第2話 西代の罠

「西代さんよ」

「なにかな、陣内君」


 土曜の夕方時。俺と西代は台所に立ち晩御飯の準備をしていた。今日はペペロンチーノ、トマトスープにアサリの白ワイン蒸しだ。


 ペペロンチーノはニンニクとオリーブオイルをケチらず、これでもかと香りを出して、ブラックペッパーと鷹の爪でパンチも出す。

トマトスープは3時頃には茹でていたので、キャベツを主とした野菜は繊維がトロトロだ。

アサリの白ワイン蒸しは完璧におつまみだな。アサリとワインの濃厚な味が酒によく合いそうだ。


 我ながら家庭的なイタリアンとしては中々のものではないだろうか。そりゃお店のものに負けるが。もちろん、一人の時はこんな手の込んだ物は作らない。トマトスープにパスタをぶち込んだスープパスタもどきで満足する。


 基本的に人は誰かの為に手の込んだものを作ってしまうものだ。今日はこの後、安瀬と猫屋も遊びに来る。やはり、あいつ等が家に来るときは基本的に張り切ってしまう。美味しいと言ってくれるので、まぁ嬉しいのだが……


「今日で1週間連続宿泊になるけど、帰る気は?」

「ないね」


 さすがに1週間続くと面倒だ。……コイツなぜ帰らない。


「最近、下宿先が騒がしくて仕方ないんだ。防音効果が大してないのに、誰かが毎夜バカ騒ぎしてる。おまけに近くで夜間工事も始まって最悪だ」

「……なるほど」

「明日にはさすがに帰るから、今日も泊めてくれ」


 そこまで明確な理由があるなら俺も無下に追い返したりはしない。別にこいつ等がいること自体は楽しい。しかし


 俺は自身の後ろにある脱衣所の室内干し用スペースにある物体に指をさした。


「それでも、下着の洗濯は家でやってくんないかな!?」


 黒、白、桃と様々な女性用下着が洗濯ばさみに吊られて密林を作っている。正直、無防備にも程がある。世の中にはアレを盗んで捕まる男性さえいるというのに。


「むぅ……しかし、連日履き続けるのはさすがに不衛生だ……」

「それは俺も嫌だよ。一回洗濯しに帰ってくれと言ってる」

「めんどくさいな」


 こいつ本当に女か。


「まぁアレは僕たちの陣内君に対する、信頼の証と思ってくれ。嗅いだり被ったりしないだろう?」

「しねーよ!! ……ん、僕たち?」


 あれ? ボクタチって言うのはどういうことだ……?


「あぁ、あれ僕のだけじゃないよ。安瀬と猫屋のも混じってる」

「ぅ、ぉ、まじかよ」


 陣内梅治の中で女という生物の認識が大きく音を立てて崩れていた。いつの間にか"恥じらい"という言葉はこの部屋から消えてなくなってしまったようだ。


「ちなみに、あの一番大きいピンク色のブラは安瀬のだね。着痩せしてるけど僕たちの中では一番胸がおお─────」

「待て、待て、待て!!」


 思わず大声を上げてみっともなく西代の声を妨げる。


「ハハハっ、初心うぶだね陣内君は!」


 動揺している俺を見て西代はカラカラと笑っていた。こういうことを初心うぶいというなら、俺はもうそれでいいや。

あからさまに揶揄われているのが悔しいし、黙って料理に集中しよう。


「そうだ、今度どのブラが誰のものか当てるゲームとかしてみる? 全問正解したら下着干すのはやめてあげるよ」

「それやりだしたら、出禁にするからな!」


************************************************************


「あー美味しかったー」


 西代との一悶着のあと、酒とつまみを持参した安瀬と猫屋がやってきて一緒に夜飯を食べた。こいつらも今日は一泊するらしい。


「イタリアンは陣内が作るのが一番美味しいでござるな!」

「和食は安瀬が一番だけどな」

「なら中華は私かなー」

「君に作らせると旨いが、同時に死人が出る」


 陣内家、死の血便事件。猫屋の得意料理という事で麻婆豆腐を作ってもらったことがある。確かに辛さの中に奥深い麻辣マーラーの旨味があったが、それにしても辛すぎた。翌日、陣内家のトイレは嘔吐以外の理由で初めて行列ができる事態となった。


