勝利の2Pクロス(9)

「みなさん、ちょっと一喫しましょう」


 いつのまにかソソミが近くの自販機でジュースを買ってきてくれたのだ。


「あすくくんは微糖コーヒーは飲める?」

「ぼくはなんでも飲めますよ。さっすがソソミ先輩、気が利きますね」


 私は甘いのがいいな~。ジャレ子は無遠慮に桃のジュースを抜き取る。


「別斗くんはどっちがいい?」


 コーラと午後ティーしかないけど。冷えて汗をかくボトルを差し出し、満面の笑みを称えるソソミ。その屈託のない笑顔にしばし見とれ、知らず尖っていた神経に気づいてホッと息を吐く。


「あー、じゃあおれコーラいいっすか?」


 別斗、自分がコーラを選ばなければいけない気がして、そちらに手を伸ばした。が、ソソミはそれを意味深に拒み、意図せず別斗が午後ティーを取る流れを演出する。


「……?」


 困惑している別斗を尻目に、一心にキャップを捻って風呂上がりの牛乳よろしく腰に手を当てての豪傑飲み。そうして三分の二ほど一気に飲み干し、おもむろに口を開いたかと思うと、


「グエェェェェ」


 その場にいる誰もが目を疑った。ニャンテンドーの社長令嬢であり、気品あふるるソソミ嬢が、よもやゲップというお下劣な行為を恥ずかしげもなく見舞うなどと。


「わっ、びっくりしたあ~。先輩もゲップするんですね~」

「そ、そりゃあまあ先輩も人間だからね。生理現象のひとつやふたつ、人前でやっちゃうことありますよね……?」


 動揺するジャレ子&あすくの隣で、別斗も目を丸くする。そんな仲間たちの反応に、当の本人は勇ましいほど凜としている。

 しばらくして、別斗はプッと吹き出した。ソソミの想定外すぎる行動におかしさが込み上げてきたのも事実だが、なぜ突如そんな奇行を試みたのか、その思惑に勘づいたからだ。


「先輩やめてくださいよ、気が抜けちゃったじゃないっすか」

「ふふ、リラックスできて? そんなに強ばった表情じゃ、普段の力が出せないわよ」


 つまり、ソソミはあえて道化を演じることで別斗の気を解きほぐしたのだ。

 別斗は手にした午後ティーのキャップを捻り、乾き気味だった口中に流し込む。糖分とレモンの渋みが一体となった清涼感を味わうと、大きく息をつく。


「ほんとっすね。どうやらおれは『2Pカラー』の連中をボコりたい一心が凝り固まって、ぜんぜん自分らしいプレイができていなかったみたいっす」

「そうよ。別斗くん以前云ってたじゃない、ゲームは楽しんでやるものだって。どんなときでも楽しんでプレイすることがゲームの真髄だとわたくしも思っているわ。そうすることで攻略の糸口が見つかることもあるわよ、きっと」

「ありがとうございます。なんだかイケそうな気がしてきました」


 それはデタラメでもウソでもない。こうしてソソミに励まされると、不可能なことでも可能にできるような、自分自身でも気づかなかった潜在的能力によって実現できる気概が満ち満ちてくるのだ。別斗とソソミのスパン40センチのフェイス・トゥ・フェイス。ふいに目と目が相通じ、束の間そこにカノンの旋律が流れ出した。何層もの音のないヴァイオリンの構成が互いの視線を行ったり来たり、当人らにしかわかり得ぬ拍で律動していく。状況が違えば週末の公園や日差しの程よい海岸線ででも堪能したい優雅なひとときだったが、残念ながら今は対戦の真っ最中である。

 青春を謳歌する青く気高き二重奏は、ひとりの大人によって水を差された。

 ババア。まごうことなき年増女の嫌みでもってケチをつけてきた。


「攻略の糸口だって? なに云ってんだい、バーロウの裏技〈愚者の黒霧ブラックアウト〉はそう簡単に破れるもんじゃあないよ」

「確かに。弟さんの能力は目を瞠るものがあるわ。でも、この世に不可能なことなどなにもない。絶体絶命のピンチでも、諦めなければチャンスは必ず巡ってくるものよ」

「ケッ、気に入らないねえ!」


 琴線にでも触れたのか、ババアが突然大声で吐き捨てた。


「あんたのそのお利口さんな姿勢は反吐が出る。さすが良いとこのお嬢ちゃんだねえ。あんたは今までトライすりゃなんでもできる人生だったかもしれねえが、それは家柄に恵まれているだけ、泣けば誰かが慰めてくれるし、困っていれば手を差し伸べてくれる。そういう環境にいられただけなのを、さも自分の力で成したと勘違いして、いい気なもんだ」

