三章 放課後に憧れの少女と(3)

    *


「『ブレイダーズ!』は本当に最高の最高ですっ! 第一部のラストに世界と引き換えにしてもあいつを守りたい! って決心してダークスレイブを唱えるところとかもうボロボロ泣いてしまいました……!」

「あそこは泣くよな! そして全てが終わったかと思ったらどんでん返しのあの結末! 最高の最高だった……!」

「そうそう! そうなんです!」

 女性と二人っきりで街を歩く。

 社畜時代の俺にも、出張やら飲み会やらでそういう状況に出くわすことはあった。

 だが異性とのおしやべりスキルなんて持たない俺はしどろもどろなバッドコミュニケーションで心証を悪くしてしまい、仲良くなるどころか『面白くないし頼りにならない奴』と思われて、その後の仕事上の連携に支障をきたしてしまった。

 そこで俺は一つの秘策を思いついた。

 俺はゲームとかラノベとか自分の趣味を存分に語れると、とても気持ちがいい。

 であるなら、女性にもそうしてもらえばいいのではないか? という策だ。

(これは大当たりだったんだよな……女性だろうが上司だろうが、飼ってるペットや応援している野球チームなんかの好きなことを存分に喋らせれば大体みんな機嫌が良くなる。俺は相づちを打つだけだから気の利いた話術は必要ないし)

「それでですね、その時主人公が……!」

 実際、紫条院さんはとても楽しそうだ。

 まるでラノベの推し場面トークをする相手に飢えていたかのように、すごくじようぜつに話してくれている。彼女の交友関係はよく知らないけど……流石にラノベ話ができるサブカル系女子は身近にいないのかな?

「良かったよ。元気が出たみたいで」

「あ、はい、何だかずっと好きなこと喋っていたら気分が良くなってきました」

 それは何よりだ。ああいうハラスメント集団は人の心がわからない災害みたいなもんだし、さっさと忘れて、好きなことをしてマインドをやすに限る。それができないと俺の同期社員みたいに精神を病んでしまうのだ。

「その、さっきは本当に助かりました……実はああいうのは初めてじゃないんですけど、どうしても慣れなくて……」

「え……ああいうことが何度もあったのか?」

「ええ、小学一年生くらいからたびたび……言ってくるのは必ず女子なんですけど、みんな決まって『調子に乗ってる』『目障りだ』って同じことを……」

 小学校一年生って……六歳程度でもうそういうことを言い出す奴がいるのかよ……。

 女ってこええ……。

「正直彼女達が私に何を求めているのかわからなくて……でもすごく私を嫌っていることは伝わってくるから……怖いんです。本当に、新浜君が来てくれて良かったです……」

 不安を訴える子犬のような表情で、紫条院さんは俺の顔を見上げた。そんな童貞を殺す仕草に俺はまたももんぜつしかけるが、何とか耐える。

(しかし……なるほど、絡まれる理由は理解不能なのか。紫条院さんって他人に激しくしつしたこととかなさそうだもんな……)

「そうだな……今後のためにも、紫条院さんは花山みたいな奴が絡んでくる原因を知っておいたほうがいいと思う」

「え? 新浜君はわかるんですか!? なら是非教えてください! 私に至らない点があったら直したいんです!」

 期待に満ちた目で紫条院さんが言う。

「わかった。その原因は──紫条院さんが美人で優しいからだよ」

「え……?」

「つまり嫉妬なんだよ。みんな紫条院さんみたいな可愛さや優しさを持っていないからうらやましくて仕方ないんだ」

「え、いえ、何を言ってるんですか! 私なんてそんな……!」

「いや、誰がどう見ても美人だから。そこは流石に自覚するべきだと思う」

 こればかりは遠回しに言っても意味がないと判断し、俺は事実をズバリと告げた。

 自覚を促す理由は、真面目な紫条院さんが思い悩まないためだ。このままでは絡まれる原因がわからずに『自分に欠点があるのでは?』と苦しみかねない。

「だから紫条院さんは悪くない。いいか、復唱するんだ。『私は悪くない』って」

「わ、『私は悪くない』……? え、でも本当にそうなんですか? 何か別の要因で他人を不愉快にさせてるのかも……」

「はい、そういう考えが駄目だ。あと十回は『私は悪くない』って口に出してくれ」

「ええっ!? ほ、本当にやるんですか!?」

 紫条院さんは困惑したが、やはり素直な性格のせいか『私は悪くない』を連呼し始める。

 けど、これはマジで絶対に必要なことなのだ。

 さっきから俺の口調が強めなのも、紫条院さんの自罰的思考を改めさせなければという必死の思いからだ。

(ブラック企業でつぶれるのは決まって真面目で優しい奴だったからな。理不尽な仕事を押しつけられても周囲から怒られても『私が悪いんだ』って考えるからどんどんストレスがまっていって……最後は崩壊する)

