転生した猫である 〜名前はまだ無い〜

久方

第1話 吾輩は猫である

ーーーー吾輩は猫である。



 名前は……  忘れちまった。


 クズみたいな人生であるがして孤独死してしまった吾輩は、気がつくと広い草原で一匹、お日様の光にポカポカと包まれている中で意識を取り戻した。


 そして、今現在の吾輩は、ボロ雑巾の様に汚い黒猫である。



 ◆



 時は遡ること、吾輩が目を覚ました日。


 寝ぼけていて思考がまとまらず、目を擦ろうと顔を触る。


 ムニッ! んん!?


 その柔らかさ、そして弾力のある掌、焦る眼差しで自分の手を確認した。


 まさかであった、よく見たことのあるシルエットに、柔らかい肉球、モフモフの毛、まさに猫の手だ。


 仰天する。


 吾輩は、近くに湖があるのを確認したので走って湖を目指す。


 それがなんの、驚くぐらい足が速いのだ。


 それでいて、視点が地面に近く視界がぐちゃぐちゃで気分が悪くなった。


 もう八割方覚悟はしているのだが、この目で見るまでは信じられないのである。


 湖に着いた吾輩は、自分の姿を水面に映した。


 …… 黒猫である。


 無愛想な顔、やる気のない目、そして痩せ細っている、見たままのガリガリだ。


 どうして吾輩が猫になっているのか検討もつかないが、どうせならもっと可愛い猫、そうアメリカンショートヘアの様な愛くるしい猫になりたかった。


 そんなことを考えていると、段々と記憶が蘇ってくる。


 吾輩は、クソの様な人生を送ってきた。


 誰にも評価されず、ダチもいなけりゃ金すらない。


 そして一人、自宅のワンルームで孤独に死んでいった。


 世間を呪いながら死んだはずなのに、今は黒猫である。


 だが妙なことに、それ以外の自分のことは思い出せないのだが、軽い記憶喪失でもしているのだろうか?


 自分が過去に何をしていたのか、名前さえ思い出せない。


 そうか吾輩は、猫として転生してしまったのだろう。


 何の目的も無いままに。


 そうと分かった吾輩は、開き直ることにした。


 走り回るには快晴で暖かく、散歩をするには絶好の日であろうとルンルン気分で駆け出して行った。


 恐らく昼過ぎであると思うのだが、急に空が真っ黒くなってきた。


 曇天である。


 早く逃げないと雨が降ってきてしまう。


 モタモタしていると、頭上に一羽の大型の鳥が吾輩に睨みを効かせている。


 鷹か? 鷲か? 分からない。


 疑問を抱いていると大型の鳥は吾輩の方まで急降下し、攻撃を仕掛けてきた。


 右に左にと、その鋭いクチバシで猫の身体に傷をつける。


 もう我慢ならない。


 「ニャー!!!!」


 激しい威嚇で鳥を怯ませて吾輩は、必死をこき逃げ出した。


 すると、雨が降ってきた。


 その雨粒は最初は小さかったのだが、次第に大降りになり雷まで鳴り出した。


 雨宿りをする屋根もなく、怪我を負った患部に泥水がかかる。


 そして時を戻すこと吾輩は、ボロ雑巾の様に汚い黒猫である。


 もう歩く力もない、腹が減った、身体が冷たくなっていく。


 そうか吾輩は、猫になったところで無様に死んでしまうのだなと無力さを思い知る。


 ーーーー幸せに…… なりたかった……


 そう言い残し吾輩は、その場で力尽きてしまった。



 ◆



 暖かい。


 雨の感触すらもないが、死んでしまったのだろうか?


 目が覚めて辺りを見渡すと、そこには暖炉やテーブルがある。


 吾輩の身体を見ると、怪我をした所に包帯が巻かれている。


 もしかして、誰かが吾輩のことを拾ってくれたのだろうか?

そして、手当までして暖かい毛布まで掛けてくれている。


 すると、誰かが吾輩に声をかけてきた。


 「あら、黒猫さん!? もう目が覚めたの? 回復が早くて嬉しいわ」


 それは、大人しめの女性であった。


 背丈はそこまで高くなく、十代半ばぐらいの年齢。


 髪は綺麗な銀髪で、白が主体のドレスに、大きな丸いレンズの眼鏡をかけていた。


 それでいて、美人なのである。


 「黒猫さん、元気出たかしら?」


 「ありがとうニャン、助かったニャン!」


 ーー え?