「そういう批判は少なからず浴びせられてきたのを自覚しているわ。だからわたくしは自分の境遇を鼻にかけたことはないのよ」

「先輩、あんなババアの云うことなんて聞かないほうがいいですよ。ただのやっかみでしょうから」


 あすくのご忠告も、火に油を注いだだけだった。


「ほーら、さっそくナイト様が守りにきてくだすった。あんたはそうやって保護されてんだよ。それに」


 ババアの饒舌止まることをしらない。


「さっきのゲップ、あれはなんだい? 〈自分はちょっと品のないことをしても許されるんです〉とでも云いたげな、見え透いた行為じゃないか。ゲップしても嫌がられないとわかっててやってるわけだ。〈ゲップしても可愛さ損ねないアテクシ最高でしょ〉ってか? たいした自信じゃあないか。あたしゃ羨ましくって涙が出てくるよ」


 自分より30歳以上は年下のソソミのなにが気に入らないのか、いや気に入らない理由は大方察せられるが、こうまで敵意剥き出しになるほど拗らせているのかと、別斗ちょっとババアを憐れに思った。隣の桜花も若干引いているではないか。

 感心なのは、当のソソミが少しも堪えていないことだった。


「云いたいひとには云わせておけばいいのよ」


 それより別斗くん。まるで相手にしない様子は見事なものだ。


「気持ちは落ち着いたかしら?」

「おかげさまで、ごちそうさまっす。でも今回はちっとも打開策が浮かびませんね」

「焦っては駄目よ。熱くなるとどうしても視野が狭くなってしまうから、周囲に気を配る冷静さが必要だわ」


 まったく、ソソミの云う通りだと思う。集中するのはいいが、しすぎると一点狭小になってしまう。野球のピッチングと一緒で、良いプレイには緩急が肝要なのだ。

 別斗は強張った肩肘を弛緩させ、首をコキコキと左右に運動させる。そのままぐるぐると回す運動も加えてひと息つき、部屋のそこかしこにあるバーロウのコレクションを眺める。

 そうして、とある一品に目が止まった。

 片隅にあるキャビネットの上にラジコンカーが飾られている。そのラジコンカーは青を基調とした塗装に白のラインが鮮やかなスポーツタイプのデザインで、リアウイング部分に『Vaillante』の文字が印刷されていたのだが。

 それを発見した別斗、まさに雷に打たれたかのごとく閃きに身を貫かれた。途端、云い知れぬ愉悦が溢れ落ちてしまう。


「どうした、別斗。急に笑い出して」

「なにがそんなにおかしいの~?」


 きょとんとした顔で別斗を覗き込むジャレ子&あすくコンビ。


「いやあ、なに。おまえら『ミシェル・ヴァイヨン』を知ってるかなあと思ってね」


 目をパチクリさせながら顔を見合わせただけの2人に代わり、ソソミが受け答える。


「フランスの人気コミックのタイトルね。アニメ化や実写映画化もされたことのある」

「そうっす。カーレースの世界で活躍する架空の財閥を描いた漫画なんすけど、その実写映画にこんなワンシーンがあるんすよ」


 別斗の云うワンシーンとは、2003年にリュック・ベッソン監督のもと制作されたもので、


「主人公のミシェル・ヴァイヨンがサーキット場を目隠ししながら運転するんす。『おれは昔から何度もこのサーキットを走ってる。だから見なくとも次のコーナーまでの距離や角度を正確に把握して走ることができる』ってね」


 その言葉の真意を読み解き、ソソミが切れ長の目を大きくさせる。


「それは別斗くん、自分も画面を見ずにプレイが可能だということ?」

「そういうことっすね」

「確かにテレビを消した状態でプレイするのが一番の解決策だけれど、いったいどうやって?」

「まあ見ててください。そのかわり協力してほしいっす。おれがプレイしている間、なるべく話しかけないでください」

「黙ってればいいのか?」


 と、あすく。


「ああ、特におまえらはうるせえから、リアクションとか取るんじゃねえぞ」


 ぴしゃりと云いつけられて不満顔のジャレ子だったが、別斗が勝つためならばとしぶしぶ了承、


「負けたら承知しないからね~」


 パイ乗せ腕組みでそっぽを向く。

 さて。

 テレビの前では、落ちついて座椅子に座っていられないバーロウがせわしなく巨体を揺すっている。


「いつまで待たせるんだどー。作戦タイムがちょっと長すぎるどー」

「リプレイ検証に時間を割くと試合時間の長期化に繋がる。野球が昨今抱えている問題を如実に表すようだね」


 イミフな言葉で急かしつける姉弟だが、いささか放ったらかしなのも事実だ。


「わりーな、準備OKだ。試合を再開しようぜ」


 別斗も席へ戻り、2コンを握る。


「なにを企んでいるのかは知らねえが、もはやバーロウの勝利は確実だ。いいかいバーロウ、おまえの裏技〈愚者の黒霧ブラックアウト〉で完膚なきまで叩きのめしてやりな」


 うしろで騒ぐババアをけったい悪く思いながら別斗、


「おっと、その前にピッチャー交代だ」


 疲労感MAXの『えんど』から2番手『かけはた』にスイッチする。いくら『えんど』と云えど体力を失っては『かけはた』より劣る。これは定石だが、先の別斗はそれに思い至らないほどパニックになっていたのだ。