 そして、未来において紫条院さんが破滅してしまった原因も、おそらくそこにある。

 イジメの動機が単なる嫉妬だと理解できなかったからこそ、思い悩みすぎて彼女は壊れた。ただの醜い理不尽だと断じて、逃げたり訴えたりすることが出来なかった。

 そんな未来にさせないために、この思考改造はひつ事項なのだ。

「『私は悪くない』『私は悪くない』……これでいいんですか?」

「ああ、今後花山みたいな奴に絡まれても『私は悪くない』で行こう。だいたいあいつらは『お前が私より美人だから気にくわない』とは流石に言いがたいから『調子に乗ってる』って便利な言葉を使うんだよ」

「そうなん……ですか?」

「そうなんだ。嫉妬とかその時の機嫌の悪さとかでみついてくる奴の場合、被害を受ける側が自分を改めるとかしても全然意味ないから上手くスルーするのが重要で……ってどうした?」

 何故か紫条院さんが、俺の顔を不思議そうな顔で見つめていた。

「いえ、新浜君の顔がすごく真剣だったので……とてもありがたいのですけど、どうしてそこまで私の事を心配してくれているんだろうって……」

「そりゃ心配するさ。俺は紫条院さんが思い悩んでいるのは嫌だ」

「え……」

 この時、俺は未来において紫条院さん自ら命を絶ったことを思い出し、あんな未来を繰り返してなるものかと、破滅の芽を摘むべくヒートアップしていた。

 だから自分の台詞の恥ずかしさに対して感覚がしていたし──紫条院さんが目を見開いて息をんだことにも気付かなかった。

「あ……その……新浜君……」

「うん?」

「さっき私の容姿がいから他人が嫉妬するって言ってましたけど……その、私を慰めるためにそう言ってくれているんじゃなくて、本気で思ってるんですか……?」

「ああ、もちろん。俺も最初に紫条院さんを見た時は美人すぎてびっくりしたし」

「~~~~っ!」

 ハイになっていた頭がド正直な言葉を紡いだが、それは本当に俺の素直な気持ちだ。

 そして、それを聞いた紫条院さんは何故かとても恥ずかしそうに頬を紅潮させ、無言で顔を伏せた。

 後から考えれば、クソ真面目な顔で正面から『美人すぎてびっくりした』などとのたまえば、紫条院さんじゃなくても大いに恥ずかしがるのが当たり前なのだが、この時の俺はただ不思議そうに首を傾げるばかりだった。


    *


(当たり前だけど紫条院さんの家でかいな……)

 紫条院さんを郊外にある家の前まで送り届けた俺は、漫画じみた庭付き豪邸を前にして社会格差というものを味わっていた。

 うわぁ……庭に噴水とか銅像とか花が咲き乱れている花壇とかある……どれもこれも維持費がすごそう……。

「新浜君。今日は本当にありがとうございました。結局家まで送って貰って……むむ、振り返ってみれば今日はなんだか助けて貰ってばかりですね……」

「いや、別にそこまでのことじゃないって。雑談しながら一緒に歩いただけだし」

 紫条院さんは深々と頭を下げるが、俺のした事と言えば不良女子を追っ払って家まで送っただけだ。そしてそのどちらも、俺がしたいからやった事だしな。

「いいえ、本当に感謝しています。本当ならもっと……沈んだ気持ちを抱えて一人でトボトボと歩いていたはずなのに、とっても元気が出ました」

 胸に手を当てて言う紫条院さんの満面の笑みに、つい顔がほころんでしまう。

 ああ、そうだ。ようせいのようなれんさとてんしんらんまんで優しい心を持っている少女には、やっぱりこういう表情が似合っている。

 そして──そんな彼女だからこそ、それをおとしめようとする奴も出てくるのだろう。

 今日難癖をつけてきた花山とか、絶対自分は悪いと思ってないだろうしなぁ。

 動機は単なるねたみなのに『調子乗ってる』『ズルい』『ムカつく』だけで自己の行動を正当化できる奴らには本当にへきえきする。

「……そのさ、もし迷惑じゃなかったらだけど」

 何か考えるよりも先に、俺は口を開いていた。

「今日みたいにしんどい事があったら、気が向いた時でいいから俺に言ってくれ。愚痴くらいなら聞けるし、やれそうなことは何でもする」

「え……」

 そう声をかけたのは別にカッコつけた訳ではなく、過酷すぎるブラック業務で潰れそうな同僚を気遣うのと同じ感覚での事だった。だが、この状況で口にするにはかなりキザな台詞せりふであることにすぐ気付いて、俺は顔を赤くする。

(い、いかん。つい心配のあまり余計なことを……! 紫条院さんとまともに話したのは今日が初めてなのに距離感近すぎるだろ!)

 ただ、本心であるのも確かだ。俺は可能な限り紫条院さんの力になりたい。

「さ、さて! それじゃ俺も帰るよ! またな紫条院さん!」

 照れ臭さを隠すように、俺が足早に立ち去ると──

「あの、新浜君!」

 背後から、紫条院さんの声が届いた。

「その、ええと……何度も言いますけど本当にありがとうございます! また明日あした!」

「あ、ああ! また明日な!」

 遠ざかった俺に紫条院さんは大きな声でそう告げて、俺もまた昔は出す事が出来なかった力のこもった声で返した。

 そうして二人そろっての下校タイムは終了し、俺は自分の家へと足を向けた。

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