冬のクライマックス
子供の頃、あるいは十代のころ。もっとも心躍る冬のイベントは、クリスマスだった。
これにはむろん理由があって、おそらく初めはケーキだとか、一年のうちの僅かな期間しか出してもらえない偽物のモミの木だとか、きらきらしたイルミネーションだとか、あの赤い服で尋常でない量のヒゲをたくわえたお爺さんのせいである。どういうわけだか日本の家庭に強く浸透したそれは浸透のわりにやっぱり非日常で、子供からしてみたら面白い。少なくとも、自分はそうだった。
一年のうちにケーキの暴食が許されるチャンスは二回。ひとつは己が誕生日と、クリスマスなのである。目ざとい小学生がこれを逃すわけがない。
そのうちティーンエイジャーになると、少しずつクリスマスの意味が変化する。家族でクリスマスから友達とクリスマスになり、最終的には恋人とクリスマス、になるのである。
年末年始は家族と過ごさねばならないという不文律のあった我が家では、三姉妹が心血を注ぐのは決まってクリスマスである。
クリスマス(とくにイブ)を自宅で過ごすような惨めな真似は許されないとばかりに、姉たちは師走に入ったとたんに髪やら肌やらの手入れを始め、新しいワンピースに腕を通し、クリスマス限定コフレを買うのである。気合いが入り過ぎていて逆に怖い。 ワンピースなんて男からしたら脱がしにくいことこの上ない装いなのでは、というコメントは、一度も使ったことがない。
年の離れた姉たちは綺麗に着飾って、二十四日の昼ごろになると忽然と姿を消した。ご帰宅あそばすのはだいたい、イエスキリストが厩で誕生なさった後である。
そんな姉たちを見て育ったにもかかわらず、私はそんな蕩けたクリスマスを味わったことがない。ケーキの暴食という目的は、未だに細々と続いている。もう働いてるし、ホールのケーキなんていつでも買えるし好きなものを買えるのに。
そうしていつの間にか、冬のクライマックスはクリスマスではなくなった。十二月になった途端、お正月の支度が山のようにやってくるからである。
年末年始の進物に始まり、帰省の手土産、甥姪へのお年玉、お蕎麦の予約。大掃除の予定を立て、自分の仕事納めを睨みつつ必要なものを! すべて! 頑張って! 年賀状も忘れずに期日までに投函! 大河ドラマの総集編を観ながら掃除なんかしてたら、実家に帰れない!
気分はもう戦争。
言い過ぎた。
でもまあ、こんな具合で師走はあっという間に去っていく。本当に一瞬である。
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