第18話 まだまだ勉強不足だな~
日が傾き始め、街の大通りに夕暮れの橙が差し込む。
行き交う人々のざわめきを抜け、ハジメとヴェルトハルトはデニスの店の扉を押し開けた。
「おや? いらっしゃい。今日はどういったご用件で?」
カウンターで帳簿を付けていたデニスが、顔を上げてにこやかに迎える。
ハジメは少し興奮気味に、手にしていた紙束を掲げた。
「デニスさん! 冒険者ギルドで色んな人に話を聞いてきました!」
「へぇ、それは熱心だね。どんな話が出たんだい?」
促されるまま、ハジメは聞き取った不便さをひとつずつ語った。
雨天時の焚き火やテントの問題、荷物の重量、治療薬の高騰、ダンジョンでの衛生管理……。
デニスは時折相槌を打ちながら、真剣な眼差しで聞き入っている。
「なるほどねぇ。確かにどれも切実な悩みだ。……で、君はそれをどう解決するつもりなんだい?」
「えっと……」
急に問われ、ハジメは口ごもった。
考えはある。
錬金術を使えば、不便を解決する道具は作れるはずだ。
けれど、その力を明かすのはまだ早い。
「……まだ具体的には言えません。でも、便利な道具を作ってみたいんです」
正直な答えに、デニスは少し目を細めて、口元に笑みを浮かべた。
「ふふ、いい心がけだ。商売はまず、需要を知る、ことから始まる。そして、需要に応えられる供給手段を持つ者が勝つ。……ただし」
デニスは帳簿を閉じ、指先で机を軽く叩いた。
「便利すぎる道具は、必ず恨みを買う。君が稀人だからなおさらだ。世の中には嫉妬深い商人もいれば、支配欲の強い貴族もいるからね」
ハジメは無意識に拳を握りしめた。
自分が考えていた不安を、まるで見透かされたように言われたからだ。
「……やっぱり、そうなんですね」
落ち込むように呟いたハジメの肩に、大きな手が置かれる。
ヴェルトハルトだ。
「気に病むな、主よ。主には我がいる。何があろうと、必ず護る」
その断言に、デニスは目を丸くし、すぐにふっと笑った。
「ははっ、頼もしい護衛がいるね。でも、それだけじゃ足りないよ。頭を使って、敵を作らない工夫をするんだ。……それも商売のうちさ」
デニスは椅子に背を預け、にやりと笑った。
「さぁ、考えてごらん。誰もが必要とするけど、既存の利権を脅かさない商品は何か。君が本当にやりたい商売は、そこから生まれるはずだ」
――その問いは、ハジメの胸に重く響いた。
錬金術で何を作るべきか。
どうすれば自分にしかできない道を歩めるのか。
まだ答えは出ない。
だが、その模索こそが新しい未来を切り開くと信じられた。
デニスとの話を終え、店を後にしたころには、街の空はすっかり夜の帳に覆われていた。
石畳を踏みしめながら、ハジメは横を歩くヴェルトハルトにぽつりと漏らす。
「……宿題、だな」
「うむ。誰もが必要とし、敵を作らぬ商品……確かに難題だ」
二人はしばらく無言のまま歩き、やがて宿に到着した。
受付で鍵を受け取り、部屋に戻ると、ハジメは机にメモ用紙を広げた。
「えっと……冒険者が不便って言ってたのは、雨の時、重い荷物、衛生面、治療薬の高さ……」
「主よ、それらをすべて解決する道具を作るのは、強大な敵を作る。そう言っていたな」
「そうなんだよなぁ……。既存の薬を脅かすような万能回復薬なんて作ったら、薬師ギルドに潰されるのがオチだろうし」
ハジメは頭を抱え、しばし唸った。
ヴェルトハルトは静かに腕を組み、主の思考を見守る。
「……雨具? いや、ありきたりだな。荷物軽減……魔法の鞄なんてすでにあるよな? じゃあ、衛生用品……」
思いついては却下し、また考える。
紙の上には、ぐちゃぐちゃと書かれたメモが積み重なっていく。
「(うーん……俺の知識なんて、結局もう持ち込まれてるんだよなぁ……)」
そうして唸っていると――。
――ぐぅ。
静かな部屋に、間の抜けた音が響いた。
「……」
「……」
二人は一瞬黙り込み、次いで顔を見合わせる。
「お、俺か……」
「うむ、間違いなく主の腹の音だ」
真剣に悩んでいた分だけ、その落差に耐えきれず、ハジメは吹き出した。
