第9話 喪失の怒りの先へ

登場人物

―リヴィーナ・ヴァンマークス・シュワイツァー…軍人、魔術師、友を探すドミネイターの少女。

―ドーニング・ブレイド…不老不死の魔女、オリジナルのドミネイター、大戦の英雄。



二一三五年、五月七日:北アメリカ大陸、ミシシッピ川条約機構議長国『新アメリカ連邦』領、旧フロリダ州地域、暫定グレーター・セミノール保留地近郊、沿岸の浅い海底


 怒りをなんとかコントロールしようとした。海水の中で、鮫が遠巻きに泳ぐ中で、本当に世話になった親友を殺され、更には知らない誰かも殺された。

 そのような惨劇は大昔の映画のようなものだ――実際に起きなければそのように楽観視できた事であろう。さて、人類の成熟度は下がったが、しかしそれでも民間人同士の殺人事件は耳にしていない。今ここに、一線を大きく超えた者達がいるという事だ。

 犯罪の中でも特に恐ろしい部類の一つである殺人に手を染めた誰かを意識した。それについて考えると、己に対する裏切り行為を働いた一件で収監されている義父が浮かんだ。

 それはいつ考えても忌むべき事だが、しかし今は友人のために行動せねばならなかった。大人の辛いところであった。その時ふと、もしかするとラニが殺人犯に対して『橋を架けて』いるかも知れないと考えた。

 衣服のHUDの機能を使い、視界モードを切り替えた。魔術的なものを可視化する機能によって、少女ははっきりとそれを見る事ができた。軍では専ら死体石ボディ・ストーンと呼ばれる結晶か琥珀じみた何かへと成り果てた親友の亡骸から、ぼうっと光る太い線のようなものが数フィート程伸びているのが見えた。

 この橋が一体どのような意図で未だに機能しているのかを推測した。ラニが得意としたタイマンの戦いのための橋であれば、ラニが死んだ今となっては機能しないはずだ。となればそれ以外。

 行使者の死後も継続する魔術とはかなり特殊なものだ。それを実現する手段として手っ取り早いのが、今まさに消えゆく己の命をある種の生け贄だか対価だかとして使用する事だ。死をもって成立する強固な呪いと言えた。

 その推測上において、リヴィーナは己の親友の確固たる信念と覚悟をそこに見た。否、これは推測ではなく、彼なら『こうする』という理解で成り立つものであった。親友であるが故にそれがわかるのだ。

 浅い海底で軍人の少女はしばし目を閉じた。部隊で何度も死線を潜り抜けた日々が蘇った。戦時中の一時的な平穏の記憶、その時どのようにして親しい人々と過ごしたか、それらの昼と夜を巻き戻して再生した。

 それらの記憶を形成していた者がまた一人死んでしまった。それも、戦後に発生した何かしらの悪意ある殺人事件、人類が人類を殺すという禁忌によって。精神を病んだ第一世代ドミネイターの離反部隊の話が問題になっているのは承知の上だが、これはそれらによって引き起こされた事件ではあるまい。

 悪意ある何者かが、この保留地に存在するのか。新アメリカ連邦が事実上放棄した地で耐え抜いた人々の暮らすこの地に、忌むべき邪悪が潜んでいるのか?

 やっと迎えた終戦だというのに、二〇年軍に仕えたリヴィーナはどうにも理不尽なものを感じた。平和とは偽りだったのか。そこまで人類の成熟度が下がって、犯罪レベルが上昇したとでも言うのか。

 しかし、一旦その思考を打ち切った。ラニ・フランコ・カリリという人物が殺された。大事な友人であり、家族を愛する父親であり、大戦の英雄と称える向きとてあった、魅力のある彼が。自然と人々を惹き付けていつもその中心にいた大柄な大親友。

 己だけでなく多くの人々にとって大切で、愛されたラニのために。鮫の群れと水上で舞う異次元生物の群れは、熟練の軍人が発する確固たる雰囲気に気圧されていつの間にか退散していた。


