PM22:40 嫉妬は甘く苦い果実

 イスハット近郊、北海。

 白大蛇撃退の功績を近衛騎士団と第五騎士団に奪われた第一騎士団は、白大蛇の遺骸を確認するべく灰竜に騎乗し、イオス-シス大橋の真下に位置する北海上空を飛行していた。

 集められた第一騎士団精鋭十人の中には、アダムの姿がある。若手有望株として第一騎士団上層部から期待をかけられていたが、当のアダムは流氷に覆われた海面をぼんやりと眺めるばかりで上の空だった。


 アダムの意識は未だ先刻の戦いの中に在る。白大蛇を撃墜した橋上の戦いは、この先何十年、否。死ぬまで語り継げるほどの激闘だった。あの場に立ち会い、生き証人になれたことが誇らしい。見逃したクリスティアルは本当に気の毒だと思う。

 思い出せば心が浮き立つ反面、もう二度とディーンと共に戦う機会は無いだろうと思うと、虚しさがじわじわと胸を侵食する。


 ――俺が、近衛騎士だったなら。


 背中を凍らされ意識朦朧としながらも、クリスティアルは囮の役目を果たした。彼を乗せた白馬がイオス島に滑り込んだ瞬間、樹魔法の使い手であるセシル家の兄弟が白大蛇の眼前に巨大な落とし格子のような柵を立てて侵入を阻んだ。


 白大蛇が怯んだ一瞬、フィリアスの炎が木柵を燃料に激しく燃え上がり、ディーンの風が炎を煽って筒状になった橋の結界の中を駆け巡る。イオス島とシス島の間に炎の橋が架り、白大蛇の巨体は猛火に包まれながら暗い夜の底へと落ちていった。


 当代一の火魔法の使い手フィリアスと、風魔法の使い手ディーンの寸分違わぬ連携は鮮やかで、胸が熱くなったのはアダムだけではなかっただろう。その戦いを目撃したシュセイルの民は皆、きっとこう思ったはずだ。


『やはり、王太子はフィリアス卿か第二王子ディーン殿下のどちらかしかあり得ない。あのお二人ならば、どちらが王になっても、このシュセイルを守護し、新たな戦神となるだろう』と。


 フィリアスがそこまで読んでいたかは分からない。だが結果的に世論は二人にとって良い方向へと向かっている。

 アダムの家門イェンセン子爵家は、現在の王妃イヴリーンの子、第三王子イサークを支援している。アダムが敬愛するディーンとは、本来は政敵の関係だ。しかし、近いうちにアダムが家督を継ぐので、それは父の代で終わるだろう。


 ディーンが世論を味方に付けた今こそが、忠誠を誓う絶好の機会かもしれない。主人変えは騎士の御法度だが、ディーンは受け入れてくれるだろうか? 物思いに沈むアダムの耳に、前を飛ぶ先輩騎士たちの軽薄な発言が飛び込んだ。


「それにしても凄かったなー。あんなに強いなら、最初から近衛だけで良かったんじゃないか?」

「ははっ! もっと早く解決できてたりしてな!」


 アダムは顔を顰めて、バレないように小さく舌打ちする。

 騎士としての矜持はどこへやら。第一騎士団の中に、手柄を取られたことに対して屈辱を覚えた者が何名居ただろうか? 近衛騎士団よりも先に解決してやろうという気概のある者が何名居ただろうか? 仕事が減って良かったと思う者の方が多かったに違いない。


 いい加減な仕事でみすみす手柄を奪われて、笑っていられる気がしれない。野心を持て余すアダムには、この第一騎士団の気風が酷く退屈に思えた。


 ――俺が、あいつだったなら。もっと殿下のお役に立てたはずだ。


 あの白竜が雪女の正体だったら、証拠隠滅を図ったとしてクリスティアルを糾弾するつもりだった。アダムが拾った鱗は本当は四枚で、二人に見せなかった残りの一枚は、アダムが大事に保管していたので、それを使ってクリスティアルを追い落とそうと考えていたのだ。


 しかし、白竜は雪女ではなかった。そればかりか、よりによってアダムとディーンの最大のピンチを救ってくれたのが、白竜に乗ったクリスティアルという不運。野心に燃えていても、命を救われた恩義を忘れるほどアダムは腐ってはいなかった。


 ――忌々しい。あのお人好しには呆れる。


 アダムがこれほど敵対心を露わにしても、クリスティアルは頓着せず、彼の剣技の如くひらりと軽やかに躱すのだろう。相手にされていない。けれど、嫌いになりきれない。憎みきれない。そんな自分に腹が立つ。

 どうにもやりきれなくて、アダムは突然声にならない唸り声を上げ、髪をぐしゃぐしゃと掻き回し始めた。同じ部隊の騎士たちはアダムの奇行に特に何も言わなかったが、ほんの少しだけ灰竜の飛ぶ間隔を広げたのだった。