「いや、美味しいのは認めるでありんすけどね……」


 安瀬が右斜め上を見ながら、つらい記憶を思い出している。というか、今はそんな話題どうでもいい。まだアルコールが廻っていない内に話しておきたいことがある。


「お前たち、ちょっといいか……」

「うん?」

「なにさー?」

「どうした兄弟」


 一人ふざけたやつがいたが、無視して話を続ける。今日の西代との会話で浮き彫りになった、我が家の異常性。これは早急に対応策を打っておきたい。


「洗濯物は自分の家でしない……?」

「「「………………」」」


 その瞬間、現代版日本三大悪女たちの眉間にしわが寄った。俺の発言が彼女らの不平を買ったのは火を見るよりも明らかだった。


「えーーーめんどくさーいー」

「ぶっちゃけ、最近は家よりも陣内の家に泊まる方が多いでござるからな」

「いや、俺は恥じらいをもてという話を──」

「僕らは一緒の便器を汚した仲じゃないか? 恥じらいなど何を今さら……」


 なんだよその友情の深めかた。……いや、確かに深まった気はする。

少なくとも気の置けない仲なのは確かだ。

なら、別の切り口で説得するまで。


「でもさ、俺って割とズボラだからさ。適当にグチャグチャに詰めて洗濯機回したり雑に畳んだりするし。そうなって服が痛んじゃったら責任取れないというか……」

「あーなるほどー、そうなるとちゃんと考えなきゃいけないねー」


 猫屋が煙草に火をつけて天井を仰ぎ見た。本当に考えてるんだろうか。


「僕はそうなっても怒らないけどね。こっちは使わせてもらってる立場であるわけだし」

「我もそうであるな! でも、お気に入りの甚平じんべいは自宅で洗濯するようにするでやんす」


 ……状況は俺にだいぶ不利なようだった。コイツら俺以上のズボラのくせに清潔感という物はしっかりしているのが謎だ。


「納得していない顔だね、陣内君」


心中でぶつくさ文句を言っている俺の心情を見抜いてか、西代がそんな事を言ってきた。


「いや、まぁどうしてもというわけではないが……」

「いやいや、こういう時は禍根を残さないようにはっきりつけるべきだと僕は思うよ」

「というーとー?」


 西代は唐突に立ち上がって、押し入れを開いた。そして大きめの段ボールとマジックペンを引っ張りだして何か書き始めた。縦と横に線を引いて8×8のマス目。そこまで書いてから先ほどの白黒という言葉でとある一つのゲームを連想させた。


「オセロ? けどマス目がやたら大きくないか?」

「それはコレを駒として使うからね」


 そう言って段ボールの盤面に置かれたのは小さな紙コップ。容量はちょうどショット一杯分程度だろうか。それを正方形に4つ置いて、クロスするように赤と白のワインを注ぎだした。


「ワインオセロという一時期SNSを沸かせたゲームさ。ルールは言わなくてもだいたいわかるよね?」

の代わりにを駒に見立ててゲームするのか?」

「その通り。そしてコマを挟んで色を変えるときは、変えようとする側がグラスを空にして自身の色の酒を注ぐ。最終的に色が多かった人が勝ち。負けた方は盤面に残った酒を一気飲みさ」

「な、なんというか、恐ろしいゲームでござるな」


 酔いを抑えるためにコマを変えるの躊躇すれば敗北し、えぐい量の酒を飲む羽目になる。しかし、コマを取るために飲みすぎればシンプルにオセロに負けてしまう可能性もある。確かにえげつないな。