 ーー え?


 新事実を発見してしまった。


 どうやら言葉を喋れるらしい! そして、嫌な現実。


 いい年こいて何がニャンだふざけるな! 


 と、言いたいがどうやら吾輩は、語尾にニャンをつけないと喋れないらしい。


 紛れもない呪いである、畜生め!


 「うぉぉ! 吾輩喋ってるニャン! どうしてニャン!」


 「すごーい! 黒猫さん喋れるのね! 楽しくなっちゃった」


 「全然楽しくないニャン! 恥ずかしすぎるニャン!」


 「なんでぇ? 黒猫さん可愛いわよ?」


 可愛い…… だと!?


 生涯初めて言われたかもしれん言葉であった。


 嬉しくて、頬が緩む。


 でも、この娘も大概おかしいのかも知れない。


 普通、死にかけの猫を拾うだろうか? まぁ百歩譲ってお人好しだったとしよう。


 でも、喋る猫だぞ? 気味悪るがって捨てそうなものだがな、と吾輩は考えてしまう。


 「吾輩のことが怖くないのかニャン? 猫が喋るニャンて……」


 「全然怖くなんかないわ むしろ黒猫さんに会えて嬉しいもの!」


 「会えて嬉しいニャンて絶対嘘ニャン! 猫なんて何処にでもいるニャン!」


 「嘘じゃないわ! 私はね、黒猫は幸福を運ぶ使者なんじゃないかと考えているのよ 忌み嫌われる存在じゃないって信じてる! だから私は、黒猫さんに会えて嬉しいわ」


 凄い自論だと思った。


 話しを聞くとこの国では、黒猫は忌み嫌われる存在で、見つけたら殺せとか、石を投げろとか、不遇な扱いをされるらしい。


 死神の使者なのではないかとの、言い伝えらしい。


 そのせいか黒猫は、絶滅に近い存在であるらしく吾輩みたいな猫は、レアリティが高いみたいだ。


 で、この娘はその吾輩を、幸福を運ぶ使者だと言ってくる。


 「根拠がないニャン! 吾輩は、死にかけの黒猫! それだけニャン!」


 「根拠はあるわ! 私、黒猫さんに会えてすっごく幸せなの これってあなたが運んで来た幸福なのよ? 私ね、猫は好きだけど黒猫さんの方が大好きなの あんなに可愛いのに黒猫を虐める奴らがゆるせないんだ だから私は証明するの 黒猫さんと私たちは誰よりも幸せだって胸を張って言うために! だからお願い、私のペットになって!」


 吾輩も思う。


 幸せになりたかったと。


 この娘も、もしかしたら人生において不満があるのかも知れない。


 「分かったニャン! 嬢ちゃんのペットになってやるニャン しっかり養うニャン!」


 「分かりましたよ黒猫さん ところで黒猫さんは名前があるの?」


 名前、そう名前である。


 これっぽっちも思い出せないがどうしたものか…


 「吾輩は、記憶がなくて名前が思い出せないニャン でも、絶対にあるはずなんだニャン!」


 「そうなんだ、だったら私と旅をしない? 黒猫さんと旅をするの、私の憧れだったの! 一緒に黒猫さんの記憶探しもやらない?」


 嬢ちゃんと旅か…… どうせすることもない吾輩はどうせならと肯定したくなる。


 「いいのかニャン? 吾輩は死神の使者なんだろニャン? そんな奴と旅ニャンてしたら、嬢ちゃんが危ないニャン」


 「いいに決まってるじゃない それと! 私の名前はセレナよ 覚えておいて! 黒猫さんは、幸福を運ぶ使者なの 旅先で人助けをして行きましょう! そうすれば皆の誤解は解けるわ! 黒猫さんは神聖で、尊くて、そして可愛いのだから」