「少佐」

 ただならぬ雰囲気の幽鬼じみた出で立ちで海から上がって来た少女は、さそりの力強い尾のようなものを伸ばし、それの先端の薄い被膜の中には大きなぼうっと輝く物体があった。あたかも、大蛇が哀れな獲物を飲み込んで膨らんでいるかのようであった。

 彼女が纏う外套が変形し、有機物じみたものが海から己の親友であったものを引き揚げたらしかった。親友の亡骸をいつまでも放置したい者などいまい。

 呼び掛けられた大戦の英雄――軍において、ラニ・フランコ・カリリと同等のシンボルであった――は気圧されるまでは行かなかったが、しかし真剣にそれと向き合った。ある種の申し訳無さを感じながら。

「見付けたのだね」

 難しい表情をしてドーニング・ブレイド少佐はリヴィーナ・ヴァンマークス・シュワイツァー大尉と向き合った。『見付けた』とは随分含みがあるように思えた。

「その言い方では、やはりあなたは何か知っているのか!?」

「あなたが望む程は知っていないと思うが、しかし確かに…私はここで殺人事件が起きた事を知っていた、誰が犯人かはわからないにしても」そこで区切ってから付け加えた。「そして、それを保留地には知らせず黙っていた」

 リヴィーナは相手が誰であるかは無関係に激昂して掴み掛かりそうになる己を抑えた。それは非常に根気を要した。フードの下から睨め付けながら彼女は更に怒鳴った。

「何故知らせなかった!」

「言い訳をするなら…私が臆病だったという事になるだろう。これまでずっとある種の傍観者だったようにね。私はこの知らせがグレーター・セミノール保留地における政治的問題を加熱させるか、あるいは爆発させてしまうのを恐れた。私のような、この地を何世紀も観察しながらも本質的な干渉をして来なかったある種のアウトサイダーが、何かを大きく変えるのを恐れた――戦時中はあれだけ世間に干渉したにも関わらず」

 それを聞いているとどうにも腹が立った。もっともらしい言い訳に聞こえた。だが、少女は当然ながら大人であった。三七年間の人生を歩んでそれなりに成熟したという自認はあった。相手に腹が立っても余程でなければいきなり殴らない分別があった。

「しかしあなたにとってこのような言葉や事情は無意味だろう。それは事実だし、私は生前のカリリ少佐から当然あなたの話を聞いていて、あなたと彼が親友であった事も、それ以外の交友関係も聞き及んでいる。不死者として、アウトサイダーとしての特権を行使し続けるべきではなかった…私の過失だな、本当に申し訳無い。親友を亡くしたあなたに対してあまりにも失礼だった」

 大戦の英雄と歌われたブラック・セミノールの魔女が、不意にただの女に見えた。己と同じような、どこにでもいる普通で、時には傷付くような…。

 ドーニング・ブレイドの灰色っぽい黒い長髪が海風に吹かれてはためき、ロックス状に束ねられた髪の重量感が曖昧になった。彼女は吹けば消える灯火にすら見えた。永遠に生き永らえながら、しかしある種の苦しみを抱えた普通の人物。『アフリカ系のインディアン』という歴史的に特殊な背景の人々の間に身を置いて、アメリカの地を眺めてきた彼女の半生について想像しようとした。

 だが、どうにもそれは傲慢な自己満足であるように思えて躊躇われた。

 そしてなんであれ、彼女には彼女の良心があって、『保留地の問題』と『遺されれた者の怒り』の狭間で苦しんだのであろう。

「少佐、言葉が過ぎました。こちらこそすみません」

 握手は万能ではないかも知れないが、それでも歩み寄りを示す手段としては有益に思えた。砂浜の上で歩み寄って、少女は手を差し出した。

 聞かねばならない事情がかなり多いように思われた。戦後フロリダの午後の海辺にて、二人の軍人は握手をした。

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