「女性陣を代表して僕が陣内君の相手をしよう。僕が勝ったら洗濯機は今まで通り使わせてもらう」

「なるほど、俺が勝ったら自分の家で洗濯すると……」

「フフフ、もちろん途中で潰れたり、長時間席を離れたら負けだよ」


 ゴゴゴゴっと西代の目が怪しく光る。な、なんてプレッシャーだ。こいつにはなにが何でもらくをしたいという、凄みを感じる。


「っへ、上等だよ。その綺麗な顔を便器に埋めてやるぜ!」

「陣内それ気に入ったのー?」


************************************************************


「じゃあ先行は譲ってあげるけど、僕が飲むのは赤ワインがいいな。白より好みなんだ」

「そうなのか? じゃあ遠慮なく」


 トクトクトクっと紙のショットグラスに赤ワインを注いで行く。そして一つの白ワインを挟むように置いた。


「おっと早速駆け付け一杯である。よく考えてみたらパスじゃないかぎり、毎ターン飲む必要があるぜよ……」

「ワインって基本10パー前後はあるからー、負けた方は地獄を見るかもねー」


 外野の解説に耳を傾けながら、さっそく一杯目の白ワインをグイっと呷る。


「うおっ、このワイン滅茶苦茶甘いな!」


 どんなワインにも基本的には少しの渋みがあるものだ。むしろそれがワインの豊潤な香りと合わさって美味しいのだが、この白ワインは渋みを全く感じさせない。強い甘みがあって果実酒みたいだ。フルーツワインってやつか。安物の缶チューハイと違い、奥深い味わいがある。


「"島根ワイナリーオリジナルスイート"って銘柄のワインだね。甘くて安くて美味しい。関西圏ならスーパーでも売ってたよ」

「あ、見た事あるでやんす」

「島根のワイナリーなら広島が近いもんな」


 甘党の気がある俺には中々いいワインだ。気に入った。


「いいワインだろう? このゲームはこういう甘いワインの方が手が進みやすいと思ってね」

「そこまで考えて、このワインにしたのかよ……」


 あれ? こいつ結構ガチで倒しに来てないか? いや、このゲームにあうワイン選びに本気出しただけか。


「じゃあ次は僕だね」


 注いで、置いて、飲んで、再び注ぐ。ゲームはスムーズに進んでいった。

 

 所詮、ワインでやってるだけのオセロだ。角や端を取った方が有利だし、あんまり最初に多くとるとしっぺ返しをくらったりする。酒に酔って集中力を乱さないように、自分の強いと思う定石で攻めていけばよい。


「一列、全部もーらい」


 三十数手目、端にワインを置き一列全てをひっくり返し盤上のコマに大きく差をつけることができた。勝負は中盤に差し掛かってきたので、この差は大きい。


「いいのかい? 一列と斜めも含めて8杯くらい飲むことになるけど」

「フハハハ、ワインなんぞ水と変わらん!」


 俺は一端の酒飲みとして自分のキャパシティは完璧に把握している。500mlのワイン3本までなら酔いは翌日に残りはしない。4本はさすがにきついだろうが、このゲームの消費量的にワイン3本も開けることはないだろう。


(フフフ、このゲームで俺が潰れることは決してない、と宣言したいところだ!)


 少し酔ってハイになっていることは認めるけど。あ゛ータバコがおいしーー。


「おい、大丈夫なのか西代よ」

「私たちの洗濯権がかかってるんだからねー」


 洗濯権ってなんだ、うまい事言ったつもりか。


「んふふふ、まぁ見てなよ。すぐにあの生意気な顔をギドギドの恐怖面に変えて見せよう」


 西代のやつも結構お酒廻ってるな。普段クールぶってるから、あんなにテンション高い彼女を見れるのはお酒を飲んでるときだけだ。

そんな事思いながら無事に8杯の白ワインを飲み終えた。まだまだ余裕だな。


「じゃあ次は僕の番だね」


 西代はたいして迷いなく一番多くコマがとれる場所にグラスを置いた。計5杯、赤ワインを飲んで白を注ぐことになる。西代も当然これくらいで泥酔しない。こいつ等女子三人は酒は俺より強いしな。


「ん、おっと……1本目が切れてしまったね」


 西代の言う通り2杯分注いだところで、瓶は空っぽになっていた。俺の計算どおり、このゲームで使うワインは赤2本、白2本で足りるのだろう。今の状況は断然俺の優位だ。このままいけば案外、楽に勝てるかもしれない。


