第四話 女王の代理人
「いやあ、
怪我で動けない
改めて警察署の接待室に呼ばれたキームンは女性の
署長の隣に立つ副署長が、長々とした挨拶の次に笑顔でそう告げても、別段、彼女は嬉しそうではなかった。
「単刀直入に言わせてもらうけど、黒蛇の彼らの話では、署長、あなたは彼等から
意表をつかれ、ピクっと署長の顔からは笑顔が消えた。
切長の緑がかった青い瞳が、鋭くなる。
「まったく、腐ってるわ。警察がそんなだからマフィアがのさばり、今や力のない市民はマフィアにチンピラから身を守ってもらってたり、マフィア同士の抗争に巻き込まれたりしてるのよ」
この女性が本当にここ上海にのさばる二代マフィアの一つである
笑顔の奥に疑わしい目を忍ばせた署長の顔色をうかがってから、副署長は機嫌を取るように取り繕って再び笑った。
「お、お言葉ですが、お嬢さん、マフィアをうまく利用し、立ち回れば、凶悪犯罪を起こさせないことだって出来るし、情報提供もしてもらえる。結果、都市の治安も保たれるわけですよ」
「あら、開き直り? この上海を『都市』ね、『魔都』って呼ばれてるけれどね」
「なんだと?」
「き、きみ! いくらなんでも失礼ではないかね!」
署長はあからさまに気に入らない目を向け、副署長が慌てている。
煙管をくわえ、煙を吐き出したキームンは小首を傾げ、微笑みから不敵な笑顔へと変わる。
「さっきから、あたしが黒豹を倒したなんて、信じられないってカオしてるわね。もう一つの古参マフィア、
署長からはとうに笑顔が消え、副署長の顔は青ざめていく。
それを確認しながらも、キームンの態度は変わらなかった。
ソファで青い
「いったい、なんのためにそこまで……?」
「は? 何を言ってるのかしら?」
あっけらかんとした表情で、副署長に応える。
「あなたたちがマフィアから賄賂を受け取っていて、アヘンをはじめとする麻薬の売買が公然と行われてきているのは、街中に知れ渡っているのよ。心身ともに病んでく民が増え、マフィアたちが横行して民が恐怖に震えてるんだから、それだけで十分排除する理由にはなると思うけど? 本来なら警察の役目だけど、果たして警察は今、機能してると言えるのかしら?」
署長の目が吊り上がるのを横で確認した副署長が、声を荒げた。
「け、警察を侮辱するのか?」
「
「言っておくけど」
キームンが立ち上がり、高い位置から彼らを見下ろし、署長の制服に数多く付けられている勲章を、冷めた目で見つめた。
「治外法権よ。あなたたちは、あたしを逮捕は出来ない。お忘れ? あたしのバックには女王がついてるのよ」
首元から金色のチェーンを引き上げ、ペンダントになっているロケットを開けた。
「!! ま、まさか、お前は……!」
「女王の
英語の筆記体で証明が刻印された金の板がはめ込まれている。
「これは、女王の代理としての権限を許されたものだけが持つものよ」
ぱちっとロケットを閉じ、アオザイの首元に戻す。
「フランス租界にいるからフランス人だとばかり思っていたが……イギリス人だったとは……!」
「あら、言わなかったかしら? あたし、はじめはイギリス租界に住んでたのよ」
副署長がうつむき、隣の署長を見ると、一気に青ざめた顔で愕然とその場に立ち尽くしていた。
***
「まったく、そんなこと言ったなんて……!」
茶荘の支配人室にはフランスの家具調度品が置かれ、書斎テーブルの曲線で作られた椅子に腰掛けたキームンを、立ち上がって見つめる東方美人が呆れた。
「僕がイギリス出身なのは本当だし、女王に仕える身であることも、まったくの嘘じゃないよ」
男の姿に戻っている彼が、首から下げていたロケットを開けて見せる。
東方美人が横目でそれを見やる。
「……それ、本物のヴィクトリア女王のサインじゃないでしょう? スペルがクイーン・ヴィクトレアになってるわ。つまり偽物」
キームンが笑い出し、ますます呆れた顔で東方美人が見つめる。
「さすが、東インド会社ともちょこちょこやり取りしてるだけあって、抜け目ないね! 僕にヒントをくれたのは姐さんだもんね? 東方美人」
はあ、と東方美人がため息をついた。
「いったい何を考えてるの? 本当に『
「それだけじゃ、あの人に会えない」
キームンの静かな口調に、東方美人は口をつぐんだ。
「警察上層部の人を捕まえて、お金を渡して聞いてみたんだ。今、この国『中華界』で、最も凶悪な犯罪組織はどこか。そして、その
「ちょっと……! あなたまでそんなマネをするの!?」
「女の姿で脚組んで、ちょっと笑って、お金と宝石も追加してあげたら、喜んで教えてくれたよ」
あはは、と無邪気に笑う弟分の顔を、呆れて見つめる。
「……まさか色仕掛けまで覚えてたなんて」
「ひどいな! そんなことしてないよ!」
少年のように頬を膨らませたキームンは、心外だという顔になった。
「僕が女装してる理由はわかってるでしょ? 男を騙すためじゃないよ。ましてや、男が好きなわけでもない」
「わかってるわ。知ってるからこそ、驚いただけ」
東方美人に手を引かれて彼がイギリス租界に現れたのは、ほんの五、六歳の頃だった。
白い肌に金髪碧眼の美少年の将来は、さぞ美しく育つであろうとは誰にでも予想がついた。
彼が成長するとともに伸びていった輝く髪と、透明感のある神秘的な碧い瞳に、控えめな笑顔。
社交界の華やかな出立ちの女たちが互いを牽制し、出し抜き、誰が彼を手に入れるかを競った。
金品をチラつかせた女に付きまとわれたこともあれば、彼の意に反して襲われそうになったこともあった。
そのような女たちも、少女やか弱い者を囲う男たちと同じく普段から横暴なやり方で男たちをからかったり、殴り、虐げるところも見てきた彼にとっては、幼い頃から「中華界にいる女性は怖いもの」と擦り込まれてきたようなものだった。
イギリス租界を脱出してフランス租界になんとか潜りこんだ後は、会得していた
その手解きも煙の技も、幼い頃一緒にいた「あの人」が教えてくれたことを覚えている。
物心ついたときから綺麗なもの、美しいものには興味があった。
身を守るための女装ではあったが、服や装飾品、煙管や茶器の柄にも目が行くようになった。
「あの頃はモテモテだったわよねぇ、お金持ちの中華女性にも西洋女性にも」
東方美人がからかうような笑顔でのぞきこんだ。
「あー、もう、思い出したくもなかったのに」
少年のようにむくれた顔になると、ふかふかの背もたれにそっくりかえり、吸わずにはいられないと言わんばかりにキームンは煙管を吹かした。
「それで、聞かせてくれない? 警官にお金その他をつかませて得たことを。凶悪な犯罪組織とそのボスって?」
真面目な表情になった東方美人を、キームンはチラッと横目で見た。
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