 この交代は功を奏した。元気な『かけはた』、速球をコースへ投げ分け、見事に三者三振を奪う。途中バーロウが〈愚者の黒霧ブラックアウト〉で妨害してきたが、不意打ちをすでに食らった別斗は難なく対処。打たれなければ効果は発揮しない。スリーアウト、チェンジ。今度は別斗の反撃だ。

 6回裏。奇しくもこちらも打順は一番『やしき』から。彼が出塁してかき回すことが、俊足揃いであるWチームの本領となるだろう。

 対してGチームのバーロウ、この回からピッチャーを『えがわ』から『まきはら』に交代させた。『えがわ』も能力の高いピッチャーだが、試合も中盤ということでスタミナの底が見え始めている。交代は正解だろう。まして『まきはら』は剛速球がウリの投手。そのピッチングとバーロウの裏技〈愚者の黒霧ブラックアウト〉とを合わせれば、攻略するのは至難の技になるはずである。

 別斗の予想は的中した。


「ミャアーッ!」


 とバーロウ奇声を発し、1球目と2球目の投球時にテレビを消す。バットを振らず、様子を見て正解だった。カウントは1-1。1球目はストライクだったが、2球目はバーロウがスイングを警戒したらしく、ボール球を放ったようだ。

 別斗、誰にもわからぬ加減で小さく笑みをこぼす。この2度の投球で、裏技〈愚者の黒霧ブラックアウト〉の片鱗が見えたのだ。


「バーロウさん、おれ3球目はスイングするぜ」


 この宣言にバーロウは暗がりで「わっ」と驚かされたような反応を見せる。


「な、なんでだどー? なんでそんなこと、云うんだどー?」

「バーロウ、慌てるんじゃないよ! ただの陽動作戦だ。頭が弱いおまえを混乱させようとしているだけなんだ。なんにも考える必要はないんだよ!」

「ねえちゃん、どうすればいいんだどー?」

「どうもこうもないよ、普通にプレイしな!」


 3球目、今度は〈愚者の黒霧ブラックアウト〉を使用しなかった。スイングすると宣言した別斗を警戒して、オーソドックスに外角へ外す。

 別斗、宣言とは裏腹にバットを振らず。


「ウ、ウソは駄目なんだどー、ウソつきは前科者の始まりなんだどー!」


 バーロウの叱責。それも当然、振ると云って振らなかったのだから。1ボール得をした形になった。

 しかし、なにも別斗はカウントを有利にしたくてそんな小細工を施したわけではない。それにはある意味このゲームの行方を決定づける、重大な仕組みを確認するための布石だったのだ。


「バーロウさん、今の1球であんたの裏技の弱点がわかったぜ」


 この断言に、今度は凶子も驚く。


「弱点だって? このクソガキ、今バーロウは裏技を発動させなかったんだ。なのに、いったいなぜ〈愚者の黒霧ブラックアウト〉の弱点を知ったって云うんだい!?」


 更年期のイライラをもろに具現化したような捲し立てとは反比例に、別斗は落ち着きを高めていく。


「そう、バーロウさんは〈愚者の黒霧ブラックアウト〉でテレビを消さなかった。おれが宣言通りスイングするかどうか確認するためだろう。、わかった」


 別斗あえてのためを作り、焦れったさを煽る。たっぷり5秒は間を持たせ、二の句を告げた。


「あんたはテレビを自在に消灯できる。でも、消した状態では他人と同様、プレイすることはできない。あんたもテレビの消えた状態でゲームができないことに変わりはないってことさ」

「そ、そうか! つまり消せる能力はあるけど、確認するためには必ず目視しなきゃならないんだ!」


 黙ってろと云われたあすく、出しゃばりであるがゆえに口をねじ曲げて声を荒げてしまった。


「そ、それがどうしたっていうんだい! どっちみちテレビを消されちゃあ、てめえもプレイは不可能なんだ。状況が変わるわけじゃあねえだろうが!!」


 わかりやすいババアの地団駄、このリアクションによって別斗は完全にこの場を制する自信を得た。


「なら試してみるか? おれがテレビを消された状態で本当にプレイできないかどうか」


 憎らしいほどの自信を覗かせ、別斗はあすくに視線の圧を飛ばす。今度は黙ってろよ。口元に指で作った×を当てるあすくに殺意を覚えながら、別斗はテレビに向き直った。


「さあ、試合を再開しようぜ。このゲームを支配しているのは、おれだ!」


 全員が水を打ったように静まる中、高らかに別斗の確信が炸裂する!

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