第15話 これからのプラン!
日がすっかり落ち、街灯の灯りが柔らかく石畳を照らす頃。
ハジメとヴェルトハルトはデニスの店兼住居へと戻ってきた。
「おかえりなさい!」
明るい声とともに、食堂へ案内される。
テーブルには温かなスープと焼きたてのパン、香草を添えた鶏肉のローストが並んでいた。
「お、ちょうどいい時間だね。さあ、座って座って」
デニスは上機嫌で席をすすめ、三人は食卓を囲んだ。
スープを口に運びながら、ハジメは今日一日の出来事を語り始める。
「それで今日は何をしてたんだい?」
「市場を見て回ったり、薬師ギルドを覗いたり、商人ギルドや職人ギルドも訪ねました。学術院は門前払いでしたけど、その代わりに図書館で読み書きの勉強ができました」
「ほう……精力的に動いたねぇ」
デニスは目を丸くし、ワインを軽く揺らした。
「商人ギルドは、子供が相手ってことで、やんわり追い出されちゃいました」
「だろうね。あそこは信用が物を言う場所だ。子供が来ても、最初は誰も相手にしない」
「職人ギルドは……正直ちょっと怖かったです。奥から怒鳴り声が聞こえてきて」
「ははっ、ああ、あそこはそういう所だ。気難しい連中ばかりだからね。でも腕は確かだよ」
「学術院は……やっぱり簡単には入れないんですね」
「当然さ。あそこは選ばれた者だけが通う場所だ。まあ、君が稀人であることをうまく使えば、いずれ道は開けるかもしれないけどね」
「図書館はすごかったです。壮大で、圧倒されました」
「知識の集積所だからね。学術院に入れない者にとっては、あそこが唯一の窓口になる」
デニスは満足げに頷き、肉を切り分けながら言った。
「で、色々回ってみて、どうだった?」
ハジメは少し考え込み、パンをちぎりながら答える。
「面白かったですけど……正直に言うと、これだっていう案は浮かびませんでした」
「ふむ……まあ、そうだろうね。子供の目線で見ても分かる商売の種なんて、そう簡単には転がってないさ」
デニスはワインを口に含み、にやりと笑う。
「だけど、君は稀人だ。過去の稀人が持ち込んだ知識や技術を思い出せば、十分に商機は見つかる」
「……そうですね。もしよければ、過去の稀人が何を持ち込んだのか、教えてもらえませんか?」
「いいよ」
デニスは嬉しそうに身を乗り出した。
「娯楽品なら、トランプやチェスみたいな遊戯具、食料品なら、醤油や味噌といった発酵食品、パンの発酵技術もそうだ。酒造りの技術を持ち込んだ稀人もいたらしいね」
「へえ……」
ハジメは驚きながらメモを取る仕草を真似る。
「技術で言えば、製鉄や水車、農学の知識。輪作や堆肥の使い方を伝えた稀人は、ある領地を一気に豊かにしたそうだ」
「医術はどうですか?」
「衛生管理の概念を伝えた稀人もいるね。特に薬草の調合法や、保存技術は今でも使われてる」
デニスは指を折りながら次々に例を挙げていく。
「要するにだ、稀人がもたらした知識は、この世界の常識を変えるほどの力を持つ。君が本気を出せば、商売なんていくらでも成り立つんだよ」
そう言って、彼は意味深に笑った。
「だから焦らなくてもいい。まずは生活を整えて、少しずつ知識を活かす方法を探していけばいいのさ」
ハジメは大きく息をつき、微笑んだ。
「……ありがとうございます。少し気が楽になりました」
とは言うものの、ハジメは内心焦っていた。
よくある内政チートが何一つできないことを。
定番のトランプやチェスと言った娯楽品はすでに持ち込まれており、さらには農業、医学の発展にまで貢献している。
ハジメが持つ、素人同然の知識などすでに意味を持たないだろう。
夕食を終えたハジメは、ヴェルトハルトと共に宿の一室へ戻った。
扉を閉めるなり、ベッドに腰を下ろすと両手で顔を覆い、深いため息を吐く。
「……あー、ダメだ。なんか気が重い」