ヴェルトハルトも珍しく口元を緩める。
「はは……考えるのに夢中で、夕飯食べてなかったな」
「ならば行こう。食事を抜いては良き考えも浮かばん」
「そうだな。腹が減っては戦も商売もできぬってな」
笑いながら立ち上がり、二人は宿の食堂へ向かった。
今はまだ答えが出なくてもいい。
腹を満たし、明日また考えればいい――そんな気持ちに、ハジメは少しだけ肩の力を抜いた。
宿の食堂は夜の活気に包まれていた。
冒険者らしき逞しい男女が酒を酌み交わし、商人らしい男が帳簿を広げている。
厨房からは香ばしい匂いが漂い、ハジメとヴェルトハルトの前にも肉と野菜を煮込んだシチューと黒パンが並べられた。
「はあ……うまそうだ」
「いただこう」
スプーンを口に運ぶと、素朴ながらも滋味深い味わいが広がる。
空腹だったこともあり、あっという間に半分ほど平らげてしまった。
そんな時、料理を運んできた給仕の少女が、テーブルを片付けながら笑顔を見せた。
「お口に合いましたか?」
「はい、とっても美味しいです」
ハジメは一呼吸置いてから、ふと思い立ったように声をかけた。
「あの、ちょっといいですか?」
「はい? なんでしょう?」
「……もし、宿で働いててこういう道具があったら助かるのになって思うことってあります?」
突然の問いに、少女は目を瞬かせた。
だが、ハジメは慌てて取り繕う。
「あ、えっと……実は僕、商人見習いで、職人見習いでもあるんです。だから、ちょっと勉強のために聞いてみたくて」
軽く笑いながらの嘘だったが、少女は特に怪しむ様子もなく、腕を組んで考え込む。
「そうですねぇ……。だったら、食器をまとめて一気に洗える道具とか、あったらすごく助かりますね。今は全部、手でやってるんですよ」
「なるほど……」
ハジメはすかさずメモを取りながら頷く。
「あと、料理を冷めにくくする器とか。お客さんが多いと配膳が追いつかなくて、せっかく作った料理がぬるくなっちゃうんです」
「それもいいなぁ……」
ヴェルトハルトは黙って肉を切り分けながらも、ちらりと主に視線を寄越す。
「聞いてみるものだな。意外と現場の声は役に立つ」
ハジメはシチューを口に運びつつ、改めて決意する。
――冒険者だけじゃなく、こうした日常で働く人の声も集めてみよう。
そうすれば、きっと誰もが喜ぶ便利な道具を見つけられるはずだ。
食事を終え、二人は宿の二階にある部屋へ戻った。
窓の外には夜の街の灯りが瞬き、遠くから笑い声や馬車の音がかすかに聞こえてくる。
ベッドに腰を下ろしたハジメは、手帳を取り出して今日のメモを整理した。
薬草、治療薬、衛生、ダンジョンでの不便。
そして、宿の少女から聞いた食器洗い機や保温の器。
「……なあ、ヴェルト」
「なんだ」
「やっぱり、冒険者からの意見だけじゃ視野が狭いよね。確かに役に立つけど、冒険者だけが暮らしてるわけじゃないし」
ヴェルトハルトは腕を組み、顎を引いてうなずく。
「ふむ。街全体を相手にするなら、冒険者に限る必要はない。職人も、店主も、農夫も……誰もが不便を抱えているだろう」
「うん。だから、明日は街で聞き込み調査をしてみようと思うんだ」
ハジメは手帳をぱたんと閉じ、ベッドに仰向けになった。
「例えば市場の露店の人とか、洗濯してる人とか、子供を育ててるお母さんとか……。そういう人たちの声を集めたい。冒険者向けの道具じゃなくても、便利なものなら絶対に需要があると思う」
「なるほど。視野を広げれば、それだけ商機も広がる、か」
ヴェルトハルトの黄金の瞳が、暗がりの中で静かに輝く。
「よし。明日は共に歩こう。主の目に映るもの、耳に入る言葉……すべてが力となろう」
「ありがとう、ヴェルト。心強いよ」
窓から吹き込む夜風が、熱を帯びた思考を少し冷ましてくれる。
ハジメは深呼吸をして、瞼を閉じた。
「……明日は、もっとたくさんの声を集めよう。きっと答えはその中にある」
その誓いを胸に、ハジメは眠りについた。
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