 そこまで言われては、もう後にも引けない。


 「分かったニャン 着いていくニャンよ」


 「ありがとう! 黒猫さん! 急いで準備しなくっちゃ!」


 そうして吾輩の傷が癒えた頃、吾輩とセレナは人を助けるボランティアと、吾輩の失った記憶を取り戻す為に、一匹の黒猫とお嬢ちゃんのセレナは、旅に出るのであった。



 ◆


 ーーーー吾輩は猫である


 名前は今現在セレナと旅をしていて、記憶を取り戻す為に模索している最中だ。


 そして吾輩は、セレナのバッグに爪を引っ掛けて昼寝をしている自由な黒猫である。


 「着きましたよ! 今日はここの手伝いをしましょう」


 着いた場所は、病院? なんだろうか。


 どうやら、医療を処置する場所の様だ。


 古い建物で年季が入っている。


 「ここでなにをするニャン?」


 「ここには、病状があまり良くない患者がいるのよ まぁ、介護だったり、お世話だったり様々なことをしましょう!」


 「分かったニャン 任せろニャン!」


 そうして、吾輩とセレナは院長に案内されて一人のおばあちゃんのお世話を任された。


 そのおばあちゃんは、余命宣告を受けておりそろそろ時期が来てもおかしくないと言う。


 少しやりずらいが、頑張らねば!


 「あら? 黒猫とは珍しい お名前は?」


 「名前は無いニャン」


 「今時の猫は喋るのね びっくりしちゃった!」


 嘘つけよ、口程にも無く冷静じゃないかと思ってしまう。


 「そうなんですよ、私の黒猫さんしゃべるんです! 可愛いでしょ?」


 「えぇ、可愛いわ! けど忌み嫌われているのよね、私にも分からないわこんなに愛くるしいのに!」


 「そうでしょ! だから私達、黒猫さんは幸福を運ぶ使者なんだぞって、分からせる為に人助けてをしながら旅をしているんです」


 「そうだったのね その願い叶うといいわね! 応援してるわ」


 とても、優しく笑うおばあちゃんは死期が近いことを悟らせないぐらいに元気そうである。


 「そうだ! 一つ頼めるかしら? 私の幸福も運んでちょうだい」


 おばあちゃんに手渡されたそれは、茶封筒の手紙であった。


 「明日、孫の結婚式なの 私の身体では、届けるのが難しいから会場に行って来て渡して欲しいの」


 確かに、歩くのですらやっとのおばあちゃんだ。


 届けられるはずもない。


 「分かったニャン! 吾輩とセレナが届けるニャン!」


 「ありがとうね、頼もしい黒猫さん」


 そうして吾輩とセレナは、翌日の夜におばあちゃんから預かった手紙を孫娘に渡すことになった。



 ◆



 セレナが高熱を出していた。


 長旅だったせいで、運動不足の彼女は免疫が下がっていたのであろう。


 すると、おばあちゃんがひょっこりと顔を出す。


 「あら、熱を出していたのね…… 残念だけど手紙はもういいわ 心配させてごめんなさいね」


 |(何言ってやがる!)


 おばあちゃんにとってその手紙は、一生物の大事な手紙だ。


 残念でしたで、済むはずがない。


 セレナには黙っておくが吾輩は一人、いや一匹でだって手紙を届けてみせる。


 「吾輩が行くニャン 手紙を届けるニャン!」


 「無茶よ、辞めない! 今日は天気が悪いわ こんな状況で外に出たら死んでしまうわよ?」


 止められてしまった。


 だから何だというのだ、吾輩はクソみたいな人生を送ってきたのだ。


 この世界で、やっと守りたいと思える人や人の心に出会えたのだ。


 例え吾輩が死のうが、譲れる訳がない。


 「吾輩の大事なものは死んでも守り通すニャン! おばあちゃんの魂が篭ったこの手紙、絶対に届けるニャン!」


 そう言って吾輩は、部屋を飛び出し手紙を咥えて外へと駆け出した。


 大雨である。


 前がよく見えないが進む道は合っているのだろうか?


 確かめようがない。


 吾輩と手紙はずぶ濡れで手紙の方はクシャクシャだ。


 |(すまねぇ、おばあちゃん 啖呵切って出て行ったのに手紙がおしゃかになっちまったよ)


 申し訳ない気持ちで一杯だ。


 しばらくして、屋根がある場所まで来た吾輩は、雨宿りをすることにした。


 式は夜かららしいのでこのペースなら問題なく目的地に着くであろう…… はずだった。


 すると、雨宿りをしていた屋根小屋に三人のガキが入ってきた。


 「あ、あれ黒猫じゃね?」


 「うわ、まじじゃんか」


 「きったねー」


 馬鹿にされてムカつくが、じっと我慢する。


 しかし、吾輩の額に一発の硬い塊が命中したのだ。


 そのクソガキ共は、吾輩に石を投げつけ笑っている。


 「しーね、しーね はははは!」


 頭が割れる様に痛い。


 額から血を流して脳みそが震えているようだ。


 我に返った吾輩は、もう我慢ならない。


 「ニャー!!!!」


 怒り狂い、クソガキ共を鋭い爪でみだれひっかきで懲らしめてやった。


 「うわー! いたーい! 逃げろー!」


 |(痛いのは吾輩の方なんだが……)