 手がかりが見つからないまま、時刻は深夜帯へと入った。つい先刻まで軽口を叩いていた同僚たちも寒さと疲労が堪えるのだろう、口を開く者は誰も居ない。

 白大蛇は海の底に沈んだ可能性が高いが、これまで氷が割れた形跡は発見できなかった。眼下にはただ茫漠とした白氷の海が続くばかりで、時間だけが過ぎていく。


 捜索部隊は海面から盛り上がった氷山の上に着陸して、隊長以下幹部が現在地の報告と捜索範囲の確認を始めた。イオス島の影に位置するこの海域は、真夏の昼間でも薄暗く、一年中流氷が浮く極寒の海だ。騎士たちの周りを寒さに強い灰竜が囲んで風を防いでくれるが、睫毛が凍るほどの寒さは容赦無く体力を奪っていく。


「今夜はもう竜を休ませて、明るくなってから出直そう。明日は捜査範囲を拡げてエア島の方まで飛ぶ」


 真冬のこの時期は昼間の時間は短く、島の真下なので明るいとは言えないだろうが、これ以上捜索しても有益な情報は見つからないだろう。竜の前に人間が参っているので、隊長の宣言に否やを唱える者は居なかった。

 捜索部隊は再び灰竜に騎乗し、現在地から一番近い入り江に向かって飛び始める。そうして二十分ほど飛んだあたりだろうか、前方に陸地が見えてきた頃、俄かに先頭の騎士たちが騒ぎ始めた。


「おい、あれ……クジラ……にしてもデカ過ぎるよな?」

「あれは!? た、隊長! 浜辺に黒い何かが!」


 流氷の海と砂浜を分けるように、黒い塊が入り江の湾に沿って転がっていた。隊長がハンドサインで指示を飛ばす。捜索部隊は各々武器を手に戦闘体制を整えると、右に三騎、左に三騎回り込んだ。最後尾に居たアダムは隊長と共に正面から謎の塊に接近する。


「うっ……すごい臭いだな。鼻が曲がりそうだ」


 風に乗って凄まじい悪臭が届いた。生臭い獣の腐敗臭に、焼け焦げた臭いが混じって少し吸い込んだだけで、眼や喉の粘膜が悲鳴を上げる。隊長が黒い塊の先端に照明石を投げると、左右に回り込んだ騎士たちも照明石を投げた。

 風船が割れるような軽い破裂音と共に光が塊を照らし出す。塊の全貌が見えると、捜索部隊は入り江に着陸した。


「隊長、これは流石にもう生きてはいないでしょう」

「そうだな……23:50、白大蛇の死骸を確認。だいぶ香ばしいが、何か証拠を持ち帰らないとな」


 表面が黒く焼け焦げて、未だブスブスと煙が上がっている。この状態で生きていることは考え難い。しかし、アダムは言い知れぬ不安に剣の柄から手を離すことはできなかった。


「……本当に、死んでいるのですか? 何か、嫌な感じがするのですが……」


 他の隊員が剣先で死骸と思しき塊をつついたりする中、アダムはやや離れた場所から動けないでいた。貴族出身のせいか、いつもお高くとまって周囲を見下しているように見えるアダムが弱気を見せたことが珍しかったのだろう。他の隊員たちから失笑が漏れた。


「なんだよ、いつもの偉そうな態度はどうした?」

「おいおいアダム卿、久しぶりに喋ったかと思えば、大公閣下みたいな事を言わないでくれ」


 隊長は呆れた顔で、炭化した死骸に刃を入れる。切り取って革袋に詰めると口を縛って密封した。


「あれ? 隊長、大公閣下とお知り合いなんですか?」

「知り合いってわけじゃないが、長く騎士をしていると関わることもあるのさ。俺が会ったことがあるのは今の大公だが、あの青い眼の一族は、そういう勘が鋭いんだ。――嫌な予感を外したことがない」


 隊長はそう言って死骸に背を向け、アダムに振り返ると、革袋を投げて寄越した。アダムが革袋を受け止めた衝撃で、ぷすっと空気が抜けて異臭が強まる。側に居た灰竜たちがピイピイ鳴きながら暴れるので、落ち着かせようと死骸から眼を離したその時。地響きを立てて死骸が内側から崩壊した。空気が抜けて砂浜にぺたりと張り付く様はまるで……。


「抜け殻!? 焼けた皮を脱いだのか?」

「それじゃあ、白大蛇はまだ生きてるってことか……」


 騒然となる騎士たちの足元、黒い抜け殻と砂浜の間に光る何かを見た瞬間、アダムは革袋を放って走り出していた。盛り上がった砂の中から白蛇が飛び出し、背を向けていた騎士に襲いかかったが、間一髪、アダムの剣が頭を斬り落として事なきを得た。

 しかし抜け殻から出てきた蛇は一体だけではなかった。砂浜が不自然に盛り上がり、無数の白蛇が這い出して逃げる騎士たちに襲いかかる。


「退却だ! 全員竜に乗れ!!」


 隊長の声に弾かれ、騎士たちは灰竜の元に走った。咬まれ、巻き付かれた仲間を助け出し、なんとか全員で空に逃れたのだが、その夜帰還した騎士は誰も居なかった。

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