑張りは無駄になんかは決してならない」


 そう言ってくれると少しだけ報われた気がした。


「また4人で馬鹿みたいに、はしゃごうね?」

「あぁ……俺も、そうしたい」

「ふふっ、いい返事だ。……それなら今はしっかり休まないと」


 西代は優しい手つきで俺に布団を掛けてくれる。


「……ありがとう、西代」


 西代の言葉はまるで睡眠剤のようで、意識がトロンと薄れていく。体が重い。このまま安心感のある睡魔に全て任せて、眠ってしまおう。


 あと、起きたら、すぐに……安瀬と猫屋……に謝ろ……ぅ……。


************************************************************


 陣内が眠った事を確認すると、西代はその寝顔をのぞき込むように眺める。青あざまみれで、所々が膨れ上がり、左目蓋の上には大きな手術後の痕跡。


「…………そんなに自分を卑下しないでいいのに。本当にかっこいいよ、君は」


 その姿を、西代は小さな声で褒め称えた。


、誰も立ち上がってはくれなかったしね」


 友の為に、大怪我を負うまで悪意に立ち向かった陣内。西代は持ってはいけない感情だと自覚しながら猫屋を少しだけ羨ましく思う。


「らしくないや…………。ここでゆっくりと待ってて? 、またお見舞いに来るから」


 西代は返事を返す訳の無い陣内に独り言を呟いて病室を去った。


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 病室の扉は少しだけ開いていた。陣内達の大声でのやり取りは、暗い外の廊下まで聞こえている。


 陣内梅治の個人病室を出てすぐの所に、


 彼女は病室に入ることができなかった。自分のせいで大怪我を負った陣内を見る勇気がなかった。どんな顔をして陣内と会っていいか分からなかった。


「……っ…………っ」


 猫屋は廊下の隅で座り込み、嗚咽を無理やり抑え込んでただただ涙をずっと流している。溢れ出る涙を必死に拭い去り、空いた右手を血がにじむほど床に叩きつけていた。猫屋の心は、陣内の優しさに震え、壊れそうだった。


 そんな猫屋を止める為、安瀬は彼女を包み込むように抱きしめた。遅れて出てきた西代も同じように猫屋を慰める為、傍によって抱擁する。


「ご、ごめんねー……、さ、さっきから、止まらなくて、さー……」


 安瀬と西代は何も言わず、猫屋にさらに強く寄り添った。


「あ、安瀬ちゃん、こ、今回、悪いのは陣内でも、西代ちゃんでもないよー……」

「あぁ、分かっておる。すまん、お主の気持ちも考えずに……本当の大馬鹿は我の事である……」


 安瀬は自身の感情を子供のように破裂させたことを心底後悔した。その短慮な行いで傷を負うのは、安瀬の想い人と、2人の親友たちだった。


「ううん、違うの」


 悔いる安瀬を猫屋は気遣う。


「わ、悪い、の、はっ、陣内の前で、泣いちゃった、弱虫の私なんだ、よねー……」


 猫屋は思い出す。彼女の部屋で、陣内が泣く自分を必死に慰めた事を。


「じ、陣内は、本当に、優しいからさー……」


 雨音を子守歌にして強く抱きしめて眠ってくれた事を思い出し、彼女は自分の脆弱さを改めて思い知った。


「弱い私を、心配して……これ以上、泣かないようにって……!!」


 あの時、子供の様に情緒を乱して泣きじゃくらなければ陣内は1人で事を起こさなかったのではないか? 自分が弱くなければ、彼が複数人に囲まれて異常なまでの暴力に晒されることはきっと無かった。


「ひっ…………う、……ぅ……」


 猫屋李花は弱い自身を嫌う。挫折して楽な方に逃げた自分が嫌い。弱くて脆い自分の事が大嫌い。


 でも、そんな自分の心を守ろうとしてくれた強くて優しい人がいた。


「……逃げ、ない」


 猫屋の涙は止まらない。しかし、言葉には強い意志が宿っていた。


「…………もう、逃げない」


 猫屋の心は、過去を踏破するために奮い立つ。


「本当に……全部、真正面からぶっ壊してやる……。弱い私も、過去も、何もかも全部……!! ムカつく全部を薙ぎ払って、つまらない因縁の全てに決着をつけてやる!!」


 そうして前に進む。何の憂いも後悔もなく、あの人生で一番楽しい時間を大好きな友達たちと全力で謳歌おうかする。


 過去の挫折を恥じて口に出す事さえ躊躇ためらっていた弱くて脆い猫屋は、陣内の献身により跡形もなく消え去った。


 彼女は過去と決別する覚悟を決めた。


「……猫屋、我らにも是非、手伝いをさせて欲しい」

「僕からもお願いするよ」


 安瀬と西代は、今回の事件の結末を指を咥えて見ているつもりは無かった。


 澄んだ炎を灯す猫屋の炉心に反して、安瀬と西代の心中にはどす黒い殺意の炎が渦巻いていた。傷つけられた陣内と、さらに傷ついた猫屋。2人をこのような目に遭わせたヤツを、彼女たちは決して許さない。


「え、えへへー。2人がいたら百人力だよー」


 ボロボロの顔で無理やり笑う猫屋を見て、2人はより心を深く沈めた。殺意にまで至る感情が無限に増殖していく。陣内の復讐は、猫屋への隠蔽があったせいとはいえ……安瀬と西代はそう考えて、邪悪で禍々しい報復の絵図を脳内で書き上げる。


 犯罪行為さえ いとわない、倫理観の欠如した本物の悪女たちの暴走が始まろうとしていた。

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