 そして、足取りもふらつきながら式場に向かう。


 夜になっちまった。


 式場に着いた吾輩は、正面突破で式に乱入する。


 「聞くニャーン! 孫娘の結婚式におばあちゃんからの手紙を預かって来たニャン! 受け取るニャーン!」


 会場は大パニックだ。


 いきなり乱入してくるは、縁起の悪い黒猫だとか、猫が喋ったとか混乱している。


 叫ぶだけ叫んだ吾輩は、体力の限界によりその場で力尽きてしまった。



 ◆


 「起きて、起きて黒猫さん!」


 聞き慣れた声で目が覚める。


 そこには、泣き崩れて酷い顔をしたセレナが、吾輩を治療したらしく膝の上に乗せていた。


 「どうして、勝手に行っちゃうのよ! 心配したんだから!」


 怒られてしまった。


 「でも、後悔はないニャン おばあちゃんの魂の篭った手紙は届けてみせたニャン」


 「黒猫さんが死にかけたら意味ないよ……」


 また、泣き出してしまった。


 反省しなければならない、健康あっての旅なのだから。


 どうやら吾輩は、また助かったらしい。


 死ねない運命にあるのかも知れないなと、最近はよく思う。


 すると、新郎新婦が吾輩に近寄ってくる。


 「黒猫さん! 大丈夫ですか! この度はおばあ様の手紙を届けて下さってありがとうございました 文字は読めませんでしたが……」


 やっぱりか、あの大雨では流石に文字も消えるだろう。


 「申し訳ないニャン、大事な手紙だったのにニャン……」


 「そんなことない!」


 おばあちゃんの孫娘であり新婦が、キッパリと言い放つ。


 「おばあちゃん、もう先が短かったんです 結婚式には来れないからどうしようって言ってたんですが… だけどその黒猫さんは、怪我を負ってでも私に手紙を持ってきてくれました! 文字など無くても、魂には届きます! 黒猫さん、幸福を運んでくれてありがとう」


 そうか、しっかり届いていたようだ。


 吾輩の頑張りは、無駄ではなかった。



 ◆


 お別れを済ませた吾輩とセレナは、おばあちゃんがいる部屋へと訪れた。


 すると、なにやら騒がしい。


 おばあちゃんの容態が急変したと、医者に告げられる。


 もう厳しいみたいだ。


 「おばあちゃん、吾輩は手紙を届けたニャン! 死ぬんじゃないニャン!」


 「もうお別れだよ、黒猫さん 手紙ありがとうね それとね、あの手紙は最初から何も書いてなかったの ペンも握る力が無かったからね 私の魂の手紙は孫に届いたかしら?」


 「届いたニャン! 絶対ニャン! だから死ぬニャン!」


 ふふふと、おばあちゃんが笑う


 「やっぱり、あなたは幸福を運ぶ使者だったのね 本当にありがとう」


 その言葉を最後に、おばあちゃんは笑顔で息を引き取った。


 「黒猫さん、ごめんね私が熱を出したばかりに」


 「気にするニャン おばあちゃんも最後まで嬉しいそうだったんだからニャン これでよかったニャン セレナにも悪いことしたニャン 悪かったニャン」


 吾輩は、目から優しく暖かいものが流れ出た。


 おばあちゃんの弔いが終わり、吾輩とセレナは再び旅に出ることになった。


 本当に幸福の使者になれるのか、なっているのか分からない。


 でも、セレナとの旅は吾輩にとって、かけがえの無いものになるのであろうと思えてしまうのだ。




 ーーーー吾輩は猫である。


 名前の記憶は、おいおい探すとしよう。


 ボロ雑巾の様に汚い吾輩を拾ってくれて、今はこうしてセレナと旅をしている。


 幸福の使者であることを、吾輩自身も信じる為に。


 もう一度言おう、吾輩は……








            ーーーー黒猫である。





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