「では新しいのを開けるとしようか」


そう言って、西代は新しい瓶に手を伸ばす。


 透明な瓶に、水のように透き通った液体。

白いラベルに書かれた緑色のポーランド語が酒というより、まるで薬品のような無機質さを演出している。

人を寄せ付けない、危ない雰囲気が俺らを圧倒する。

全員がごくりと息をのむ。

何度見ても恐ろ─────


「それスピリタスじゃねーか!!!」


 思わず大声の抗議の声を上げる。コイツ、平気な顔して何しようとしてるんだ!!


「白ワインは実は1本しかなくてね。代わりに、と思って」

「ふざけんな!! そんな劇薬でオセロなんてできるか!!」


 勝負はまだ中盤戦。終わりが見えてきたものの、スピリタスでゲームを続けることは自殺行為としか言えない。


「なら勝負を投げて負けを認めるかい?」

「い、いやいやいや! ワインが無くなったら勝負は無効だろ? 他の酒使うなんてルール違反─────」

「……えっ?」


「僕も陣内君も、使というルールとは言っていない」


 これが証拠、と西代はスマホを取り出して録音アプリで音声データを再生し始めた。


************************************************************

「ワインオセロという一時期SNSを沸かせたゲームさ。ルールは言わなくてもだいたいわかるよね?」

の代わりにを駒に見立ててゲームするのか?」

「その通り。そしてコマを挟んで色を変えるときは、変えようとする側がグラスを空にして自身の色の酒を注ぐ。最終的に色が多かった人が勝ち。負けた方は盤面に残った酒を一気飲みさ」

************************************************************


「そんな馬鹿な!?」


 確かにワインとは指定していないが、そんな屁理屈あるか!!


「おー! 西代ちゃん頭脳プレー!!」

「珍しく賢いではないか、西代!!」

「っふ」


 西代が雑に褒め称されて喜んでいるが、ツッコんでいる余裕はない。このままでは負けを認めるか、スピリタスであのゲームを続けるしかなくなる。

こうなったら今からコンビニ行って適当な白ワインを買ってくるしかない!


 俺が席を立とうとすると、猫屋がそれを遮った。


「どこ行くのー陣内?」

「ちょ、ちょっとコンビニまで煙草を買いに……」

「あれー? 長時間の離席は負けじゃなかったっけーー?」

「あ……」


 その時ニヤリと西代が笑った。確信犯じみた悪魔の微笑。

こ、ここまで計算づくかぁーーーー!!

ありえん。コイツ俺を同じぐらい単位落としてるバカのくせに!!


「どうする? 素直に負けを認める? それとも勝負を続ける?」

「ぐぐぐぐぐぐ…………!!」


 あんな96%の酒なんぞでゲームを続けようものなら、天国にまっしぐらだ。急性アルコール中毒で救急車のお世話になる事になるだろう。


 ……悔しいがここは諦めるしかない。俺の肝臓を守るためにも、こいつらの洗濯の権利を認めるしかないようだ。


「分かった……俺の負けだ」


「「「いえいーーーー!!」」」


 俺のサレンダー宣言を嬉々として喜ぶ女子三人組。そんなに、俺の家で下着が干したいのかコイツら。


「じゃあ、罰ゲームもよろしくね陣内君」

「……え?」


 そういうと、西代はスピリタスを開封しトポトポと残っていた3杯のグラスを満たしだした。


、だよね? 僕が最後のグラスを置いてからのサレンダーだから、スピリタス3杯とワイン34杯。計37杯の一気飲みだよ」


「…………………………」


 放心状態の俺の両肩をポンっと安瀬と猫屋が叩いた。


「まぁ、今回は西代ちゃんが三枚くらい上手だったってことでー」

「なに明日の講義は心配するな! 代返はしてやるでありんす」


 自身が逃げられない事と悟り、俺はこの大敗北の記憶が飛ぶまでアルコールを飲み続ける羽目になった。

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