「どうした、主よ。食事も充分にとり、部屋も清潔。文句のつけようはなかろう」
ヴェルトハルトは腕を組み、当然といった顔で首をかしげる。
ハジメは思わず机に突っ伏して叫んだ。
「神様、優秀な人間を送り込みすぎだろおおおっ!」
ヴェルトハルトは片眉を上げた。
「……突然どうした?」
「だってさ! 聞いたろ? 稀人が持ち込んだもの! トランプもチェスもオセロもあるし! 農業だってすでに改良されまくってるし! 医学だって発展してるし! なんなんだよ!」
ハジメは床をバンバン叩きながら、半ば泣きそうな声を張り上げた。
「俺の知識なんてさ、もう全部使い古されてるんだよ! 勝てっこねえ! ただのアニオタだぞ、俺は!」
ヴェルトハルトは呆れたように鼻を鳴らす。
「ふん。ならば、アニオタとやらの知識とやらを活かせばよいではないか」
「それが活かせないから困ってるんだよ!」
「そうか? 主の言葉は、時に我にも理解できぬ奇怪なものが多い。だが、それゆえに妙な説得力がある。世に広まっておらぬ知恵も、まだあるのではないか?」
「……いやいや、二次元嫁論争とか、ツンデレの歴史とか、この世界で役に立つか!?」
ハジメは頭を抱えて転げ回る。
ヴェルトハルトはしばらく黙って見下ろしていたが、やがて小さく笑った。
「主は愚痴を零す時ほど、人間味があるな」
「いや、笑い事じゃないから!」
それでも、ヴェルトハルトのわずかな笑みに、ハジメの胸の重さが少し和らいだ気がした。
ハジメはベッドに突っ伏したまま、呻くように言った。
「……はぁ。異世界転生したのはいいけど、何もできないな」
その言葉に、ヴェルトハルトは静かに近づくと、ハジメの肩へ大きな手を置いた。
低く、重い声が部屋に響く。
「主よ。比べる必要はない」
「……え?」
「確かに、過去の稀人とやらは農業や医術に寄与したのだろう。だが、主には主だけの力がある。空間魔法を使い、錬金術を操り……そして、我を完全に癒した回復魔法もある」
ヴェルトハルトの紫紺の瞳が、真っ直ぐにハジメを射抜いた。
「万人にとって稀人がもたらした知識は確かに素晴らしいものだ。だが、主が愚かに見下す必要などない。我にとっては、主こそ唯一無二の存在である」
「……ヴェルト」
「主の力を活かせば、デニス殿にも役立つことは多いはずだ。焦らずともよい。主が主であることに変わりはないのだから」
力強い言葉に、ハジメの胸の中の重石が少し軽くなる。
自分は凡人だと嘆いていたが、それでも――確かに、この世界で得た力は残っている。
「……そう、だね。ありがとう、ヴェルト。俺、もうちょっと頑張ってみるよ」
ヴェルトハルトは口元をわずかに緩めた。
「うむ。それでよい」
気持ちを切り替えたハジメは、机に並べていた羊皮紙とインク壺を取り出した。
「じゃあ、今日は寝る前に少し魔法の練習をしておこうかな」
「良い心掛けだ」
ヴェルトハルトに協力してもらいながら回復魔法を練習し、まだ発動すらできない空間魔法に苦戦する。
そして、一番のチートである錬金術の練習。
魔力の消耗は激しいが、積み重ねが大事だと自分に言い聞かせながら。
やがてランプの火が小さく揺らめく中で、ハジメは今後の予定を口にした。
「……早朝はヴェルトと鍛錬して、午前中は冒険者ギルドで依頼をこなす。午後からは図書館で勉強して……夜は魔法の練習だ」
「ふむ。まさに修行尽くしだな」
「大変だけど……これを続けていけば、きっと独り立ちできる。お金を貯めて、デニスさんの家から出て行こう」
決意を口にしたハジメの横顔は、昼間の不安げな少年ではなく、未来へ進もうとする若者の顔だった。
ヴェルトハルトはそんな主を、静かに見守り続けていた。
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